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| 2003年10月27日(月) ■ |
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| 元福井高校・宮下くんのこと。 |
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2000年6月のある日、練習試合を見に、福井高校のグランドへ行った。強烈に印象に残るピッチャーがいた。5回1/3を投げ、11奪三振6四死球。6連続三振を奪ったかと思ったら、三連続四球。体格も良く、なんかドロンと落ちる変化球が決まった。ボールもそこそこ速い。安定感はてんでないけど、この子は主戦かそれに相当する二番手だろうと思った。そこで、福井高校の父兄さんに、「あのピッチャーは、何という名前なんですか?」と聞いたら、「宮下じゃないですか?」という答えが返ってきた。まだ1年生だという。
その日から、ことあるごとに、福井高校の宮下くんを雑誌やネットで探し始めた。自分の見る目がすべてとは言わないけど、あのピッチングみたら、「いつかは注目される選手になる」と思ってしまう。結局、彼の名前を目にすることはなかった。後に福井の高校野球を見るようになり、福井大会のプログラムを手にするが、そこでも載っているときと、そうでないときがあった。エースは下級生だった。
そして、私に“東山しか見えない夏”が来た。49代表校がようやくそろったころ、福井高校の甲子園出場を知った。あの日、福井の父兄さんによくしてもらった私は気が高揚して、「甲子園で会いましょう」なんて言ってしまったのだが、まさか実現するとは思わなかった。3年生になっていた宮下くんは、ベンチに入りしていた。でも、背番号は二桁。この2年間で、四球の数を減らすことが出来なかったのか、何かアクシデントがあったのか、あのときがピークだったのか、エースがもっとすごいのか…どんな推測も結果の前にひれ伏せてしまう。案の定、緒戦を戦った福井はエースが活躍し、注目された。これで、私は“宮下くんの文字を追う”ことを終えてしまった。
ところは、今朝、何げなく去年の甲子園の雑誌を見ていると、彼の名前を見つけた。福井高校が大敗した帝京戦、5回から登板して最後まで投げていた。記事を見て、あのときのどろんとした球がフォークだと知った。記録は、4回1/3投げて、奪三振4、四死球は1だった。
今頃気づくなんて、あまりにも遅すぎるのだけど、「ああ、試合にでれたんだ。甲子園で投げれたんだな」と、彼のインタビュー記事の文字を追いながら、妙な感慨に浸ってしまった。今はどうしてるのだろう。野球、続けてるかな?
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