ぶつぶつ日記
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日本語教師と言うものは、普通の日本人よりも 日本語に関しての些細なことが気になるものだし、 気にしていないといけないとも言える。 最近の携帯電話ではすでに、「食べられる」という正則日本語では、 変換がうまくいかないと聞いて、さすがにビックリした。 日本語の乱れの代表のように言われているいわゆるら抜き言葉が、 すでにスタンダード化していると言う事か。 いくら騒いだ所で、言葉が移り変わっていくのは誰に求められないし、 変わっていってもいいものだという気持ちもある。
ただ、やはり日本語の美しさというものはあり、 そう言う言葉は残って欲しい、残して欲しいと思う。 最近思ったのは、「ゆうべ」。 とある日本語の先生がとあるサイトに書いていたのだが、 彼はまだ20代なのかもしれない、「夕べ」という言葉を 古臭く感じ、自分では全く使わないと言う。 じゃあ何と言うかというと、「昨日の夜」。 私はこの辺の単語の選択というのは、 明らかに読書量の多少と、英語教育の弊害じゃないかと思っている。 今朝から読み始めた日本語関係の本にも、 「『〜た』は過去形とするのは英語文法の影響ではないかと思う。」 と書かれていた。 日本語の〜たは確かに完了を表すものだが、 過去だけを見ているだけではない、と言う事だ。 (例えば、「日曜日に雨が降ったら、運動会は順延です。」)
話が横道にそれたけれど、 どの国の言葉にもその国の風土や習慣にあった典雅な単語があり、 それを古臭いとしてしまうのは、 言葉を扱うものとしては多少危険ではないかと言う気がした。 自分は使わない=古臭いという価値判断も・・・。 自分は使わないけれど、と言う前置きをして説明することはよくある。 でも聞いた時にわかることは必要なので、勝手に飛ばしたりはしない。 そしてできれば学生には日本人が聞いても、 「きれいな日本語を話す」と思ってもらえるような日本語を 話して欲しいと私は思っている。
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