【ザレゴト・タワゴト・ササメゴト】


2006年08月19日(土) いつかその意味を知るときが来る

 昨日の朝、じいさまが死んだ。
 17日の夜に「もって一週間」の連絡を受け、意識はあるからせめて生きてるうちに顔を見せに来いという親父殿に従って、今日、土曜には発とうと思っていた矢先。携帯の着信で起こされて「もう駄目らしい」。とりあえずの片付けと荷造りをして部屋を出た。実際はその時刻にはもうじいさまはこの世には居なくなっていて、急いだって仕方がなかった訳だが。祖父が危篤の孫の心境をどう作っていいものか判らなかった僕は、慌てたフリで店に欠勤の連絡をして出勤するときとは反対向きの電車に飛び乗った。
 両親に送った昼過ぎには着くというメールの返信が一向に来ず、実家に電話したのが到着まで二時間を切ったころ。新幹線の駅まで迎えに来てくれることになったハハさんは「そんなに急がなくても良かったのに」と言った。見なれた色に近づいていく車窓を眺めて、じいさまの人生に思いをはせたのはこれが初めてだと思った。
 改札で待っていたハハさんの言葉の中から、じいさまがもう生きてはいないことを何となく読み取った。僕は間に合わなかった。
 親父殿は長男で、ハハさんは嫁だから血の繋がりはない。少なくとも僕が物心つく頃にはすでに「困った爺さん」だった彼のために、ばあちゃんは僕ら家族全員分の涙を流しているのだろうかと想像したら、少し泣きそうになった。
 ばあちゃんは泣いてはいなかった。ただ、記憶よりもっと弱く力ない声で念仏を唱えていた。家はそこら中の戸が開け放たれ、叔父や叔母や近所の人が出たり入ったりしていた。荷物を背負ったまま、知らない顔に挨拶をする。 今までだってたいして話す事のなかったじいさまの、中身のない身体に、どんな顔をして、なんと声をかけたらいいのかなんて、到底思いつけるものではなかった。半ば物置になっている自室にリュック一つの荷物を置く。親父殿がじいさんに挨拶して来いと言う。そんなことを言われたのは独り暮らしをはじめて7年で初めてだ。いつだって「自宅」らしく帰ってきては勝手に食卓について「帰ってたのか」と言われるような、それが当たり前で、わざわざ「じいさんに挨拶して来い」なんて、そんなこと一度だって言われたことはなかったのに。
 仏間で本当に小さなばあちゃんに会う。じいさまの枕元で念仏をあげるばあちゃん。こんもり低い、白い布団の山に向かって手を合わせる。所在無さに押しつぶされそうだった。ばあちゃんが顔を見ろと言う。作法も何もわからないまま白い布を退ける。正月、最後に見たじいさまの不精髭も白くなってのぞく鼻毛も濁った目もない。静かに目を閉じる綺麗に剃られた顔。どんな処理がしてあるのか、覚えているより張りのあるように見える肌は作り物めいて黄色い。表情が柔らかいのが珍しくてなんだか可笑しかった。こんな顔で微笑うじいさまを、僕は覚えていない。
 葬式の案内のハガキが出来たと印刷屋が来て、カタログから供物を選ぶ親族の脇で、世話人の見本通りの文句をハガキの隅に書き込んだ。「当日お手伝いをお願いします」「当日午後七時よりお念仏をお願いします」小学生からほとんど変わらない子どものような手が無性に恥ずかしい。仏間に座って知らない人に何度も挨拶をして、それからベランダに出た。塀には黒白の幕と堤燈、花が見えた。葬式は準備も練習もできない、とは言うけれど驚くほどのスピードで準備は進んでいく。蝋燭と線香の火を絶やすなと言われてしばらく仏間で番をした。あそこにじいさまが寝てる。違う、じいさまだったものがある。違う。あれは、あそこに横たわるものは、一体何だ。


 < マエ  モクジ  ツギ >


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天瀬紺太(仮) [ 俺 ]
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