ぶつぶつ日記
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シレラレオネ、という国を知っているだろうか。 アフリカにある、この間まで激しい内戦をしていた国。 ここでは、敵方の大人子供を殺さずに、 その手足を切断するという「戦法」が取られていた。 未来にわたって、敵方を弱体化させるという、おぞましい考え。 そして子供たちも、誘拐され、暴行され、麻薬を打たれ、 少年兵として狂った戦闘の只中に放り込まれていた。
現在、状況は少しだけ落ち着いてきているようで、 このような少年兵が助け出され、 日常生活を送れるように、施設でリハビリを受けている。 しかし、異常な生活を送っていた彼らは、 ちょっとしたことで、すぐ激しい暴力を引き起こしてしまうという。 コンピューターの順番待ちのような、 ほんの些細なことから。 彼らの面倒を見ているNGO関係者も どうしていいのかわからないほどに、 ほんの些細なきっかけで、暴力が再発してしまう。
つい先日、またイスラエルでパレスチナの自爆テロがあった。 そのレストランは、もう長い間、 ユダヤーアラブの経営がうまく行っていた場所で、 被害に遭った人の中にもアラブ系の人も含まれていた。 そして、そのレストランに突っ込んだのは、 29歳の、女性であった。 弟と親戚をイスラエルに殺された、女性。 これだけ聞くと、単純な復讐のように思う。 けれど、実際はそんなに単純な感情ではなかったと、 これまでのパレスチナ人の80年という年月を見て思う。 暴力と、閉塞感と、憤りと、、、、 ありとあらゆる負の感情が堆積してきた80年間。 その場から逃げることは、一生その場に戻れないことを意味するような、 選択のあまりにもない80年。 踏まれても踏まれても、殺しても殺されても、 非難される「パレスチナ」という立場。
「希望」を持てるのは、贅沢なことなのだ。 暴力の連鎖の中では、希望という言葉は、 あまりにも夢物語に近い。
暴力の中で、生きて行くということ。 それは、暴力に身を任せ無感情になるか、 激しい怒りを誰か自分以外のものにぶつけて行くか、 結局は「暴力」を選ぶしかない、 究極の悲しい選択しか存在しないことを意味する。
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