ぶつぶつ日記
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2004年02月03日(火) ナイルの渡し

カイロに住んでいた日本人は数多いが、
ナイルの渡しを使って、ザマレックまで行っていた日本人は、
そうそういないんじゃないかと思う(笑)。
大体、住んでいたエリアによるだろうし、
大型バスも敬遠するような日本人もそれなりにいるし、
それが、渡し舟ですけん。

その存在に最初に気がついたのは、
ザマレックに住んでいる駐在ファミリーにバイオリンを教えに行っていた
Hねーさんだった。
そして、おっとりした性格の割りに、かなりチャレンジャーな彼女は、
早速それに乗ってザマレックまで行ってみた。
確か、当時でロッバ・ギネー(25ピアストル)だったかノッス・ギネー(50ピアストル)だったか・・・。
ムスタシファー・アグーザの前から、ザマレックまで、
混雑する道路で揉め事の多いタクシーに乗るよりも、
早くて快適だったので、
私たちも、ザマレックに日中行くときには、
それを利用するようになった。

手漕ぎの小さな船に人が集まると、
おじさんがえっちらおっちらと船を出す。
ザマレック側の船着場は、彼の自宅になっていた。
川の土手の木立の中に、電気も水道もない掘っ立て小屋があり、
私たち客は、船頭のおじちゃんの奥さんが料理を作っている前などを通り、
ザマレックの通りに出るのだった。
小屋のすぐそばは、カイロでも高級なエリア。
そして、東京で言ったら隅田川のようなナイルの水を汲んで、
全てに(料理にも!)使っているらしき生活に、
衛生的に寒々としたものを覚える反面、
この対比こそが、カイロの面白さなんだと感じた。

しかし、やがてアグーザ側の土手が整備され始め、
いつの間にか、私たちが愛用していた船着場はどこかに行ってしまった。
渡し舟に乗らなくなると、ザマレックのそのエリアに行くこともなくなった
(メインからは少し外れたところだったので)。
船を漕いで人を運んで、細々と生活していた家族は、
どうなったのかなと思いながら、
日々は過ぎて行き、それを確かめる術は、今はもうない。
たくさんの彼らのような家族が、押し寄せる時代の流れとともに、
どこかに、ひっそりと消えていったのだろう。
ナイルの渡しは多分、今日も減り続けている。

お風呂上りについていたテレビでは、
熊本の女子高生が、駅から家のある対岸まで、
おじいちゃん船頭のこぐ渡し舟で帰っていっていた。
駅に着くと、女子高生は対岸のおじいちゃん船頭に向かって手を振る。
そうすると、おじいちゃん船頭が、えっちらおっちらと、
こちらに向かって船を漕いでくるのだ。
昔は、その列車の線の駅全てに渡し舟があったが、
今では、そこだけになってしまったと言う。
毎日渋谷に行くことよりも、
毎日渡し舟で家まで帰る事の方が、
なんだかかっこよくて、
きっと都会に出てきてからも自慢できるよ、と、
その女子高校生に言いたかった。


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