江草 乗の言いたい放題
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2008年01月09日(水) アル中ドライバーは福岡へ行け!        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

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 福岡地裁に川口宰護(しょうご)というとてつもなく狂った常識を持つ裁判官がいる。このオッサンにとって、飲酒運転であっても周囲にぶつからずに走っていればそれは「正常な運転」なのである。交差点を膨らんで大回りしても、見通しのよい橋の上で他のクルマに追突したという事実があっても、それは「脇見による単なる過失」なのである。血中アルコール濃度を薄めるために大量の水を飲んで証拠隠滅をはかったら泥酔もたちまち「単なる酒気帯び」なのである。こんな狂った常識を持つオッサンが裁判官をしているから「市民のまともな判断を入れよう!」ということで裁判員制度が提唱されているのだ。つまり、変な常識を持った裁判官の代表的な見本がこの川口宰護裁判官なのである。この男がひき逃げを行ったために、事故後1時間近く経ってから行われたアルコール検知で「酒気帯び程度の血中アルコール濃度だった」からと証拠に採用するのもオレには信じられない。すべての飲酒ドライバーにとって「逃げ得」を容認した史上最低のクソ判決なのである。こんなクソ判決が出ればおそらく日本中でひき逃げが激増し、新たな犠牲者が生まれるだろう。すべてはこの川口宰護のせいである。こいつを罷免する署名運動をネット上で起こせないモノだろうか。こんなクソが裁判官をしてることのためにどれほどこの世は卑怯な行為が横行する腐った世の中になってしまうのだろうか。

 オレは「危険運転致死傷罪」というのは、飲酒運転をしているすべてのドライバーに自動的に適用されるものだと思っていた。飲酒運転が事故の原因なのに、通常の事故と同じく「業務上過失致死」が適用されるのはおかしいということで制定されたのがこの法律である。もっともオレは飲酒による死亡事故の場合は「殺人罪」こそ適用すべきだとこれまで主張してきているのでこんな法律程度ではまだまだ生ぬるいと思っているのだが。ところがこの川口宰護裁判官の価値観では、「飲酒をしていてもおおむね通常の運転ができていればそれは問題にしない」ということなのである。こんな素敵な裁判官がいれば、飲酒運転のドライバーにとっては天国である。アル中で運転中も片時も酒を離せないような人にとって、今すぐ福岡県に引っ越すというのがもっともいい選択肢だろう。福岡地裁が日本一寛大な判決を下してくれるからだ。

 この今林大被告に対してなぜこのような寛大な判決が出たのか、どうもこの判決には何かの政治的判断が含まれてるような気がしてならないのだ。なんらかの裏取引が行われてこのような政治決着がついたような気がしてならないのだ。もっとも証拠があるわけではないし、すべてオレの憶測に過ぎないのだが。

さて、この川口宰護というオッサンの考えた判決理由に対してオレなりの反論をしてみたい。オッサンは危険運転の要件として「正常な運転ができない可能性がある状態では足りず、現実に道路・交通状況に応じた運転操作が困難な心身状態にあることが必要」としている。さて、すべてのドライバーは運転中の100%の時間「正常な運転」ができているだろうか。たとえばオレは美女が歩道にいるとついつい脇見してしまう。その時は明らかに前方を注視するという義務をオレは欠いているわけだ。ほんの0.5秒程度であっても、オレは瞬間的には正常な運転をしていないことになる。しかし、残りの99.9%は正常な運転をしているわけで、その結果オレは事故を起こしていないのである。オレが交通事故を起こしていないのは単なる結果に過ぎず、もしもオレが交通事故を起こせば「業務上過失致死傷」という罪名が付くわけである。どういうことを言いたいのかというと、「ちゃんと運転できていた時間もあったから、正常な運転ができた」というこの川口のオッサンの判断の乱暴さである。運転操作のうち、正常に出来た部分が何%であったとかそもそも判定可能なのか。100%正常じゃないのなら、そもそも発進できないから事故を起こしようがないじゃないか。アホか!とオレは突っ込みたくなるのである。

 たとえばオレにとっての正常な運転というものは、左右のドアミラーに注意を払い、タコメーターのエンジンの回転数を常に把握し、バックミラーを一分間に3,4回確認し、周囲のクルマの状況を常に性格に掴みつつ、歩道からアホなクソガキが飛び出してきたら急停止できるように注意を怠らない。これが「正常な運転」なのである。

 泥酔していた今林大にいったいどれだけ安全な運転が出来るのか。もしもそんな主張を行うのなら、同じ量の酒を飲ませて、自動車教習所のコースを走らせて実験した上で「この程度の酒の量なら正常に運転できる」という主張を行うべきだろう。その橋まではぶつからずに来られたからといって、そこまで正常な運転をしていたということを証拠にはならない。いくらそこまで正常な運転だと主張しても、その橋で追突してる以上やはり正常な運転とは言えない。もしも正常な運転ができたのなら橋の上で追突しないで完全にかわすことができたはずである。実際に追突した馬鹿を前にして「そこまでは正常な運転が出来た」などと詭弁を弄するのはやめてもらいたい。事故というのはすべて一瞬の判断の誤りで起きるのだ。その一瞬こそが大事なのであり、その一瞬が過失によるものなら「業務上過失致死傷」飲酒が加わればすべて「危険運転致死傷」とすべきなのだ。

 しかもこの今林大は、証拠隠滅のための行動を取っている。人命救助よりも自己保身を優先させた最低の人間のクズだったのである。危険運転致死傷罪の最高刑が25年ならば、それにこの罪を加えて「死刑または無期」が望ましいとオレは思っている。

 以下の部分でこの事件に関するアサヒコムの記事を引用しよう。

3児死亡事故、被告に懲役7年6カ月 危険運転適用せず2008年01月08日11時09分
福岡市東区で06年8月、幼児3人が死亡した飲酒運転事故で、危険運転致死傷罪と道路交通法違反(ひき逃げ)の罪に問われ、懲役25年を求刑されていた元同市職員・今林大(ふとし)被告(23)の判決公判が8日、福岡地裁であった。川口宰護(しょうご)裁判長は危険運転致死傷罪の成立を否定したうえで、予備的訴因として追加された業務上過失致死傷罪などを適用。業務上過失致死傷と道交法違反の組み合わせでは最高刑に当たる懲役7年6カ月を言い渡した。
 川口裁判長は危険運転致死傷罪の要件である「酒の影響で正常な運転が困難な状態」について「正常な運転ができない可能性がある状態では足りず、現実に道路・交通状況に応じた運転操作が困難な心身状態にあることが必要」と判示した。
 そのうえで本件を検討。被告の飲酒量については検察側の主張通り、自宅や居酒屋、スナックで缶ビール1本と焼酎のロック8〜9杯、ブランデーの水割り数杯を飲んだと認定した。が、事故後の飲酒検知は呼気1リットルあたり0.25ミリグラムで酒気帯び程度だったことなどから「泥酔状態」との検察側主張を退けた。
 そして「被告はスナックから現場まで約8分間、普通に右左折やカーブ走行を繰り返し、蛇行運転などの事実は認められない。事故直前も衝突回避措置を講じており、正常な運転が困難な状態にはなかったと強く推認される」と述べ、故意犯である危険運転致死傷罪の成立を否定。事故原因を脇見運転と認定したうえで、「過失程度の大きさ、結果の重大性、酒気帯び運転とひき逃げの悪質性から、刑の上限に当たる7年6カ月が相当」と量刑理由を述べた。
 川口裁判長は「一生かけて罪を償ってほしい」と説諭。今林被告は即日収監された。
 公判では、被告が「正常な運転が困難な状態」にあると認識しながらあえて運転したかどうかや、事故当時の酔いの程度が争われてきた。
 検察側は(1)居酒屋の店員に「酔うとります」と言った(2)現場直前の交差点を大きくふくらみながら左折(3)見通しのよい直線道路なのに約12メートル手前まで被害車両に気付かなかった、などを挙げ、「被告は正常な運転が困難な状態にあり、かつ、その認識があったのは明らか」と訴えていた。弁護側は、飲酒検知結果などに基づき危険運転致死傷罪を否認。脇見運転が原因と主張し、量刑の軽い業務上過失致死傷罪の適用と執行猶予を求めていた。
 地裁は結審後の昨年12月、予備的訴因として業務上過失致死傷罪と道交法違反(酒気帯び運転)の追加を福岡地検に命じた。地検は追加に応じたが、危険運転致死傷罪を適用すべきとの立場は変えておらず、控訴を検討するとみられる。
 同地検の吉浦正明次席検事は「判決を子細に検討したうえで上級庁とも協議して適切に対応したい」、弁護側は「判決を厳粛に受け止める。主張が受け入れられていない点も多々あり、残念」とのコメントを出した。
 判決によると、今林被告は06年8月25日午後10時50分ごろ、福岡市東区の「海の中道大橋」で、乗用車を時速100キロで飲酒運転。大上哲央(あきお)さん(34)のRVに追突して海に転落させ、長男紘彬(ひろあき)ちゃん(当時4)、次男倫彬(ともあき)ちゃん(同3)、長女紗彬(さあや)ちゃん(同1)を水死させ、哲央さんと妻かおりさん(31)にも軽傷を負わせて現場から逃げた。


 実は12月中に2件の「危険運転致死傷罪」の判決が他の裁判所で出ている。どちらもこの事件に比べて加害者の責任が特に重かったとは思えない。どちらかというと、この事件の今林大被告の方がはるかに行為は悪質である。しかも今林被告は公務員という職にありながらその事故を起こしており、より重い量刑が適当であるというのは市民感情からも十分に納得できる。それにも関わらず、オレにしてみればもっとも最近の飲酒運転事故の中では特に悪質なこの事件で危険運転致死傷罪が適用されなかったということに対して、激しい怒りを覚えるのだ。

 オレがいつもこの日記で訴えることは裁判官というものの立場である。裁判官というのはこの世で唯一、正義を自分の手で行使できる存在ではなかったか。オレのようなただの文句タレのオッサンがいくら正義を語ったところで、それはただ語ってるだけなのである。現実に正義を行使できるのは裁判官しかない。オレにできるのはせいぜいセイギではなくてセイキ(性器)を行使するくらいである。

 たとえば国政選挙の一票の重みにはかなりの格差がある。田舎ほど一票の価値が重く、都市部では軽い。オレはそんな状態は不公平だと思っている。しかし、これまでに有権者が一票の不均衡を訴えた裁判で、選挙そのもののやり直しを命じた判決はない。裁判官には「こんな不平等な選挙定数はおかしい」という事実を提示して、真に公正な選挙を実現するという力が備わってるのだが、誰もそんな力を行使しない。彼らは自分たちが正義を実現できる唯一の存在であるのに、正義なんてものに背を向けているのだ。なぜか?ただの自己保身である。政治権力に逆らうことを単純に彼らは怖れるのである。正義なんかどこかに置き忘れてるのが今の腐れ裁判官どもの実態なのだ。

 政治家の収賄、マンションの構造計算書の偽装、環境破壊だけをもたらす無意味な公共事業、そういったこの世にはびこる金持ちや権力者の悪に対して、断固として「NO!」と言える力を持つのは裁判官だけなのだ。彼らこそもっとも強い正義感を求められる存在なのだ。ところが現実にはそうではない。オレはそのことが残念でならないのである。もしもオレが30年時間を戻してもう一度大学生をやれるのならば、法学部に入り直してロースクールに進んで正義の裁判官や弱者の味方となる弁護士となって、この世に正義を訴えたいと思うのだ。いや、今からでも遅くない。もしもオレが投資で大儲けできて、これから先の家族の生活の心配がないくらいの巨額の財産が手に入れば、そのときは50の手習いでロースクールで学び直すのもいいかも知れない。かなり記憶力は鈍ったが、それでも新制度の司法試験の勉強に耐える能力はかろうじてまだ残っているだろう。今、正義を実現する裁判官がただの一人もいないのならば、自分がその一人になるしかない。

 この日記を読むすべての人がオレの訴えを理解し、そして司法試験を志すすべての法学部やロースクールの学生たちが正義の意味を理解してくれるなら、きっと世の中はよい方に変わるはずだ。オレがこの日記を書き続け、常に正義を訴えるのはその夢を捨てていないからだ。今回の裁判、なんでこんな判決なんだと怒った方はどうか一人でも多くの方にこの日記を教えて、多くの方にオレの叫びを届けて欲しい。


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