ぶつぶつ日記
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| 2002年09月21日(土) |
ブランド考〜子どもの頃の思い出と〜 |
初めてそのブランドのバックを見たのは、 多分まだ私が小学生の時だったと思う。 母がいくつか持っていて、「丈夫でしっかりしている。」 といっていた記憶がある。 その使い勝手が気に入っていた母は私に、 「お勤めするようになったら、バケツ型のバックを買って上げる。」 と言ってくれたのだが、小学生ながらこの母の仕込みで、 こと服装に関しては好きなものは好き、 嫌いなものは嫌い、と言う選別を生意気にもしていた私は、 「その模様(ブランドロゴマーク)が嫌いだから、いらない。」 とむげにも断ったのだった。
東北出身で高校に行かずに理容学校を卒業し、 理容師として単身東京に出てきた母と、 向島の玉の井の花街近くに生まれ育った生粋の職人階層の父が、 どうしてあそこまで子供の靴や服装に、 こだわりを持って選別していたのかは、 いまも聞いたことがないのでわからない。 子どもの頃、靴は絶対に銀座のワシントン靴店に買いに行ったし、 洋服は日本橋の高島屋が多かったと思う。 同じクラスに同じ服を着ている子がいるなんて絶対にいや。 それに靴はいいものをはかないと体に悪い。 そんなことを母はよく言っていた。
だが、その他の余剰なものかなり厳しく買ってもらえなかった。 おもちゃなどは誕生日とクリスマスだけ。 おこずかいも決まった額しかもらえなかったし、 友達が買った大きなぬいぐるみも、 自分のおこずかいから買うと言ってもだめだしが出たくらいだ。
貧しかった子供時代に、 貧しくてもつねにこざっぱりとした服をすること、 家の中をきれいにしておくことを 母は両親から叩き込まれたようだ。 年長の兄に作ってもらったコート、 初めてのお給料で思い切って買った万年筆・・・。 そしてふがいない父の代わりに家族の収入を支えながら、 独身時代には冬山登山をして何度も遭難しかけ、 結婚後はへらぶなつりに血道を上げ、名工の竹ざおを手に入れ、 その手入れを怠らなかったまだ若かった父。 彼らは、誰に教わったわけでもなく、 連綿と続いている店の腕のよさや信頼性、 職人の仕事、そう言うものが値段になり、 その値段は人を裏切らないことを肌身に知っていたのだと思う。
そして今、ブランドに群がる人たちを横目で見ながら、 彼らは名はなくても安くても、品質のいいものを選別している。 ブランドバックなんて持たなくても、今はいいものがあるわよ。 そうかと思うと、いきなりどかんと言う値段を出して、 絶対にいいものを買ったり。 近くの釣堀に名工の竿を持ってほいほいと釣りに行ってしまったり。 そう言うメリハリが、とてもいいと思う。
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