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| 2012年11月10日(土) ■ |
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| 「愛する能力」と「夢を持つ能力」 |
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映画「A.I.」(スティーブン・スピルバーグ監督)から。 今まで何度となく観てきた、人間とロボットの確執。 すべて映画とはいえ、その結末にいつも考えさせられてしまう。 近未来、作られたロボットの方が優位に立つ構図は、 ほとんど、人間の愚かなロボット・バッシングから始まる。 そんな人間がロボットより優れているという前提は、 「愛する能力」と「夢を持つ能力」が備わっているということ。 しかし、どうみても作品の中に登場する人間の方が、 2つの能力を放棄しているようにも見える。 大人は「人を愛せるなら憎むことも出来るはずだ」とロボットを疑い、 子どもは「オモチャは壊した方が面白いんだ」とロボットを虐める。 そして、自ら子どものロボットにインプットした「親子の愛」すら、 森の中へ捨てて逃げるという行為を、私は理解することができなかった。 どうして、子どもロボットの「話」を聞いてあげようとしないのか、 ロボットを破壊して喜ぶショーよりも、残酷に感じてしまった。 それなのに、そんな人間の愛を疑うことなく信じ続け、 2,000年後も、母親に対する愛を持ち続けていたロボット・デイビット。 どちらが「愛する能力」と「夢を持つ能力」を持ち続けているか、 一目瞭然である。 2つの能力が失われつつある、現代人の難しい「生き方」と、 予測できたはずの地球温暖化や、地球の氷河期などという環境変化に 的確に対応できなかった生物としての人類に対して警鐘として受け止めたい。 心温まるラストシーン、「魂を持っていた人間を私は羨ましく思う」と呟いた 進化し続けたロボットたちに誇れるよう、今を大切に生きたいと思う。
P.S.(おまけ) ロボットに、親子の絆を設定する7つのキーワード。 シラス(巻き雲)、ソクラテス、パーティクル(分子)、デシベル(音波)、 ハリケーン、ドルフィン、チューリップ 続けて「(母親)モニカ、(ロボットの子ども)ディビット、モニカ」 う〜ん、この単語の繋がりこそが最大の謎である。
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