江草 乗の言いたい放題
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2008年11月18日(火) 信念の持てない行動ならば最初からするな!        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

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 入学式や卒業式の国歌斉唱の時に起立することは当たり前のことだとオレは思っている。思想信条の問題と儀式の時の礼儀は別である。国家を歌いたくなかったら北京五輪の開会式の少女のように口パクしていればいい。ただ、起立しないというのは、少なくともその式典に参列している保護者や児童生徒から見れば奇異に映るだろうし、ましてやその教員が生徒に向かって「おまえたちも起立しなくていいんだ!」などと扇動しているならば言語道断である。

 国旗や国家なんてものはたんなるシンボルであり、それ自体に罪はない。だいたいオレが小学生くらいの頃はどこの家でも祝日には国旗を掲揚していたし、貧乏なわが家にも大きな国旗があって、玄関のところには旗を差すための金具があった。あの国旗はいったいわが家のどこにしまい込まれたのだろうか?もう40年以上見ていないのである。
 
もしも「入学式や卒業式で起立しない」という行動を自己の信念に基づいて行い、それ自体に大きな意味があると信じるのならば、その行為を行うことが正しいという信念があるのならば、それもまた思想の自由である。しかし、そこで「自己の信念」を押し通すことは、式典に於けるマナーと相反するモノであるし、生徒や保護者には著しく奇異に映るだろう。外国との交流の場で、両国の国旗が掲揚され国歌が斉唱されるとき、日本国の国旗や国歌に敬意を払わない野蛮人は中国人や韓国人だけである。オレはその行為をとんでもなく愚劣なものだと思うのだが、一方でこのような教職員が存在することに対してなんだかやりきれないものを感じるのである。

国歌斉唱時、不起立教職員の情報消去を…18教職員が提訴
 神奈川県教育委員会が、県立学校の入学式や卒業式の国歌斉唱時に起立しなかった教職員の情報収集を続けているのは、思想信条に関する個人情報の取り扱いを禁じた県個人情報保護条例に違反するなどとして、情報収集された教職員ら18人が17日、県に情報の消去と1人当たり100万円の慰謝料を求めて横浜地裁に提訴した。
 訴状によると、県教委は2005年度の卒業式から、国歌斉唱時に起立しなかった教職員の氏名を各校長から報告させた。
 昨年10月以降、県個人情報保護審査会などが情報収集について「条例で取り扱いを禁じた思想信条に当たる」と答申したにもかかわらず、収集を継続したのは条例違反で、一部は不起立を理由に不利な人事評価を受けた、としている。
 県教委はすでに07年4月の入学式までの情報を消去したが、情報収集は継続している。訴えでは、今年3月の卒業式と4月の入学式で収集した情報の消去を求めている。
 県教委は「訴状が届いていないので、コメントできない」としている。(2008年11月18日00時12分 読売新聞)


 この18人に対してオレは言いたい。あなた方は信念を持って命を賭けてその行為を実行したのではないのか。「名前が報告されるとまずい」程度の情けない根性でその行為を行ったのならば、最初からしない方がいい。名前が出ない以上それは2ちゃんねるの匿名の落書き程度の意味しかないのである。あなたがた18人が真に国旗や国歌を式典から追放したいのならば、少なくとも名前を堂々と明らかにした上で主張を展開し、論陣を張るべきではないのか。あなた方が自分の職を賭して戦うというのならその決意には敬意を払いたい。その主張に理があり、多くの人々を納得させることができるのならば立場は逆転するだろう。そして式典での国歌斉唱は逆に禁止されるかも知れない。ちゃんと議論しない以上何も変わらないじゃないか。それを「匿名性を守りつつ」抗議だけはしたいというのは、まるで公衆便所に書かれた「麻生内閣打倒」という落書きみたいなモノである。「人事考課の時に困るから名前は出すな」「ゼニはくれ」というのが要求ならば、なんてケツの穴の小さな戦いだろうか。あまりに情けなくて涙が出るのである。

 教師の中にはさまざまな思想信条を持った者がいる。それ自体をオレは否定しない。オレが最初に勤務した公立高校でもさまざまな思想信条の教師がいたよ。ウヨク教にサヨク教、体教(体育教師)、サボリ教、受験教などいろいろだった。オレは一度うっかり卒業アルバムでヘルメットにタオルで覆面という過激派の学生のコスプレをしたせいでかなり誤解されたよ。もしかしたらオレはゼンガクレン教に分類されていたのかも知れない。それでもいちおう学校としてのまとまりはあった。そうでないと仕事が回っていかないからである。

 ただ、式典は別だ。卒業式や入学式というのは少なくともひとつの伝統的なセレモニーであり、定められた手順に従って粛々と行われるべきモノである。そこで式典の流れをぶちこわすようなことはやっぱりまずいのである。その公立高校にはサヨクの先生が多かったこともあって、国歌斉唱はなかったと思う。国旗の掲揚もなかった。卒業式の国旗掲揚を校長が提案したときに、サヨクの先生方が職員会議でこぞって反対していたことを思い出す。オレとしてはなんであんな布きれにこだわるのかが解せなかったが。世の中にはパンティとかいう女性の下半身を覆った布きれのために命を賭ける馬鹿やそれを盗んで人生を棒に振る馬鹿もいるわけで、オレにすればパンティなんかよりもその中味の方がよほど大切だと思うのである。国旗も同様で、そんな布きれの存在云々よりも、その布きれがどんな意味を持つのかを自分たちがどのように認識し、もしもその布きれが過去に於いて侵略の旗印であった瞬間が仮にあったのだとしても、今は自由と平和、平等の旗印であるという共通認識があればいいじゃないかと思うのである。

 単なる布きれの連隊旗を田原坂の戦いで敵に奪われたことを恥じて乃木希典将軍は自殺しようとした。明治天皇はそれを許さなかった。明治天皇にはちゃんと大切なものが見えていたからである。たかが一枚の布きれよりも、それによって乃木希典将軍という一個の人格が失われることの方がはるかに大きな損失であるという常識的な考え方をお持ちだったわけである。

 それに国歌の「君が代」だって「君=天皇」と狭く解釈するからいけないのであって、「君=自分の大切な存在」と広く解釈することもできるのじゃないか。作者がどういう意図で作ったのかなんて今となってはわからないのである。江戸時代にはこの歌は一般的な祝いの席で祝歌として庶民に歌われていたらしい。婚儀の席で歌われるときは「君」とは新郎のことを指し、新郎の長寿と所帯の安息を祝い祈願する歌として用いられたそうである。だいたい昔の人にとって見たこともない天皇のことなんて誰も想像することもできず、「君」というのは目の前の人だったはずだ。そんな歌を何で目の敵にするんだ。

 上記新聞記事にある「不起立を理由に不利な人事評価を受けた」というのは具体的にどういうことだったのだろうか。まさか懲戒免職になったとかじゃないだろう。仮に処分があったにしても、それほど重い処分ではなかったはずである。しかし、これが民間会社ならば、そこで会社のルールに従わないとか、会社の式典で傍若無人な行動を取るとかいうことがあるならば、場合によっては解雇される可能性もあるだろう。そのことをわかった上でこの18人の方は発言されているのだろうか。オレはそれが知りたいのである。


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