| 2014年01月25日(土) |
偏差値の序列についての私感 |
携帯用URL
|  |
|
大学に入学した春、同じクラスにスバル360に乗ってる苦労人の変わり者の学生がいた。進学校とは言えない田舎の高校を卒業し、バイトしながら浪人してものすごい努力をしてきた彼はなかなかユニークな方だった。今はどこで何をしているのだろうかと思うのだが、彼が何気なく語った「浪人して経済ではカッコ悪いと思ったので文学部を受けた」という言葉をオレは覚えている。彼の頭の中には京大文>京大経済という序列意識があったのだ。そもそも経済学部と文学部とを偏差値で単純に比較することなどできないし、併願するにしてもたとえば文学部を志望する受験生ならば同志社の文学部と関西学院の文学部という受け方をするだろう。どうしても同志社に入りたい受験生が経済学部と法学部を受験するのはありでも、経済学部と文学部という選択肢はないだろうとオレは勝手に思っていたのである。
しかし世間にはそうでない受験生がいる。たとえばどうしても東京大学に入りたかったので文�気任呂覆�て少し入りやすそうな文�靴砲靴泙靴燭箸い�場合である。もっとも東京大学では入学後に進路振り分けがあるので、入学時に選んだことですべてが決定するわけではないのだが、偏差値の序列では東大では文�機篳賢靴箸いΔ海箸蕕靴ぁ�
オレは人生でおそらく百回以上「なぜ東京大学を受験しなかったのですか?」と質問されている。きっと質問者の脳裏には東大>京大という発想があって、共通一次試験で高得点だったのならば東大を受験すれば良かったのになんてもったいないと感じたのだろう。もちろんオレの中には京大>東大という価値観しか存在しないのでそのような質問をオレにすること自体が愚問なのである。オレは「自分が最高と信じるところに入学したかった」としか言えないのだし、「文�気呂△�らめて文�靴砲靴茲Α廚箸いΩ搬�な功利主義よりも、「人生をあきらめて京大文学部に入る」という究極の選択をオレがうっかり18歳の時にしてしまったから今の自分が存在するわけである。
「行きたい大学」ではなくて「自分が持っている偏差値という価値で買えるもっとも高い大学」を選ぶのが普通の受験生であるらしい。大阪市立大学の真ん前に住んでいても、センター試験で8割5分とれてるから大阪大学を受験しようというのが受験生として普通の行動で、歩いて0分の大阪市立大学よりも、1時間以上かけて満員電車に揺られて、阪急石橋の駅で降りてからも長い坂を登って大阪大学まではるばる通学してしまうのである。そこで「オレは朝はゆっくり寝ていたい!」「大阪市民だから学費が安い」「生活科学部があって女子学生が多い」「レモンライスが好きだ」「通学に耐える体力がない」などという理由で大阪市立大学を選ぶと周りから「アホや!」と言われてしまうのである。それは1000円持ってるのに850円のものを「つりはいらねえよ!」と言って買うのと同じ行動であると世間では思われるのだ。1000円あれば1000円のものを、あわよくばもしかしたら手に入るかも知れない1200円のものを買いたいのが受験生なのだ。
同志社と立命館の両方に合格すれば普通は同志社を選ぶ。そこで両者の設備を比較したり女子大生の美人度を調査したり、近隣の食べ物屋を回って学生生活をシミュレーションしたりということはない。慶応と早稲田と両方に合格すれば普通は慶応に行く。受験生の常識的な行動とはそういうものである。このような価値観はオレが受験生だった頃からちっとも変わっていないのである。新興勢力の大学がいくらがんばったところで、歴史のある偏差値も高い大学が新しく作った、なんかよくわからない横文字の名前の学部に負けてしまうのである。それが悲しいほどの現実なのである。
受験生たちが抱いてるこの序列意識について、オレは変えようとは思わない。それに逆らったところで世間がどっぷりとこの序列意識に染まってる以上、受け入れるしかないからだ。徒歩0分の大学ではなくて満員電車に1時間ゆられて行く大学にわざわざ入るのは、その方が就職などで有利だと信じるからの行動である。大企業が就職面接を行う際に「出身校は不問」と称していても実際はそうではないというのはよく聞く話である。それにきびしい受験勉強に耐え抜いてやっと入れる大学と、全く競争がなくて高校でずっと遊んでいた生徒が志願すれば誰でも入れる大学とを同じに扱おうとしても無理だ。ちょっとした質問を学生にぶつければすぐにその差ははっきりするのである。知識や教養が全く違うのである。灘高校の生徒など、電車の中で雑談の中で政治や経済の問題を議論しているのである。スマホでゲームをすることしかしないどこかの馬鹿な中高生たちとは全然違うのだ。
今年も多くの受験生が「複数合格した大学の中で入学する一つの大学を選ぶ」という作業に大いに頭を悩ませるのだろう。昔公立高校の時に同僚だったある女性教師は、津田塾大と奈良女子大の両方に合格し、結局奈良女子大に進んだ。もしも彼女があのときに津田塾に進んでいれば全く別の人生を歩んでいただろうと思うのである。彼女は今はある公立高校の校長先生になっている。30年前ならばその選択は何の疑問もなく行われたかも知れない。しかし、女子大が不人気となり、奈良女子大がかつてのレベルから大きく易化したことを思えば今ならその選択は不自然だろう。
「好きな学部学科よりも高偏差値」
このような誤った選択肢から進学先を選ばないように受験生はきちっと判断してもらいたい。文学部なんてヤクザな世界には来ない方がいいのである。
←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館