| 2004年10月19日(火) |
ミャンマー頑張れミャンマー |
ミャンマーでクーデターがありましたね。 そこで、一言!!
アウサンスーチー氏 ね。
なんてなーハハハハハハ☆
一瞬、期待しちゃった・・・。ゴメソ 穏健派の人が拘束だっつうから。
いやー・・・。 ま、その、なんだ。 ルビー目的でミャンマー(ビルマ)の事を調べてからねー ノーベル平和賞なんてものが、いかに胡散臭いかを知ったからね。
さて、そこで解りやすくビルマの歴史です。
ビルマという国ですが、昔は『王国』でした。 王家があったんだよね。 けれど、植民地を求めるイギリスとの戦いで負けました。
イギリスは国王をインドの山奥に島流しなどなど追放し、犯行の芽となりそうな王族をすべて処刑した。 そして王女は英植民地軍兵士の愛人にされて貧困の中で死に、その娘、つまり国王の孫娘ツツは、最貧困層に身を落とし、造花を売って生計を立てている・・・。
これだけでもイギリス嫌いとして有名なんですが、さらに↓
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 敬虔な仏教徒で、しかも単一民族国家という扱いにくい国を英国は好きに作り替えた。 華僑を入れ、イスラム系インド人を入れ、さらにモン、カチンなど周辺山岳民族を山から下ろしてキリスト教に改宗させ、ビルマをわずかの間に多民族、多宗教国に変えたのだ。 こうすればインドで実験済みの分割統治が可能となる。 民族、宗教の対立をあおって争わせる、あれである。 だから戦後、主権を取り戻したビルマ人が直面したのは経済、金融を握る華僑、インド人、そして軍隊を掌握する山岳民族との対決だった。 それでネ・ウィンは鎖国令を出した。 貿易を止め、自給自足経済になって、商売のうまみがなくなった華僑がまず出て行った。 次がペイオフ令だ。一定額以上の銀行預金は没収し、ともに貧しく生きようというわけだが、高利貸のインド人にはコタえた。 たんす預金にすると今度は紙幣改変をやる。旧紙幣は廃棄だからどうしても交換する。 また一定額で切られる。インド人も出て行った。 最後に残った山岳民族とは長い戦いを経て、同じ仲間だから五族共和でいきましょうとなった。 その証に国名をビルマ族の国ビルマからミャンマーに改めている。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
そんなわけでー。 ビルマはイギリス大嫌いなんだってば。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
そういう過去があるからビルマは独立するとすぐに英国のにおいのするものはすべて排斥した。ヤンゴンの外語大も、英語を教科から外し、日本語を入れた。交通ルールもそのときに英国流の左側通行から右側通行に変えた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
これくらい嫌い。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 1942年、アウン・サン将軍がビルマ独立義勇軍を率い日本軍と共に戦いイギリス軍を駆逐。しかし今度は日本が占領し軍政を布いた。その後インパール作戦で失敗を繰り返すなど日本の敗色濃厚とみるやそれまで日本軍と行動を共にしていたアウン・サン将軍はビルマ人の国を守るためイギリスについて抗日運動を指導した。日本軍に勝利したもののイギリスは独立を許さず、再びイギリスの植民地となった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
まあ、あれだ。 イギリス嫌いでイギリスを追い出したくて日本と手を組んだと。 でも敗色濃厚になったら連合軍側についたと。 ・・・アウン・サンとはスーチの父だ。 ビルマを守るためには、まあ、仕方の無かった事だと思う。
『日本と戦うくらいなら死んだ方がましだ』という部下が沢山いた事も、われわれは忘れてはならない。・・・とか。
アウン・サンについて調べると・・・あらまあ、まあ。 イギリスを追い出そうと運動をして日本に亡命。 仲間とともに日本の軍隊の指導を受けて、会戦後、日本と共にビルマ独立すべく司令官に。
日本を裏切って、嫌いなイギリスを含む連合軍に加わり、イギリスの植民地に戻ってと・・・・
まあ、こんな人が後に暗殺されちゃう訳です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まあ、敵は多そうですね。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4569630588.html ビルマ独立に命をかけた男たち
こんな本とか読みたくなりました。
序章 私にとっての「大東亜戦争」 第1章 ビルマとの不思議な縁 第2章 父の戦中・戦後 第3章 テイン・マウン氏の熱き想い 第4章 日本人との深い信頼関係 第5章 南機関と志士たち 第6章 独立に向けての悪戦苦闘 終章 悲しい結末
そして今。 ↓
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
国父アウンサンの暗殺後、英国に渡ったきりの一人娘スー・チーが三十年もたって英国人の妻になって戻ってきたとき、ビルマ人は正直、戸惑った。彼女は英国人になりきっていたからだ。
「政治集会やデモの場合、どこの国もそうだが、ここも届け出制にしている。しかし、彼女は故意にそれを無視する。政府がたまりかねて規制すると『民主主義を弾圧した』と騒ぎ立てる」(山口洋一前ミャンマー大使)。骨の髄まで嫌みな英国人なのである。
英国に次いでビルマの人々は中国を嫌う。中国人は植民地時代に入り込み、英国人のよき手先となってビルマ人を搾取した。英国人が引き揚げたあとも彼らは居座って経済実権を握り続けた。
ネ・ウィンが鎖国政策をとったのも、ビルマ経済を停滞させて商売のうまみを消し、彼らが愛想を尽かして出ていくのを待つ、という意味があった。
だから生活は貧しく不便だったが、国民は我慢した。それが自分の国を取り戻すためだと知っていたし、同じような状況のベトナムが華僑追放という強制手段を選んで、戦争(中越紛争)に巻き込まれたのよりは、ましな方法だと認識していたからだ。
しかし、中国人はビルマ乗っ取りにもう一つ、手段を講じた。共産ゲリラの侵入だ。彼らは社会不安をあおりながら南下し、七〇年代にはヤンゴンのすぐ北のペグーにまで進出した。
これを掃討したのが今の政権を担当するタンシュエである。
中国人といえば、タイの華僑もしたたかだ。モン、カチンなど山岳民族をけしかけてビルマ人政府と対立させ、武器弾薬を売ってはチーク材を手に入れていた。「中国」というだけでビルマ人は顔をしかめたものである。
ところが九七年に当時のD・エーブル計画経済相に会ったとき、側近から「中国の批判は避けてほしい」といわれた。
スー・チー問題を口実に欧米がミャンマーに経済制裁を科し、日本が右にならえをしていたころである。この国の経済はそれでほぼ破綻しようとしていた。
その窮状に援助の手を差し伸べたのがほかならない中国だった。
“英国人スー・チー”に屈するのか、嫌いな中国の援助を受けるのか、究極の選択を強いられたビルマ人は結局、中国を選んだ。
今、ヤンゴンの表玄関、イラワジ川にかかる鉄橋が中国の支援で建造された。
ネ・ウィンと国民が死ぬ思いで耐え、そして出ていってもらった中国人がそれを渡ってわんさと戻ってきた。王都マンダレーの街中には漢字の広告が大威張りで立ち並んだ。中国の経済植民地化にもがくミャンマーの姿である。
だから、中国の批判をこっちが言えば、政府首脳は何とも答えられない。「その辺のところを察してほしい」というわけだ。
そのミャンマーに、もっと苦しいはずのユーゴが三千万ドルもの経済援助を約束した。
妙な話には裏があって「実は日本から巨額のODAを引き出している中国が背景にいて」(本紙バンコク特派員電)、ユーゴを迂回して援助しているという。
中国政府は強い調子でこの説を否定するが、日本のカネが回り回ってミャンマーのクビを締め上げているのは間違いない。
腹に一物も二物もある国々の言いなりになっていれば、日本はいい子でいられる。でも、そのおかげでどこかの国が今、植民地になろうとしている。
【高山正之の異見自在】ミャンマーの悲劇 どこかの国が「いい子」のせいで…
ttp://kaz1910032-hp.hp.infoseek.co.jp/130120.html
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
スーチーはイギリスの犬って事だ。 民主化運動の戦う女神よろしく、ノーベル平和賞だぁ??? ほっとけば、軍事政権でうまくいっている国を、混乱させている存在が平和賞!? そんな賞で軟禁を解こうとする白んぼめ・・・。
それにしても、イギリスは相変わらず嫌な国ですね・・・。
ミャンマーの軍事政権はうまくいっている。 だが、それを認めない国が多すぎる。 民主主義じゃなければ気持ち悪いとの考えは、宗教に悪酔いしているようなもんだ。 一番、健全な政権は賢人の独裁政権なのさ。 ただ、矛盾があって賢人は独裁を好まないのさ・・・。 民主主義は不完全で頭の悪い政権だと言われている。 じゃあ、なぜ、皆、民主主義という政策を取るのかというと、それよりも良い政策が無いからだ。 欠陥だらけだが、それが一番『まし』という事なのだ。
だから、軍事政権でひどい政治にもなれば良くなる場合もある。 ミャンマーは良い例とされる。
中国に狙われているのもあるしね!! なんとかしたいよミャンマー!!
せめてEUと中国の奴等が、日本のODAをミャンマーに送るルートをつぶしたい。 ミャンマーが奴等に頭が上がらないのは屈辱だろうて・・・。 中国のODAを止めて、直接ミャンマーに送りたいな。はあ。
こないだ町村外相は何をやってきたのかしら・・・
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− スーチーさん解放要求 町村氏、ミャンマーに
【ハノイ9日共同】町村信孝外相は9日、ハノイ市内でミャンマーのニャン・ウィン外相と会談し、ミャンマーのアジア欧州会議(ASEM)加盟を歓迎する一方、「今後はすべての関係者が関与した形で民主化プロセスが進展することが重要だ」と指摘、民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんの自宅軟禁解除を要求した。またミャンマーへの入国が認められていないラザリ国連事務総長特使の入国を認めるよう求めた。 ニャン・ウィン外相は「政府の民主化案(ロードマップ)のゴールに向かって現在努力しているが、口で言うのは簡単だが、なかなか難しい」とした上で「ミャンマーに批判的な欧州諸国も、干渉ではなく民主化の後押しをしてほしい」と述べた。 (共同通信) - 10月9日21時16分更
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
調べても糞アカ共同の記事しかないので検証が出来ない・・・。チッ
願わくば。 スーチーは開放して余計な欧州の干渉を防いで、スーチー抜きの民主化に手を貸す、とかいう内容だったら良いなあ、と願う。
|