江草 乗の言いたい放題
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2007年12月12日(水) 江草の大学改革試案        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

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 今の日本に大学は多すぎる。オレははっきりそう思っている。そして、多すぎる大学が実は国民を限りなく貧しくしてるということに誰も気づいていない。そういう観点で語られる論考をオレは読んだことがない。そういう部分からオレは今日書いてみたい。

 入学試験の偏差値の高い大学ほど高学歴高収入の家庭の子弟が多いと言うことは昔から言われてきたわけだが、逆に入学試験の偏差値の低い大学には、平均レベル以下の家庭から多くの学生が進学することになる。するとどういう現象が起きるのか。それは教育費の負担が重すぎるという現象である。大学の入学金や授業料は4年間で約500万、そしてその間の生活費などの重い負担が親にのしかかるのである。住宅ローンの返済にあえぐ親にさらにこの負担がのしかかることはますます親たちの生活を圧迫する。もちろん奨学金などを利用するという方法もあるが、この奨学金を踏み倒してる連中が増加していて、貸し倒れになった金額が2000億という話を聞くとどうやらその制度も破綻寸前だ。つまり、レベルの低い大学を作りすぎたために、その負担で社会は青息吐息の状態になってるのである。もしもそういう大学をなくせばどうなるか。社会は安価な若年労働者を大量に手に入れることとなり、親たちは学費や仕送りの負担から解放される。また、若者の就職や自立が早まると言うことで、晩婚化に一定の歯止めがかかることとなる。つまり、大学を思い切って減らしてしまうことは長い目で見れば社会にとってプラスになるということだ。

 もう一つ、大学が増えすぎて困ることは社会における労働者の構成比率である。実際の社会では現業部門で働く多くの労働力を必要とするわけだが、その人たちが大学を出ている必要があるとは思えない。いや、事務職でさえもそうである。それは地方公務員の中に大学卒業という事実を隠して採用試験を受験しているものが大勢いて処分を受けているということでよくわかる。そんなことなら最初から大学に行く必要はなかったのである。大学進学率が向上することは、高卒で就職する層の質的低下につながる。大学に行く意欲のない層しか残っていないということは、やる気がなかったり遅刻や欠勤が多かったり学力が低かったりというグループが高卒で就職するということにつながる。(実際は高卒で就職する人のたちの中にも優秀で勤勉な人はかなりいるのだが、平均的に見ればやる気のない者の方が多いということになる。)すると企業側は「高卒はダメだ」ということになってしまう。そのために高卒で就職すべき人材が、大学という4年間の回り道をしてきて、そのために親たちに無用の負担を与えてしまうのである。全く不合理な話である。

 また、やたら増えた中身のない大学にも文部科学省は補助金を出している。全くばかばかしい話である。大学生同士のケンカの末に殺して埋めたあの東大阪大学とか、ラグビーをやってるのか大麻をすってるのかわからない関東学院大とかにもちゃんと補助金はたっぷり出ている。大学の4割が定員割れで、選ばなかったらどこかに入れるという時代、分数の計算ができなくても大学生にはちゃんとなれるわけで、その質の悪さといったらもう想像を絶する状況らしい。講義中の私語雑談は当たり前、メールを打っている者やDS、PSPで遊んでる者までいるとか。高校と違ってそれを厳しく注意されることもない。つまりクソ学生であってもちゃんと授業料を払ってくれるお客さんなのだ。そういうわけで大学と言うよりはニート収容所と呼ぶにふさわしい施設がいたるところに乱立してるのである。社会はこんな連中を遊ばせるために高いコストを支払ってるのだ。全くばかばかしい話である。

 オレはそういうレベルの低い大学はつぶせと思う。どんどんぶっつぶしてしまえと思っている。極端な話、大学生を無作為抽出で試験して一定レベルに達しない場合は問答無用で取りつぶし、解散ということにしてしまえと思う。そうやって毎年大学の取りつぶしというか予備校への格下げを行えば、少なくとも大学教育は今よりもまともになるだろう。まずは数を減らすこと。今の半分の数にするだけでかなり大学生の質は向上するはずだ。高卒者ばかりになって不安が残るならその分専修学校とかの職業教育に力をいれればいい。もっとも職業科を減らして大学受験を前提にした全日制普通科ばかり作った高校側の状況にも問題がある。高卒で就職することを前提としたコースをもっと設置するべきなのだ。たとえば職業的ドライバーを養成するコースなんてものを高校で設置したらどうか。コンビニ科、ファミレス科なんかもいい。ユニクロやしまむらに就職するためのコースなんてものを高校で設置してもいい。企業が丸抱えの高校をもっと増やしてもいい。トヨタ高校や日産高校、日立高校、東芝高校なんかを作って現業部門の労働者を養成すればいい。CANONはあのクソ社長のことだから派遣社員で間に合わせようとするだろう。そこだけは論外だ。

 こんなに大学を増やせばどんなことになるか・・・そういうことについてゆとり教育を推進したあの馬鹿の寺脇研をはじめとする文部官僚どもはわかっていたのだろうか。増えすぎた大学は勉強しなくても進学できるという状況を生み出し、過重な学費負担は親たちの貧困化をますます加速し、やる気がない大学生の群れはその後大量のニートを生み出してるということに気づいていないのだろうか。

 どうすれば大学を減らせるのか。簡単なことである。入学定員を満たさないところ、学生が一定の学力レベルに到達しないところの補助金をカットして兵糧責めにすることで倒産を加速することだ。そうすれば経営の立ちゆかない大学がどんどんぶっつぶれて自然淘汰が進む。大学教員がセクハラ事件を起こしたところ、学長が変態だったところなども同様に補助金削減の対象にする。つまり教員の質を向上させられないところもまた弾圧するのである。そうやって数を減らせば自然に入学試験の学力偏差値は向上するはずだ。

 かつて日本の大学生は優秀だった。大学進学率が10%くらいだった時代、大学生になることは社会のエリートであることを意味したはずである。今は誰でも大学生になれる。全く受験勉強をしなくても大学生になれる。分数の計算ができなくても、カタカナが読めなくてふりがなをふってるような超弩級の馬鹿でも大学生になれる。そんな学生しか集められない大学を設置させてしまった文部科学省にも責任の一端はあるし、大学の設置ということが一つの公共事業であり、イナカモンドリームの実現であったというこの国のあきれた社会状況も一因だろう。ただ、間違った状況は速やかに改善されるべきだ。馬鹿しかいない大学に補助金が浪費される現状をオレは許せない。オレの払った税金が、講義中に大声で雑談しDSやPSPで遊ぶような馬鹿大学生のために使われることなど断じて許したくないのである。


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