ぶつぶつ日記
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| 2002年07月20日(土) |
アメリカのイスラムバッシングについて考えてみる―その4― |
アメリカのイスラムバッシングについて考えてみる―その4― (一国支配が進む)
アメリカの外交(というかアメリカの国の成り立ちが)、 独立主義でイデオロギー的、と言う話は前にした。 911後、アメリカの一国支配がどんどん進んでいて、 それに対抗するだけの力を持つ国はもはや、 この地球上にはいないようにさえ思える。 ソ連との核の傘を武器にしたパワーバランスはもちろん誉められた見本ではない。 そのために、現在の核の分散があるのだから。 しかし、何もかもがアメリカの思惑で進む世界と言うのが、 果たして明るいものなのか? こういうことを書くと、在米の人からお叱りを受けることが多いのだけれど、 懐疑的にならざるを得ない。 まず1つの理由が、私自身がアメリカの政策を全く信用していないと言う、 個人的な思想理由から。 そしてもう1つ、明らかにアメリカの政策と言うのは、 世界平和を目指しているのではなく、 世界での自国の利益を拡大する方向である、と思うからだ。 国連での様々な決議拒否を見ても、 パレスチナでのイスラエル寄りの調停案を見ても、 公平とはなんだろう?と思わざるを得ないし、 紛争地域への介入にしても、 えり好みをしている、としか思えない。
まあ、それはそうだろうと思う。 アメリカ大統領と言えども、神じゃない。 生身の、自分たちが一番な人間だ。 公平さを求める方が、理想主義者なのかもしれない。 だからこそ、一国の支配力ばかりが強まるのは、 いかがなものか、と危惧する。 少し前のサイエンス・フィクションでは、 独裁的な中央集権国家に支配される、という設定が多かった。 それは今から考えると、旧ソ連圏にありがちな 共産的な独裁の姿に似ていたけれど、 私が思い描く最悪な独裁は、 「自由と平等」の名のもとに、 自分たち以外の思想を、何も受け入れないという姿だ。 支配している、されている、のならば、 反発するのも戦うのも簡単だが、 一見「自由で」「平等な」国として機能しているものを否定し、 寄りよくしようとするのはかなりむずかしい。 アメリカは、そうなってはいないのか。
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