サッカー観戦日記

2016年01月01日(金) 雑文・なぜ今公営サッカースタジアムが必要か?

近年サッカースタジアム待望論が高まっている。陸上競技場ではサッカー観戦が困難であるというサッカーファンの主張である。これにラグビーやアメフトも可能な球技場も含めてもよい。これに対し陸上競技界やなぜか野球界からの反発もあるが、サッカースタジアムの必要性のついて、私なりの意見をまとめておく。

まず単純に競技人口や需要に対し、野球場や陸上競技場と比べ明らかに足りない。以前アルビレックス新潟の会長が、全国には愛媛県を除き立派な公営野球場があり、愛媛にも松山市営の坊ちゃんスタジアムがある、と著書に書いてあった。そこで調べれば、あるわあるわ、2万人規模のスタジアムはどこにでもあり1万人規模となると大阪だけで大阪ドーム、舞洲、南港と三つも公営、もしくは純粋に税金で建てた野球場があり、万博も8千人近く収容可能だ。陸上競技場は国体の際に各県に作られ、開会式以降は入らないのに2万人規模収容のスタジアムが必ずある。開会式など陸上競技場でする必要はなく、千葉国体では野球場で開会式を開催したのにも関わらず、肝心の陸上競技に大人数収容の観客席など無用の長物なのに、いまだに建設を続けている。これに対し2万人規模のサッカースタジアムがある都道府県がいくつあるというのだろう?税金の公平な配分という観点からおかしくないだろうか?サッカーは陸上競技場で兼用できる、贅沢だ、という人は、アメリカプロ野球でも野球専用スタジアムとは限らないのに、日本では「野球専用場」ばかり今なお建設されているのはおかしいと思わないのだろうか?全国くまなく設備が充実した今でもなお野球場や陸上競技場の建設のほうがサッカースタジアムよりも多いのだ。不景気で税収が足りない?ならばなおのこと野球場や陸上競技場の建設費を削って選択的にサッカースタジアムを建設するのが国民の要望に沿うことになる。

サッカースタジアムは主にプロの興行目的であり、プロの為に税金は使えない、という意見もある。しかしアマチュアリズムの五輪、プロフェッショナリズムのサッカー、と言われた時期は終わり、IOCはFIFAに完全敗北した。FIFAは身分差別を禁じている。つまりプロだろうがアマチュアだろうが必要性があればスタジアムを建設するというのが世界の流れなのだ。これに反する人は身分差別主義者と言わざるを得ない。観客のためにスタジアムが必要なのだ。そして年に1,2試合開催のプロ野球地方興行のために立派な野球場を建設していい、という論理が働くのならば、一年間使うJクラブの為にサッカースタジアムを建設していいのは当然の話だ。

サッカースタジアム建設は権利闘争だ。だから陸上関係者や、何故か反対する野球ファンを敵に回すのは仕方ない。権利を勝ち取るために敵を作るのはやむを得ない話だ。サッカーファンでありながら、サッカースタジアム建設の声を上げないのは、サッカーに対する不当な扱いの黙認であり、対立を恐れる臆病な行為ですらある。八方に丸く収めよう、というのはこのまま野球場や陸上競技場を作り続ける権利を黙認し、サッカーファンは黙して耐えよ、と言うのに等しい。平和はパワーバランスの上にのみ存在する。サッカースタジアムを建設させる権利を主張し、パワーバランスを動かして全国にくまなくJ1規格のサッカースタジアムを建設し、そこで一旦、新たな「丸く収める」パワーバランスを見出さなければならない。大阪では近年動きがあったが、他の地域の人々は政治に対する無力感・失望感なのか、権利の主張が足りないなあ、というのが私の感覚です。


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T.K. [MAIL]