2006年04月03日(月) 興味

最近よくオンラインゲームをしている。
帰ってきたらすぐにつないだくらいの日もあった。

ここのところ、比較的落ち着いてきたが、
その中にも「出会い」ってのはあった。

僕はオンラインゲームの中で、
回復役のキャラを選んだ。

攻撃系、魔法系、獣使い、色々あったけど、
それを選んだ。

回復系のキャラだと知ってて選んだわけではない。
ガタイや見かけから、コレが俺にふさわしいと、
そう思って選んだ。

そんな僕はそれなりに重宝されている。

回復役以外は「回復」に、ゲーム内での「お金」がかかるから。

そして、死ぬ心配もないし、
僕は生き返す魔法も覚えた。

死なないとは何より強い。
気長にやったらきっとどんなモンスターでも倒せる。
まぁ一撃で死ぬような敵なら負けるだろうけど。


そんなゲームの中で、
僕は友達ができた。
それは「suisin」というHN(ハンドルネーム)の女の子だ。

そして、その子は、姉妹でゲームを楽しんでいる。

ゲーム内ではチャットもできるが、
姉が闘ったり、話したりをするのが基本で、
妹もたまに戦ったり、話したりしている。

何回か一緒にゲーム内で冒険するうちに仲良くなって、
お互いのHPアドレスの交換などもした。

そんな、「少しだけの」関係から生まれた、
僕と「suisinの妹」との交流。
いや、掲示板に書いてくれただけだけど。

大げさに言わせてもらえば、
出会うはずのなかった人だ。

suiは青森に住んでいるが、僕は三重県に住んでいて、
僕は青森県を訪れたことはないし、
その子は僕と年齢が離れてる。

そんな子が僕の文章を見て、
何かを感じたという。

それは、僕の文書がすごいのではない。
その妹がすごいのだ。


最近こんなことがあった。


うちの課の課長は元々スポーツマンで、
体育系の人だ。
いつもジャージを着てる。
だから、文化系に興味がないし、感心もない。


夏には必ず弱小でも甲子園球児の取材をする。

だけど、文化系にはあまり感心がない。

この地域の体育系には力を入れようとも、
文化系には力を入れない。

そして、会社は〇〇部の中に〇〇課が存在し、
〇〇係りとなるのだが、
うちの部のもう一人の課長は、
そのジャージの課長に対してこう言った。

「あの人は自分が体育系だから、体育系にしか興味をもてない。
 俺は文化系も体育系もしてきたから、
 どちらも応援したくなる。
 それでは、放送手としては・・・よくないんだがなぁ」

その時にハッとした。

「興味がある数だけ、人は関心がもてるのだ」

と。


つまり、それは言い換えれば、

「関心のあるものには、優しくなれるし、

如いては、自らを成長させることができる」

ということだろう。


阪神大震災を経験せずとも、
現地にボランティアに行った人は、
地震から何か得たものがあっただろう。

地震を受けた人は次が怖いから、
色々準備もし、
また、他の地域が地震になったら、
助けに行く人もいるかもしれない。

僕らは毎日どこかでむごい殺人が起こっても
何事もなかったのように生きている。

それは、
「関心がない」からだ。
「優しさ」がないからだ。

それは、「自分が触れたことがない」からだ。

自分の知らないことに挑戦するのは、すごく大変。
大人になればなるほど羞恥心という心が生まれるから。

だけど、そんなのは今は必要じゃないってコトの方が
多い気がする。

関心を持っても、それ以上進まないひともいる。

コレが楽しい

何か学べるかも

そんな姿勢の人ばかりではない。

つまり、「普通」と感じる。

それは「普通の人」なのだ。

「特別な人」はそうではない。

何か感じるものがあったら、何か働きかけたい

そう思うのだ。

「特別な人」と言う表現はおかしい。

「特別な特徴」だろう。

いや、個性ともいえるかもしれない。


「普通の人」と「特別な人」を脇隔てる何かがあるとすれば
「そこ」だと思うのだ。


妹がえらいわけではない。姉がバカなのではない。
姉は本当は何か感じたのかもしれない。
だけど、恥かしかったかもしれない。
僕には分からない。

どの道賢いとかバカとかじゃない。

僕を「特別」と感じたか「普通」と感じたか。
その違いなのだ。

誰かにとって、特別で、
誰かにとって、普通のものはコノ世の中にたくさんある。

僕たちはその大切さに全て気付けるとは思えない。
そして、何故大切に思うのかの、
理由が分からないこともあるだろう。

しかし、僕たちにもできることはある。
「特別」と「普通」をかね揃えた僕らにできることは、


「人を大切にすることだ」

それは、「その人の大切なものを自分も大切に思う」努力を
するということだ。

自分はしっかりと聞いた事はないが、このCDのよさが分からない。
だけど、自分の友達は「コレ」が良いという。
自分には分からないが、友達が「コレ」を良いという。
しっかりときいてみよう。

それで好きじゃなかったら好きじゃないでいい。
しかし、「友達が好き」なことに変わりはないし、
「友達がそのCDが好き」ってことも変わりないし、
批判する必要もない。

その逆もしかり。
好きではないという子を好きにさせる必要はない。


興味を持たせる側も「特別」だろうが、
それはその子にとって特別であって、
他の誰かにとってはやっぱり「普通」なのだ。

しかし、その「特別」の数を増やせたら、
「関心」を増やせたら、
「興味を持つ」ということを一つでも増やせたら、

それが学びにもなるし、一つ優しくなれるといっていい。


勿論人に迷惑をかけることをしてはいけない。
ある種、自分にしか迷惑はかからないと思っていることも
一つの迷惑になりえる可能生もあるのだ。


興味を持てば、知識が増える。

初めて会った人と話すときに、
そのネタの数が増える。

色んな世界のもののよさが分かれば、
むやみに人を軽蔑しなくなる。

一人一人がそれぞれ「普通」と「特別」を併せ持ってることに
気づくことができれば、
自分を蔑んだり、人を軽蔑したり、
誰かに劣等感を感じることない。

誰か、悩んでいる人の相談にも乗れるかもしれない。

自分が「特別なだけの」存在でないということに気づくことができれば、

「もしかしたら自分の考えは間違っているかも?」

と、自分を見直すことができる。

謙虚になれる。


アインシュタインは言った。

勉強をすればするほど、
自分がいかに知識がないかを知ることができる。

と。

自分の興味の数が少ないから、
むやみに人を批判してしまう。

自分という人間が小さいから、
誰かを認めてあげることができない。

興味の数が少ないから、思いやりの心をなくしてしまう。

「俺はしたことないから」
「私はできないから」

そんなことで、むやみに自分に生まれるやもしれない
優しさの種を
潰してしまっていいのだろうか。

全てにそれはできないにしても、

できる限り幅を広げて、

浅く広くと深く狭くとかじゃなく、

深く広く生きるよう目指せばいい。


俺だってそう全部ができているわけではないから、
えらそうなことは言えないが、

妹さんの書き込みを見てそんなことを考えていた。



繰り返すが、俺の文章がすごいのではない。
キミが感想を書いて僕を喜ばせてくれて、
僕にこうやって文章を書く機会を与えてくれて、
また、キミが何か感じ得て。

それはとてもええことやと思う。


文章をしっかり読んでくれれば、
姉を批判しているわけではないことも分かると思う。


世界は広い。
僕は関心を広げたい。
社会を優しくしたい。

興味が持てるような、何かを提供したい。

そうすれば、イマジンしたら、


世の中、もしかしたら変わるかもしれない。

誰か一人を勇気づけるだけで、
それがペイ・フォアードのように、
何かつながるものがあるかもしれない。

そんなものに懸けて生きる人間が一人くらいいてもいいと思う。

そして、それに俺がなれたら。


そんなことを思いながら、
未熟ながらも俺は放送を、作品を毎日考えている。



 past    will


sk6 [手紙] [Ai to U]

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