ぶつぶつ日記
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2002年05月18日(土) 私のことを覚えていてください

現在、日本ではまだまだ脳死状態での臓器移植には、
かなりの制約があり、
本人が望んでいて、家族がそうして欲しいと思っても、
それが文章に残されていなかったり、
三等親内の反対があったりすると、
断念せざるを得ない場合も多いようだ。
私の友人のお母さまがなくなったときもそうだった。
お母さまの意思だった。
それを知っているだんなさんや子供たちが
その意思を生かそうと臓器提供を申出たのに、
三等親内からの反対があり、
結局、実現しなかったという。
この人に、何の権利があったのかなと、
実際に腹立たしい思いを感じた。
反対した人には、反対した人なりの故人への思いや善意や、
そして死の観念があっただろう。
しかし、それが逆に故人の最後の願いを踏みにじってしまったのは、
なんとも残念でならない。

今朝見た番組のご家族も故人の意思を生かそうとして
生かせないかもしれない、というジレンマを経験していた。
しかし病院側と(珍しく)警察の全面バックアップにより、
故人の意思を生かし、いくつかの臓器の提供ができた。
19歳で死んだその人の臓器は、
40代の男性に移植され、仕事にも復帰できたという。
家族は、移植された男性だけでなく、
その家族をも息子の、兄の命が希望と生きる道を与えたことに、
深い救いを見出す。
(お兄ちゃんは死んでしまって悔しい)という思いがあったとしても・・・。

脳死での臓器移植を望む人、脳死を死と認めない人。
死についての観念は、人それぞれで違うもので、
そのどちらが正しいとかより良いとか、
そういう善悪の問題では割り切れないのが
この問題だと思う。
どちらの言い分も筋が通っており、
どちらの言い分もたぶん、正しい。
だから自分の考えが、
自分自身の死にきちんと当てはめられればいいと思う。
望まない臓器摘出を無理やりしない、
望んでいる臓器提供を「本人以外の考えで」拒否しない。
そういうスタンスが必要なんじゃないかなと思う。

私は、ドナーカードを持っている。
脳死状態になったら、心臓停止を待たずに
臓器提供を行って欲しいと、
家族と話しあってある。
今まで何一つ、人のためになどならなかったとしても、
自分の意思に反して、
望まないのに死ななくてはならなくなった時,
誰かに私のことを覚えておいて欲しいと思う。
その人が、それが「私」であると永遠に知ることがなくても。


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