永久という名の瞬間
2003年11月19日(水) ワタシハ繊細デスカ?

 小さい頃から私は『やさしい子』とか『繊細な子』とか言われて、誉められてきた。
 私は幼心にも自分がやさしいとか繊細とか思えなくて、自分の汚れている両手のひらを背中に隠して、はにかんだ。
 いつも大人の言葉には、くすぐったさを感じた。
 同年代の友達が私に『やさしい』とか『繊細』とか一切言われない事が、唯一の救いだった。

 私が自分のことを繊細と思った事は、一度足りとて無い。ただ、そういう視点で己を見つめなおしたことだけは、多い。そしてそのたびに、NOという結論におちついて、(私を繊細扱いする人には裏があるんだ)とまで考えていた。
(こういう所に、私のあくどさが見えると思う)

 だから高3の時、易経を読んだおかげで顔占いができる老先生に、「君は繊細な心を持っているね」といわれた時は、正直、ビビった。失礼だが、(ハァ???)という反応しかできなかった。

その後。
「ねぇ、私って繊細??」と、思わず当時親友だった友達に聞いてみた。
「そういわれたんだから、繊細なんじゃないの?」
 クールな親友はそんな反応をして、結論から逃げた。私はまた、迷う事になる。 そして今でも迷っている。 


 もし、毎日毎日寝る前に、今日一日おきた事の中でインパクトのあったことを思い出して、反省して泣くのが繊細な人のすることだったら、私は繊細にちがいない。
 そして、反省して他人にそして自分に迷惑をかけないよう、改善を試みようと思う心だけは持っているのが、やさしい人のすることだったら、私はやさしい人に当てはまる。(・・・実行するかは別ですけど)

 でも、そうやって毎日泣いて、父と母の心を病ませるのが繊細でやさしい人のする事だったら、私は繊細さもやさしさもいらない。
 そんなんだったら、普通の鈍感な女の子のほうが、ずっとやさしい。


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 隙あれば涙が流れてくる、このぽんこつまなこを、どうにかしてコントロールせねば。
 私は三途の川を渡れまい。

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photo by 東雲