ネガティ部 May日記

2006年08月23日(水) 
「魔法ファンタジーの世界」脇明子/岩波新書

正直言って児童文学は苦手です。小さい頃から本を読むのは好きで、昔話や童話は時間を忘れて読みふけったものですが、小学校の頃読んだいわゆる児童文学は家にあった「小公子」「小公女」「若草物語」、学級文庫の「先生のつうしんぼ」くらいしか記憶に残っていません。偉人伝とか科学よみものとかそんなものばかり読んでいた覚えがあります。
プーさんを知ったのは中学生のときですし、アリスは未だに通読してませんし、
あ、十五少年漂流記は読んだような気がするけど気のせいかもしれません。
ドクトル先生は(割と人気があったので)意識的に避けていたような気がします。
魔法ファンタジーと呼び慣らされるようなものを一口に児童文学というのはかなり乱暴でしょうが、当時の私にとってはひとしなみにそういう位置付けのものでした。
一足飛びに大人になることを夢見ていた私には、児童文学(というよりは「こどものための読み物」を一括りにして)はそれほど価値のあるものとは思えませんでした。
今になってその時々に読んでおくべき本を読まなかったことは、勿体無いことをしたとは思います。

さて帯には「もうひとつの世界へ! 確かな道案内」とあり、この本で主に取り扱われているのは「指輪」「ナルニア」「ゲド」です。
どれも最近映画化され一躍脚光を浴び、映画からその世界に飛び込んだという人も少なからず居るはずです。映画は見ずに原作を読んだ私も、その内の一人と言うべきでしょう。
これまで触れることの少なかった目くるめくファンタジーの世界を眼前に展開してくれるのではないかと、期待して手にとったのも致し方ないと思っていただけましょうか。
が、しかしこの本はむしろ、好きでその作品を読んでいる人たちに対するオマージュの意味合いのほうが濃い。
元になった伝承や作家の背景に踏み込むには、新参ファンタジー読みには少々荷が重いという印象を拭うことができません。
はじめから研究書や解説書として読むのなら、それ相応に楽しめるとは思うのですが。
あと、(題材とする作品に)著者の好みは勿論あるでしょうが、そこにお説教臭が漂うのは少々いただけないかな、と。



「無思想の発見」養老猛司/ちくま新書

問題提起しながら「わしゃ知らん」と切り捨てるその態度や立派。脱帽です。
ご無沙汰してます養老先生。「バカの壁」ですっかり有名になられて、なんとなく手にとるのを憚られていましたが、そろそろ時効でありましょうか。
少なくとも一過性の熱は通り過ぎたのではないかと思って(期待して)おります。
それはさておき。

日本人は無思想である。
それはつまり「特定の宗教・信条を有しない」という信仰である。
という説明に数字の「0」を当てはめたのはさすがと言うしかありません。
「0」はすなわち「無いということ」が在るに他ならない。
色即是空、空即是色。どちらも同じく無いということを表しながら、それでも色と空は別物である。
また多くの日本人にとって思想とは理想であり哲学であり、現実に入り込む余地などない。むしろそれは現実を脅かすものとして忌避されねばならない。
忌避するためにはいずれ何らかの主張が必要であり、その裏づけとして必要なのが、自分は「特定の宗教・信条を有しない」という信仰である。
ところで全然関係ないですが、先日本屋で立ち読みした「読むだけで禁煙できる」という本(タイトルは違うかも)を思い出しました。曰く、禁煙ができないのは「自分はタバコがやめられない」という信仰に縛られているからだ。実際はそんなことは全く無い。自分で自分の首を締めているだけであり、その信仰を捨てれば、自分がどれだけ自由であったか気づくことができるだろうという。まあ確かに、実際タバコが欲しいから吸ってるというのは日に何度もあるわけじゃないですからね。大抵は口寂しいとか食後の習慣とか、要するに惰性です。なるほど、と思ったので私はタバコを止めてません。
     
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