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| 2002年04月02日(火) ■ |
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| 一人でいたくないときの思い出 |
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今日、急遽、晩から大津でともきちと飲むことになった。私は、自分のペースがくずされるのがイヤなので、基本的には急遽予定を入れるのはあまり好きではない。でも、飲みに行くのがメインで、相手が我が相棒・ともきちであれば話は別。ダルい仕事の後、バスとJRを乗り継いで大津に向かった。
誰にもきっと、「一人でいたくないとき」というのがある。今日のともきちはおそらくそうではなかったのかと思う。いつになく、たくさんの酒を飲み、胃袋に食べ物を詰め込んでいた。(それでも、私のそれには及ばないけれど(^^;))
2時間ほど居酒屋で粘ってから、酔いさましに琵琶湖方面に向かった歩いた。気心しれた相手と飲んで、ほろ酔いのいい気分になると、なぜか笑いばかりがこみ上げてくる。
道中の神社で、満開の桜がライトアップされていた。私たちはおぼつかない足でふらふら〜と境内に入り、飽かず桜を眺めていた。やっぱり桜はきれいだな。酔っぱらって頭がボ〜っとしていたにもかかわらず、はっきりとそう思った。
今日はともきちだったが、私にもやはり「一人でいたくないとき」があり、ともきちに何度かおつき合いを願っている。
そのうち、たった1回野球が絡んだときの話を今日の日記としたい。
1999年夏、ノストラダムスの予言も無事外れ(?)、甲子園出場校を決める京都大会が始まった。
当時の東山は、前評判のそれほどよくないチームだった。事実ずっと見ていた私も、「こりゃ、1回戦突破がいっぱいいっぱいかな。良くてベスト8くらいやろ」と考えていた(ほんまにごめんんなさい!)。
案の定というか、思いの外というか、初戦は大苦戦した。終盤まで相手校にリードを許し、父兄さんからも「ここ(舞鶴球場)で(夏が)終わるんか?」という不安に声が聞かれた。そういえば、3年前もここでよもやのコールド負けをくらっている。イヤな予感ばかりが脳裏を覆う。
しかし、終盤、相手校がスクイズ失敗をして、追加点を取り損ねた。そして、その後にチャンスを生かし、どうにか逆転をした。いまだに、「もし、あのスクイズ失敗がなかったら…」と思ってぞっとする。
生き返った東山の快進撃はここから始まった。3回戦こそ危なげなく勝ったものの、4回戦は逆転再逆転の大乱打戦、ベスト8では京都西、ベスト4では平安を逆転で下した。夢のような、ドラマのような、嘘みたいな試合展開が続いた。
これぞ、まさにミラクル。甲子園行きの確立は、50%。ついにここまできた。信じられない気持ち、この勢いで(甲子園に)行けるんじゃないかという思い、でももし負けたときのことを考えてはやる気持ちを自制する。
試合消化数に比例して、観客数が増えていく。今までどこに隠れてたんやと思うくらいおびただしい数の女子高生、一般生徒、懐かしいOBや父兄さんの顔、顔、顔…。
みんなで甲子園に行きたいなあ。2年前の先輩たちの思いとともに、そして、この西京極で涙を飲んだ数多くの選手たちの思いとともに。 神様、お願いします。
結局、勝利の女神は東山には微笑まなかった。ミラクルという名で賞された「99夏」はどうやらベスト4でピークを迎えていたようだ。8ミリフィルムに収められていた「東山高校甲子園への道」は、最終章だけ何らかのアクシデントでひきちぎられたかのようだった。唐突に終わったドラマ。決勝戦、勢いを無くした選手の背中も見ながらふとそんな言葉を思い浮かべた。
もちろん、負けたのは、相手校の方が上手(うわて)だったからに違いない。心の片方でそれは納得している。でも、もう片方は唐突に終わったドラマに戸惑っていた。体を半分引きちぎられた。ちょっとオーバーに言うとそんな感じだった。
一人になるのが怖かった。明日がくるのが怖かった。もう少し、あともう少しだけ、この夏に浸っていたかった。
この夏、選手から教えてもらったことはあまりにも多かった。
社会に出て、仕事を転々としていた私は、いつも自己嫌悪にさいなまされていた。失敗や先走りばかりして、いつまでの進歩のない自分がイヤだった、もう投げ出したいと思っていたし、自分に胸を張って歩ける「明日」など来ないと思っていた。そしてまた、そんな風に考える自分のイヤだった。
失敗しても、失敗しても、チャンスはある。勝負は最後の最後までわからない。人は自分の出来ることしかできない。でも、それですら素晴らしいパワーを生む。自分の役割をしっかり果たす。自分に出来ることは何か。自分が自分であればいい。
夏が来る前は、試合を見て、自分の立場の嫌悪感から逃避していたように思う。でも、夏の試合を見始めてからは、「自分のやらなきゃいけない」→「自分のやってみたい」→「きっと出来る」に変わっていった。
甲子園という大きな球場で、たくさんの観客に見守られてグランドを走り回る選手を見届けたら、私も応援生活にピリオドを打ち、もう一度就職して、人並みの社会人としてやってみよう。1回や2回のエラーが何さ。
だからこそ、甲子園に行きたかった。今にして思うと、それもものすごいエゴのような気がしないでもないが、何かにつけて消極的な私は何かきっかけが欲しかったのだ。 この日、当時バイトをしていた飲み屋に電話をし、「1時間ほど遅れる」旨を伝えると、ともきちともう一人の友人と3人で、脱力したまま、ちょっと早めの夕食を取った。「休む」ではなく、「遅れる」と言ったのはきっと選手たちの活躍が頭にあったからだ。 何を話していたかはほとんど覚えていない。ただうわごとのように「明日からどうやって生きていこう」と言っていたのは記憶にある。
「一人でいたくないわぁ」という私に、ともきちが「バイト終わったら、うちにおいでぇや。泊まっていき」とありがたい言葉をかけてくれた。
家に帰っても、家族がいるので一人ではない。そして、母あたりは「東山、残念やったね」と声をかけて、もしかしたら、私の好物のサーモンのお刺身あたりを買ってきてくれているかもしれない。
でも、やはりダメだった。独りではない孤独感というものもある。この日は、同じ球場で同じ思いを抱いた人に側に居て欲しかった。やはり、それはともきちしかいなかった。 夏休みとあって、店にはようけお客さんが入った。忙しく走り回りながらも、試合終了のサイレンが頭から離れない。座敷席の年輩の男性客が、京都大会に決勝戦の話をしていた。「東山がなんたら」とかいう声がときどき耳に入ってきた。
早く仕事を終えて、電車に乗り込みたかった。仕事終了時間は、午後11時。時計は10時59分を指しており、11時になった瞬間に押そうと、タイムカードを手に時計とにらめっこしていた。
そんなとき、さっきから気になっていた泥酔状態の若い会社員が、目の前の思いっきりリバース。「ウギャ」。思わす奇声がもれる。汚いとかどうこうより、「この時間帯に吐くなよ〜。帰れへんやんけ」という思いの方が強かった。ツイてないときはとことんついていないんだなあ。客に飲ませる水をコップに注ぎながら、痛感した。
ともきちの家に着いたら、深夜1時前だった。真夜中にかかわらず、快く迎えてきれたともきちママには感謝の言葉に尽きる。
夜中、ともきちが撮っていた東山の試合のビデオを見て、時間を費やした。明日になれば、元気になるから。ブラウン管の向こうの選手の活躍とこれからに思いを馳せていた。
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