取材に行く、仕事柄。 リサーチをする、原稿のため。
バインターに紙をとじて、 汚い字だけれど、愛と夢の詰まった原稿を書く 素粒子がそこにある。
そのバインダーのはさむ部分には テプラが貼ってある。
それが、 「志高く、腰低く」
という言葉だ。
取材に行くときはそこにいる誰よりも低い立場に立って、 しかし、欲しいものを手に入れなければならない。 それが「この立場」のつらい部分である。
クソ! って思いかけた時に、
僕はやっとの思いで我に帰る。
いや、そうやない と。
クソ!クソ!見てろ!見てろ! てめぇなんて!ちくしょう! この腐った大人め!
どんどん汚い心と言葉と鋭い目付きに変わりそうになる。
クソ!クソッ!
大人になるということは、馬鹿にされることを 恐れるということなのかもしれない。
クソ!クソ!
頭蓋骨を跳ね返っては、その波は激しくなり、 叫びそうになるのをグッとなんとか、 ほんとに何とかこらえ、 (俺はきっと短気なのだろう) 深く頭を下げる。
その大切さは今だ俺にはわからない。 敵を作らない大切さは確かだが、 腹が立ったときになぜ言ってはならないか、 腰を低く、しかも、志を高く保つというのは 非常に難しいことなのだ。
俺は 「なぜ」 「腰を低くしなくてはならないか」 「わかっていない。」
しかし、これは俺の敬愛する米山テツという男が 愛した言葉なのだ。
きっとそこには意味があると思うのだ。
その片鱗として、
我慢しきった時、後悔はしないのだ。 我慢できなかった時は後悔するのだ。
なんであんなことを「言ってしまったのだろう?」 と、思うのだ。
ほんと、難しい。 生きるって難しい。 人の間って難しいんだ。
そして、答えがない。真理がない。
個人個人の考えが違う中で、 自分の真理が正しいとなぜいいきれる?
真理は自分でしかない。
やっとの思いで、 幼い俺はやっとの思いでなんとか乗り切れるのだと思う。
明日もそうだと思う。 あさってもそうだと思う。
その向こう側に、きっと何かがあると信じている。
|