ぶつぶつ日記
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以前、エジプト人の友人い家族の話をしていたら、 「cacoはお父さんの話はしないけど、やっぱりお父さんと仲が悪いの?」 といわれたことがある。 どうやら彼女の家庭は父親との確執があるらしかったけれど、 うちは別にそんなことはないし、 日本ではお父さんってのはあまり話題に上らないものなんだよ、 などと説明したことがあったが・・・。 たまには父親の話でも。
南北差というか、階級というか、 日本はそう言うものが少ない国だとは思うが、 それでもそれなりにそう言う差が存在すると思ったのは、 専門学校に入ってから。 私はいわゆる下町、 今は川の手といわれるようになっている地区に 生まれ育って、高校も同一エリア内だった。 町内を見回すと、背広を着て出かけるお父さんが極端に少ないようなところで、 大学進学率も高くはない、本当のブルーカラーレベルの地区。 それが、専門学校に入ったらもちろん色んな所から人が来ていて、 その中で先生が、 「大学に行っていないお父さんなんて少ないじゃない?」 と言っていたのは結構衝撃的だった(笑)。 この学校のある程度年齢のいった先生たちは結構お嬢様が多かったので、 住んでいるのも山の手が多く、 父親が大学の先生や一流会社のお偉いさんってのも 珍しくないのだった。
ところが、うちの父は大学どころが高校も、中学だってろくに出ていない。 うだつのあがらない父親という家庭環境の中で兄弟の長男だった父は、 戦後のどさくさで働きに出て、 長じては自分ひとりで小さな町工場をやっていた。 母の実家に里帰りする短い連休のために、 夏の夜の連日、食事が終わって私たちを寝かしつけてからも 遅くまで注文の仕事をやっていた父と母のことを、 今でも覚えている。
それが何がどうしたのか、 40も越えた頃になって、父はいきなり「会社勤め」に転向した。 つめの中がいつも真っ黒になる、 そして昼なお暗い工場で一人背中を丸めて仕事をするのが嫌になった! そう言っていたと思う。 仕事は順調だったのだけれど。 調度、兄が高校受験の頃で、 母は家計のことをずいぶん心配したが、 止めるような母でもないし、止まるような父でもなかった。 しかし家族の心配をよそに、水質関係の国家資格などを持っていた父は、 結構あっさりと大きな時計メーカーの工場で勤務をはじめた。 と思ったらそれから数年後、 兄が21歳でずいぶん早い結婚をし、 初孫が生まれたとき、 途中入社のはずの父親に、東北の工場に工場長として単身赴任せよ、 という辞令が下った。 釣り好き山好き自然好きの父には願ったりかなったり、 の話だったと思うのだが、 父はあっさりその話をけって、仕事を辞める道を選んだ。 理由は初孫。 普通よりも小さく生まれたこの子に、 じーちゃんの顔を忘れられたら嫌だっていうのが理由だった。 母はまたしても家計に頭を抱えて、調度高校卒業後の進路を決める時期だった私に、 「お父さん仕事を辞めるって言ってるから、 もしかしたら一年働いて自分の学費を稼いでもらうかもしれない。」 と言った。 別に私も大して嫌ではなかった。 お父さんらしいねえ、全く・・・と苦笑したくらいだ。
ところがところが、これまた国家資格がものを言ったのか、 すぐに今までよりも近くに就職が決まって、 私は自分で学費を稼がなくても済んだのだ。 そしてそれからは、父は同じ会社でずーーーと働いていて、 実は2回も定年を迎えている。 60歳の定年と、嘱託の定年。 この会社でも異例中の異例なのだが、 定年して嘱託になっても、 本来嘱託を終了する年齢になっても、 父のお給料はほとんど下がらず、 ボーナスも年々上がっている。 よっぽどろくな社員がいないのかと、 家族は苦笑気味。 その上70に手が届こうとしているはずなのに、 この人はなぜかこの度「副所長」になってしまった。 これには家族、びっくり。 本社からの異例中の異例の辞令だそうだ。 先日、どうしても父の話を聞きたいので・・・ と言うので、本社まで呼ばれていったのだけれど・・・。
なんだかよくわからないけど、 家族としては大変ありがたい。 このせちがない世の中で、元気に働けるのは素晴らしいことだから。 しかし、私たちは知っている。 父が誰よりも裏表なく、出世欲も何もなく、 一生懸命働いてきたことを。 人の嫌がる仕事を率先してやり、 権力におもねることもなく、 まっすぐに生きてきたことを。 そして、そんな父に対してのご褒美が まだ働けると言うことなんじゃないかと思う。 そして、たくさんいるであろう、 父のような人たちが正当に評価され、 いつまでも働けるような、そんな世の中であって欲しいと思う。
川の手のたくさんのお父さんたちは、今日もジャンパー姿で出かける。 学歴は確かにない。 でも私は彼らの娘に生まれたことを、恥ずかしいと思ったことはない。 学がなくても、素晴らしい人間はたくさんいる。 頭のいい、澄んだ目を持った人も。 そう言う人たちが、末端でこれまでの日本を支えてきた。 彼らをないがしろにし始めたとき、 日本の何かは、確実に壊れていったのだと、 私は思う。
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