ぶつぶつ日記
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2004年02月27日(金) 少女の疑問

私の周りでも、韓国ドラマの「冬のソナタ」が流行っていて、
大泣きした人もいれば、話は面白かったけどどこで泣くの?
という人にわかれている。
それで、最近どんなものみて泣いたか、という話になり・・・。
ドラマは見ないし、映画もそんなに観ていないので、
あれで泣きました!というのが思い浮かばないのだが、
私が結構はまってしまって、そして泣いてしまうのは、
いわゆる「24時」もの(勝手に命名)。
あれです、警察とか病院とかに密着取材する番組。
アレの、病院ものを見ると、だめだなあー。
完全に泣いてしまう。

今週は、久米宏が小児癌の特集をやっていて、
途中から見入ってしまい、とても重い気持ちになった。
母親が一緒に見ていなかったら、ティッシュの箱を抱えて
号泣していたかもしれない。
病気の子供がかわいそうとか、そういう甘い気持ちではなくて・・・。
どうして?という疑問が頭を離れない。
それは、現在闘病している本人たちにとっても、
大きな疑問であるのだけれど・・・。
「どうして?私ばっかり???」
答えは、誰にもわからない。

1歳で内臓の癌、それを克服したと思ったら、
薬の副作用で、小学校入学するころに心筋梗塞を発病、
そして、心臓のせいで小学校4年生で脳梗塞になってしまった少女の疑問。
「どうして?私ばっかり???」
どうして、今入院しているのか、
そして、これからもそれは続いてしまうこと。
悲しい現実を、先生も親も説明しようと思えば、説明できる。
でも、どうしてそのように苦しまなくてはいけないのが、「彼女」なのか。
それは、誰にも説明できない。

私は、全く宗教的な人間ではないが、
神を否定するほど理論的でもない。
重い病を抱えて生きる子供たち。
戦争の渦中に生まれてきて、そして傷ついてしまう子供たち。
そのほか、「いっそ、死ねたら楽だろうに・・・。」
と思えるたくさんの人たち。
でも、彼らは生きる。
死は穏やかにも、一思いにもやってこない。
苦痛が勝る生活の中で、彼らは生きていかなくてはならない。
「何か」のために。

彼らはもしかしたら、私たちのために、
生かされているのかもしれない。
私たちの、汚さや醜さ、思い上がりの犠牲のために。
人々の罪を背負って十字架にかかった救世主のように、
見えない何かと、しらないうちに闘っているのかもしれない。
だから私たちは、彼女の顔に神々しさを見るのかもしれない。


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