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May日記 |
| 2002年08月08日(木) つなわたり |
| 自覚のあるなしに関わらず、何かとトラブルのもとに首を突っ込んでしまう人間というのはいるものだ。 ちなみに(今更という気はするが)私もそうだ。 他人のことなんでどうでも良いと思ってるくせに、ちょっと興味をひかれる人なんかがいるとすぐに深入りしてしまう。 物事の場合はまだ良い、自分が飽きたと思えばすぐに捨ててしまえるから。 それが人となるとまったくもうダメダメ。 変にドライなところがあるからこんなにウエットなのか逆なのか、ある意味バランスがとれてると言えないこともないが、はたから見たら滅茶苦茶であろう。 こういう付き合いは良くないとわかっていても、自分から切ることができない(ごく一部例外もあるが)。 お互いのためにここはひとつ切ったほうが。そのほうが楽だしなんて思ってみても、維持することに異常に労力を使ってしまう。 私は自分のことをそんなに馬鹿だとは思っていないが、そういう意味では非常にお馬鹿で間抜けでぬるいヤツだと思っている。 しかも更には阿呆なことに、そういう自分が決して嫌いではないのだからお手上げである。 さて。 7月末の日記が途切れたころ、私は波打ち際に立っていた。 偶々立ち寄った先で海を見て(それはあることは知っていてもそれまで見たことのない海だった)、その波の色を見ているうちに自分の中にも同じ色があるというのに気が付いたので、思わず近づいてしまったのだ。 靴を濡らすつもりなど微塵もなくただ高みから見ていようと思っただけだったのに、どういう風の吹きまわしでか下に下りて行ってしまっていた。 足元の砂は濡れてはいたが、ここには来ないだろうという気持ちもあったし、靴底くらいなら構わないだろうとも思った。 ところが、である。 いきなり波をかぶってしまった。 これが大きな波であったならすぐにその場を逃げ出していたと思うのだが、それがそうではなかった。足元が濡れたことに関しても、嫌な気はしなかった。 私は次第に靴を脱ぎ、靴下を引き抜いていた。 足を濡らす感覚というのは、なんとも快いものだとおもう。 少しずつ、波が大きくなっていく。 水嵩が増して来ている。 波打ち際は既にうしろ。今なら、まだ、戻れる。 だが一体において、私は流れに飲みこまれるのを好む性質がある。 濡れてしまったのならもういいや、と自分から脱ぎ捨てて波に向かっていく性質がある。 踏みしめた砂が、手から零れていくように流されていく。 攫われて行きたがってるのはむしろ私のほうだ。 時がくれば潮が満ち、あるいは大波が寄せるだろう。 その時、それから、私はどこに居るだろう。 毎度のごとく波間に漂い「わたしはだぁれ、ここはどこ」を繰り返しているのだろうか。 いつだって海を彷徨い、流されるまま生きてきた。 ただそれだけでいいと思っていた。 けれど、今は標を差したいと思う。 ようやく手に入れた標は頼りなくとも、自分が流されていく軌跡を記したい。 手放したくないと、切に思う。 *** あれも、これも、それもどれも、何もかもが放置されている。 体調不良が続いてそれでなくとも日頃持ち合わせが乏しい気力が減退した上に、情緒不安定もここに極まれりで何をすべきかすら見失っていたらしい。 書く、というのは偉大な作業だ。 私は書くことによって、自分自身を見出すのだ。 |
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