江草 乗の言いたい放題
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2018年01月16日(火) なぜそれが黒人差別なのか?        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan




 スウェーデンのカジュアル衣料チェーン「H&M」がインターネット通販の商品広告で、モデルの黒人男児に「ジャングルで最もかっこいい猿」というロゴ入りの上着を着用させた写真を掲載していたことで激しい非難を受けている。黄色人種も「イエロー・モンキー」と呼ばれることがあるからそれがアジア人の男児であっても同じことが起きただろう。しかしもしも白人の男児ならば非難は起きなかったような気がする。

 ダウンタウン浜田の黒塗りメイクを批判した津田大介は金髪にしてるのだが、日本人はもともと金髪ではない。もしも世界の歴史が大きく違ったものとなっていて白人が被差別民だったら、金髪に染めるということが重大な人種差別になっていた可能性もあったわけで、そうした価値観というのはかなり流動的なものである。津田大介の頭の中に「白人はカッコイイからそのマネをするのはOKだが、黒人のマネはアウト」という考えがあるのならば彼こそがとんでもない差別主義者である。

 豊田有恒の長編SFの名作「モンゴルの残光」では、モンゴル民族が世界を征服統一してそのまま歴史が現代につながっているということになっている。その架空の世界では白人が黄色人種の下で差別されていて、ある白人の若者が「こんな世の中は間違ってる」とタイムマシンで過去の世界に行き、モンゴル帝国の統一を妨害しようとする。たまたま産業革命がヨーロッパで起きて、植民地を搾取することで富を膨張させた欧米の諸国が世界の覇権を握ったから現代の白人優越主義の価値観につながっているわけで、もしも強力な覇権国家がアフリカに登場していれば白色人種や黄色人種が奴隷とされる可能性もあったのだ。

 実際に差別を行うのは誰か。江戸時代の身分制度が士農工商の下に被差別民を設置することで農民支配に利用したことからもわかるように、身分制度や人種差別はどちらかというと為政者側の都合で作り出されたものである。だからオレは「人種差別」というものの本質をどこか疑っているのである。「これは差別だ!」と大声で叫ぶ人たちこそが実は差別者であるような気がしてならないのである。

 「H&M」の広告を製作したスタッフが「黒人男児=サル」という悪意を持ってその広告を作ったのかどうかはわからない。しかし、白人が自分達以外の肌の色の人種を歴史的にサル呼ばわりしてきたのは事実である。だからこの広告は激しい非難を浴びたのである。その広告が不適切であったということにオレは同意する。同意した上で、オレはそもそも人種差別とは何かということについて考えてみたいのである。

 例えば日本の性産業の中でもかなり認知されているAVの中には男優に黒人男性を出演させているモノがある。ただ、男女と人種でどんな組み合わせのものが存在するのかまではオレの専門外のことなのでよくわからない。そのあたりはAVに詳しい方のご意見を是非ともお伺いしたいところである。ただ、その出演自体が「人種差別である」という形での抗議は聞いたことがない。

白人のコスプレや金髪が全く問題にされないのになぜ黒塗りが問題なのか。それは自分達よりも上だと思っている存在に対してはあこがれるが、自分達が下に見ている存在をマネをすることはそれを「道化」ととらえることであり、実質的には差別になるという感覚があるからだ。つまりここで問題なのはそうした階級意識であり、昔のアメリカのように黒人を一段下に見ていた感覚が残存じていることである。黒人の方がカッコイイからそれをまねるという理由であったとしても、黒人をカッコイイと決して思わない差別者たちからは「それはごまかしだ!」と糾弾されることとなってしまう。

 日本人の行動や顔の特徴はしばしば欧米の映画で誇張されて描かれる。しかしそれに対して日本人が抗議するという話は聞かない。その理由は日本人が差別に対して鈍感だからなのだろうか。オレはそうではないと思う。きっと日本人は、欧米人によってそのように受け止められている自分たちの姿を客観的な事実として受け入れていて、そのことに対して怒りも喜びもしていないからだと思うのである。

 オレが目指したいのはすべての人種や民族がお互いに尊重され、その文化や価値を否定されないことである。戦前の日本は満州国で「五族共和」という精神を唱えつつも実はその中で日本人が一番優れているという欺瞞に満ちた考えだった。そうではないのだ。これから日本に住む外国人はもっと増えるだろう。その中には日本を乗っ取りたいという近所の覇権国家からの移住者も押し寄せるだろう。しかし、そうして日本で暮らすことになるようになったすべての人たちが、差別や対立から自由になった理想郷を作って欲しいと願うのである。アメリカの属国であるという状況から離脱して核兵器禁止条約を批准し、真に世界平和のために貢献する国家を目指してもらいたいのである。そんな日本の主張する「人種平等宣言」だからこそ価値があるのだとオレは言わせたいのである。もちろんお隣の覇権国家からは、その膨張政策やチベット侵略、人権侵害に反対する人が日本にどんどん亡命すればいいと思っている。


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