江草 乗の言いたい放題
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2013年01月25日(金) 体罰の是非についての議論のむなしさ        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

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 体罰が教育現場で否定されるものであることは誰もがわかっている。そんなことは教師はみんなわかっているのだ。それでも教育現場で体罰がなくならないのはなぜか。それはそれ以外の有効な手段を教師が持たないからではないのか。オレはそんなことを思うのである。たまたまオレは進学校と呼ばれる学校に勤務している。そこでは「勉強すること」「大学を目指すこと」は当然のことであり、授業中に静かにすることなど言わなくても生徒たちはわかっている。だから体罰に頼らずにすむだけのことである。

 チャイムが鳴ったら生徒が自主的に席について教材を出して静かに教師がやってくるのを待つのは偏差値60以上の高校である。これが偏差値50程度の高校になると、チャイムが鳴っても教室は喧噪状態のままで、教師が入室してきてから静かになる。そして偏差値40クラスの学校では、教師がきても生徒は喧噪状態のままで、「おまえらいいかげんに静かにしろ!」と注意を受けてやっと一瞬の静寂が訪れるが、すぐに生徒は私語をはじめて教室は騒がしくなるのである。「頭のレベル=教室でのマナー」であり、大学進学がその偏差値との相関性が高い以上、まともな社員を採用したい企業が偏差値の高い大学から採ろうとするのは当たり前のことである。

 偏差値の低い学校の、およそ学習意欲のない生徒たちを静かに席に着かせるために、教師が「体罰」という暴力を使用することを否定した場合、どうやって彼らに秩序を与えるのだろうか。オレはそんなことを思ってしまうのだ。

 高校生がすべて高校生であると思ってはいけない。年齢は高校生であっても発達段階は小学生の場合もあれば、幼稚園の場合もあるし、野獣や宇宙人の場合もあるからだ。分数もわからず、難しい漢字は全く読めない小学生のような高校生。静かにできずに落ち着かないで騒ぐ幼稚園児のような高校生。ムチで調教しないとおとなしくならない野獣と同じく、ぶん殴らないと静かにならない高校生。そして、体罰すら効果がなく、叱られた意味も理解できず、殴られてもきょとんとしている言葉が一切通じない宇宙人のような高校生だって現実にはいるのである。

 ちゃんと高校レベルの授業が行われ、高校の教科書が役立ってる高校というのはおそらく全ての高校の上位2割程度ではないだろうか。それは情けないほど低いセンター試験の平均点を見てもわかる。あの程度のやさしい問題でも平均点は6割程度なのである。過去には古文の問題で単純な係り結びの問題が出たときに正答率が3割程度だったりしたのである。センター試験受験者の中で「こそ→已然形」の係り結びがわかってるものが3割しかいなかったのである。(適当にマークしたら合ったというものを除外すれば実際は2割以下だろう。)基本がわかっていない高校生に高校レベルの教科書を使っているわけで、分数の足し算もできない生徒に微分を教えたりという混乱したことが教育現場では起きているのだ。

 そこに塾や予備校が加わるものだからますます混乱する。基本的な知識や学力のない生徒を訓練によって受験を突破させようとするわけで、ますます生徒たちはいびつな学力を身につけることになるのである。きちっと基本的事項を理解させ、ピラミッドのように美しく積み上げられた体系的知識ではなく、膨大な短期記憶の積み重ねの瞬間的知識で受験を乗り切らせるのが受験産業の基本戦略である。

 教育困難校で教師が体罰しなくてもいいようにするためにはどうすればいいのか。体罰という暴力装置を教師に任せてきたことにそもそもの問題があるのではないか。学校警察官の常駐化を行い、教師がブザーを押して通報すればすぐに警察官が飛んできて指導に従わない生徒を連行して独房に入れ、度重なれば罰金刑や禁固刑などのペナルティを課すくらいしかオレには思いつかないのである。少なくともなんらかの暴力装置がないと、秩序をもたらすことは不可能なのである。「体罰禁止」と声高に叫ぶだけではなくて、学校警察官の常駐化ないし、警察官が無理なら「教育指導員」という名の暴力装置を導入して、問題生徒を力で排除することを可能にするしかないとオレは思うのだ。「静かにしなさい!」と注意する先生に殴りかかってくるようなクソガキが現実には存在するわけで、そういう無法者を前にして「体罰禁止」という理想論は空しい限りである。「教師は一方的に殴られろ」とでも言うのだろうか。そういう生徒をぶん殴れば「体罰」、放置すれば「教育放棄」なのだ。いったいどうすればいいのか教えて欲しいのである。

 とまあこんなことを思ったのだが、部活動の体罰の問題は別だ。おそらくそれはスポーツの世界に蔓延している「勝利至上主義」のせいだろう。勝たなくてもいい勝負事などありえないわけで、指導者にとっては勝つことがステイタスであり、自己実現なのである。部活動の目的が「スポーツを通して部員の成長を見守る」ということではなくて、「選手は使い捨てのコマであり、自分の名誉欲を実現するための道具」と化していて、生徒たちがそれに気付かずに「熱心な指導」と勘違いしている姿はなんだか哀れなのである。


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