江草 乗の言いたい放題
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2017年12月13日(水) 無差別テロはアメリカから始まった        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan



 テロとは何か。どうして関係ない人を無差別に殺して犯行声明を出すのか。海外で起きたテロ事件の報道に接するたびにそうした思いを感じるのである。しかし、無関係な市民を大量に殺戮するという先行事例を考えた時、オレは東京大空襲や広島や長崎への原爆投下という事例を思い出す。まだ実験段階だった核兵器を、通常の生活を営んでいる一般市民の頭上で炸裂させたあの戦争犯罪こそがまさにテロだったのではないか。

 国連は、2004年11月に国連事務総長による報告書において、テロリズムを以下のように示している。

住民を威嚇する、または政府や国際組織を強制する、あるいは行動を自制させる目的で、市民や非戦闘員に対して殺害または重大な身体的危害を引き起こす事を意図したあらゆる行動

 米軍のB29からの原爆投下は、この定義に見事にあてはまる。その戦争犯罪は誰からも裁かれることもなく、トルーマン大統領が罰を受けることもなかった。戦争終結のためにそれは必要な行為とされ、アメリカ人はその市民へのテロ行為を意識の中で正当化したのである。もしも日本が戦争に勝っていたなら空襲を行ったB29の搭乗員やトルーマンは死刑になっていただろう。

かつて戦いとは戦闘員同士のものであった。源平合戦の壇ノ浦の戦いにおいて、源氏側が平家の軍船の水手・梶取を矢で狙ったことは当時の戦いの作法に反することである。水手・梶取は戦闘に置いて重要な役割を果たしているが戦闘員ではない。源義経が非戦闘員を攻撃対象にしたことで平家の軍船は操船機能を失って混乱に陥った。

しかし日本には、そうした攻撃手段を「卑怯な行為」として恥ずべきモノととらえる価値観が存在していた。武士道である。もちろんすべての日本軍人が武士道を理解していたわけではなく、中には卑怯な者や外道としか思えないようなクソ軍人もいたと思われるので全員がその価値観を共有していたわけではない。

 核保有国は今年のノーベル平和賞に反発して受賞式に欠席した。自国の反政府活動家のノーベル平和賞を認めずに出席させなかった中国政府のことを各国首脳は非難したが、同じ程度に情けないことを自分達がしているという自覚はないのだろう。

 核兵器を使えば確実に多くの非戦闘員が巻き添えで死ぬ。だから戦争に核兵器を使うということは、戦争は市民に対する無差別テロを行うのと同義である。イスラム原理主義者たちのテロを非難するアメリカ政府は、自国が核兵器を使うことで多くの無辜の民が一瞬にして殺されることはたいしたことではないと思ってるようである。その両者が同列のものであるという自己矛盾に気がつかないのだろうか。

 現在欧米で起きているテロとは何か。

 それは、将来確実に起きるであろうアメリカなどの核保有大国の核兵器使用というテロによって大量に殺される市民の側からの報復行動とは言えないだろうか。将来殺される可能性のある側からの反撃がそうした形で現れているのではないか。

 少なくとも「無関係な市民を大量虐殺する」という行為を過去に正当化してきた国家が、今の無差別テロを非難する資格は全くないということをオレは思うのだ。

 もちろんアメリカが太平洋戦争における無差別虐殺を謝罪することはないだろうし、多くのアメリカ人にとって原爆投下と対になる概念は「リメンバー・パールハーバー」なのである。卑怯なだまし討ちに対する仕返しが無差別虐殺だったと多くのアメリカ人は思っている。その両者は本質的に違ったことであるということがわかっていないのである。

 オレの立場は一つ、すべてのテロ行為に反対するということだけだ。意味もなく多くの人命が失われることをどんな場面であってもオレは肯定などできないのである。


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