ネガティ部 May日記

2004年03月14日(日) 
人の楽しい話を聞いて胸が痛むのは、我ながら情けなくて笑えるなぁ。
まあじたばたしようとて仕方がないので(それは手段がないとか時間がないとか体力がないとかではなくて、自分自身の気力のせいだ)、私は私自身に向かって罵声を浴びせる代わり苦笑交じりの嘲笑を投げつけてやろう。
中途半端な負けず嫌いは始末が悪い。
人はそれを未練がましいと言うのだろうけどそうではなく。
例えば、自分の預かり知らぬところで苦心惨憺試行錯誤してやっと解けた問題について話をしている友人の話を聞いてるような、そんな心もとなさを感じるので。
私は自分の愚かしさを笑うことしかできないのだ。


*

「そこそこ」における自己欺瞞。
笑いたければ笑うがいい。
誰より先に笑うことで、私は私の罪を減じよう。
痛みを見つめて得るものよりも、損なうもののほうが大事なら。
学習能力がないとはそういうことだ。成長しないとはそういうことだ。
私は私の萌芽を抱き蹲っている。
いつかは花も見よう実も生らそうとて「いつか」なんかやってこない。
(いつか根腐れするぞこの馬鹿め)
芽吹くものなら放っておいても。嘯く自分にまた笑い。
言い訳ばかりが人生か。









あー。
書いてるうちに調子乗っただけなんで(ってだれに言ってるんだ)すんません。
とりあえず私はどっかの哲人みたく「これでよかった」といって死ぬのが目標なんで。ええ。
愚痴ったり凹んだりしていてもそれはそれで善き哉と能天気なことを。
まあこれも言い訳っちゃあ言い訳ですな。
自分の思うところに従って生きるにはそれに見合った代償が必要ということですよ。
痛みと努力を秤にかけてどっちか取ったならば、取ったもんに対して笑うしかないやね。(努力の成果に対する笑いはまた別ですが)

自分が取らなかったものを人が取ったからといってそれを云々する権限なんぞどこにもありゃしない。
安易にお気張りやすなんて声掛けてそっくり返ってくるのも業腹なので言わないようにしようっと(笑)





***


しかしまた、えらそうっつーかなんつーか目に余るものがありますよ。
自分で見てそう思うんだから人が見たらコイツ何様もいいとこじゃないのかなあ。
日記の副題に「放言談義」とかつけた方がいいかも知らん。


読み返して目が痛くなったので文字サイズでかくしました。



     
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