そんな風に思うから仕方ない
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2003年06月15日(日) 「変わっている」人たち

WEBで文章を書く人、というのは、ある種なんらかの主張を持っている。
ささいな事から、おおきなポリシーまで広く。
それはひとつひとつ色、形があり、ひとつとして同じものは無いように思う。
たとえば、影響力のある文章ないしは主張があって、それに引きずられたとしても、「個人」というフィルターを通す事で、何らかの変化はある。
そっくりそのまま転記する場合を除いて。

まっとうな読解力があれば、そのわずかな違いに気づくことができるだろう。

「劣化コピー」「〜の影響を受けている」という形での気づきかもしれないけれど。

時たま、そうした事を視野に入れず、ただ、ただ、自分は変わっている。
と、書いてあるのを見かけるが、それはどういった基準で敢えて書かれているんだろうか。
ざっと見渡して、ロジックがあまり見かけない、というのであれば、希少意見として、自分の考え方を自覚しているのだ、と、好意的に見る事もできるのだが。

ただただ、自分ひとりが変わっている。
というのを常に見かけると、コイツ他の人間の書くモン読んだ事ないんじゃねえの?
と、思ってしまう。

違うのがあたりまえなのだ。
異なるのが当然なのだ。
似ていても少しずつ違うものなのだ。

そうした違いを感じ取る事ができない、というのは、よほど感覚が鈍化しているのか、読んでいない、見ていないのどちらかであろう。

中途半端な客観視は、結局「自分って特別」という歪んだ自意識に見てとれる。
モニターの向こうで、そうして誰かが冷笑している事に気が付かず、自分の王国で王様ができるのは、幸せなのだろうか、それとも不幸なのだろうか。


UMサウルス