凪の日々
■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■
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夜更けにかかってくる電話で良い話は無い。 寝床で読んでいた本を伏せ、受話器を取ると、実家の母から叔母の死を知らせるものだった。
かれこれ二年近く入退院を繰り返していた叔母だったが、治療の甲斐なく癌は全身に転移してしまっていたらしい。 とりあえず連絡はしておくが、遠方だし無理に来なくても良い。 香典はこちらで立て替えておくし、電報を打っておくが等、母が声を落として言う。 幸いというか、週末だし平日より比較的都合はつき易いわけだし。 土日も家に篭もってPCに向かって仕事をしている夫に、申し訳ないが、と子供達の世話を頼んで、とりあえずお参りに行かせてもらう事にした。
正直、叔母に対しては良い感情は抱いていない。 というか、叔母自身がどうも人付き合いが苦手な人だったようで、特に叔母との思い出も何も無いのだ。 「人は悪くないんだろうけれど、言葉の使い方を知らない」と母はこの叔母をどちらかといえば嫌っていた。 私と母が祖母を訪ねて行くと、叔母はお茶を出しでそそくさと台所に引きこもり、それきり顔を見せることは無い。 親戚での集まりにも、叔父は毎回顔を出すが、叔母はたまに、それもいつも隅っこにいた。 いつも身奇麗にしている父方の叔母達と対照的に、化粧気もなく、いつも適当にそのヘンの服を着てきた感じの格好だった叔母は、子供心にも、なんとなく、好感を持てるものではなかった。
叔母とのたったひとつの思い出は、なんの集まりだったか覚えていないが、親戚が集まって食事する時、私と、一つ下の従姉妹と二人でポテトサラダの味付けを頼まれた事だ。 多分、既に茹でてあるジャガイモをつぶしてマヨネーズであえて…というような、簡単な作業だったのだろう。 これなら小学生だった私達二人にもできるだろうと、大人が手伝わせてくれたのだろうと思う。 しかし従姉妹と二人マヨネーズをいくら入れてもポテトサラダは美味しくならない。 なんの調味料が足りないのかもわからない。 とうとう失敗作のまま、ポテトサラダはテーブルにあげられた。 子供が作った物だから、と大人は特に何も言わずに食べてくれた。 しかし叔母は傍らの従姉妹に小さく厳しい声で「何この味は!全然美味しくない!●●をもっといれなきゃ!」と叱り、年下の従姉妹は半泣きの声で「だって暁おねえちゃんがこれでいいって…」とこれまた小さな声で返し、更に叔母に叱られた気がする。 自分達でも失敗したと分かっていた料理ではあったが、その叔母の態度で私達は更に萎縮し、しばらくポテトサラダを見るのも憂鬱になった記憶がある。
今、その頃の叔母と近い年齢になってから、なんとなく叔母の気持ちもわからないでもない気がするようになってきた。 多分、叔母は萎縮していたのだろう。 母方の叔父叔母は皆固い仕事の勤め人ばかり。 叔母達も綺麗な奥様方と言った感じ。 貧しい漁村に生まれ育ち、夫が漁に出ている間日雇いの仕事に出て汗と泥にまみれて働いていた叔母は、うちの親戚の集まりでは居場所が無い気分だったのではないだろうか。 自信の無さ、引け目負い目が厳しい言葉やそっけない態度をとらせていたのでは。 いや、厳しい言葉に聞こえていたそれは、叔母の怯えの言葉だったのかも。 怯えた犬が吠えるように、叔母はそうして威嚇しながら怯えていたのでは。
それでも、記憶の中での最後に会った叔母は笑顔だった。 従姉妹が産んだ子供を抱いて、「あんたんとこはまだ一人なの?うちなんかほら、三人目よ」と腕の中の生まれたての赤ん坊を誇らしげに掲げて見せた笑顔。
暁
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