凪の日々



■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■

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2006年02月26日(日) 通夜

叔母は白いレースのハンカチを顔に被せて布団に横たわっていた。
父や祖母の時は白い布だったが昨今はレースなのか…などと、他愛も無い事をちらりと思いながらハンカチをそっと取らせてもらう。
叔母が化粧をしている顔を初めて見た。
従姉妹が施したというその紅のせいか、さぞかしやつれて変わり果てているであろうと想像していた叔母の顔は、最後にあった時…アユムを妊娠する前だから、四年近く前か。その頃と変わりなく見えた。

かわるがわる訪れる弔問客に頭を下げる。
親戚を迎えに行っている従姉妹とどうも間違えられている節も見受けられるが仕方ない。
「お母さんが大変だったね」と声をかけてくれる人に「いや、私は娘じゃなくて」といちいち訂正して恥をかかせるのもなんだし。
「ありがとうございます」と曖昧に小さな声で答えつつ頭を下げる。
それでもあまりに間違えられると流石に申し訳なくなるので台所に引っ込み炊き出しの手伝いなぞする。
通夜のおにぎりは三角じゃなく丸く握るのだとか、塩はつけてはいけないだとか、母達も知らないような決まり事を親戚のお年寄りが教えてくれる。
味噌汁の出汁をとろうとにぼしの場所を聞いたら精進料理に出汁を使うのはご法度、大きく譲っても昆布出汁だ、と叱られた。
それじゃ業者が握らせようとした十円玉六個(六文銭といって、三途の川の渡し賃だそうな)を宗派が違うからと母が独断で却下したけれど、あれは良かったのかしらん、死に装束もつけさせなかったけれど、あれじゃ三途の川を渡れないで叔母は途方に暮れるんじゃないのかしら…などと、なんとなく昨夜読んでいた宮部みゆきの「あやし」を思い出しながら考える。

追い返すようでなんだけれど、道中が心配だから暗くなる前に早く帰れ、と親戚達がしきりに心配する。
通夜の帰りに高速で事故、なんて事になったらこの親戚一同良い気がしないだろう。
ましてや、「葬式は続く、仏様が寂しがって連れて行くから…」という話も普通に出る地域だ。


一人で高速道路を運転するのは何年ぶりだっけ。
ハンドルを握りながらぼんやりと考える。
アイが生まれてからこの方、常に子供連れでしか行動できなくなって。
そうだ。伯父が亡くなった時だ。
あの時はアイがまだ小さかった。
昼間の葬儀に出席は無理なので、夜の通夜にならと、眠ったアイを夫に頼んで夜に車を走らせ、夜通し運転してとんぼ返りで早朝戻ってきたんだった。
夫は何事も無かったかのように普通に出勤していったっけ。
そうすると、こうして一人で高速を走るのは田舎に不幸があった時だけになっていくわけなのかな。
次は何年後に、誰の葬儀に出るべく車を走らせているんだろう。

とりあえず、叔母は通夜帰りの私を連れて行く事はしなかったようだ。
叔母は寂しくないから誰も連れて行かないんじゃないかと思う。
うっすらと微笑んだ叔母の顔と、「個人の好きな物を棺に納めて結構ですよ…甘いものが好きなら甘いものとか」という業者の言葉に「それじゃポテチだよな」「うん」とすかさず答える従姉妹達姉弟と、「メロンもいれたらいいと思うよ」と提案していた三歳の姪の姿を思い出しながら、そう思った。





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