初日 最新 目次 HOME


しもさんの「新聞・書籍掲載文」
しもさん
HOME

My追加

2006年07月01日(土)
選手は国民にあいさつして (48歳)

静岡新聞 朝刊(ひろば)

まだサッカーW杯は続いているというのに、
日本が負けた途端、ジーコ監督の後任人事で盛り上がる
変な国と世界は評価しているかもしれない。
たった一人で、約十分間、 グラウンドにあおむけで
藤テれ込んでいた中田選手。
不完全燃焼だった結果に対して、悔しい気持ちはわかるが、
「どうせブラジルには勝てないよ」と言いながらも、
朝の四時からテレビの前で一喜一憂しながら応援していた
多くの日本国民に対して、 言葉にならなくてもいいから
「感謝の気持ち」が欲しかった。
それは彼のためだけでなく、日本サッカー界のためにも、
マイクの前で「生声」が聴きたかった、というのが本音である。
「日本のみなさん、最後まで、応援ありがとうございました」
このフレーズを、リーダー的存在の彼が口にすることで、
私のような四年ごとのにわかサッカーファンは、
結果に納得するのである。
やはり中田・高原・小野選手は、一度、他の選手と一緒に帰国して
多くのサッカーファンへちゃんと挨拶すべきではなかったのだろうか。
決して「応援してやったのに」という恩着せがましいことではない。
それが人間としての「礼儀」だと思うから。



2006年05月05日(金)
大記録の陰に名なき人あり (47歳)

静岡新聞 朝刊(ひろば)

「史上初2打席連続満塁ホームランはチームの記録」。
そんな視点で、ジャイアンツ・二岡選手の大記録をテレビ前で見ていた。
この記録「決して1人では達成できない記録」であるからだ。
マスコミはこぞって、二岡選手をクローズアップし特集するが、
私はそう思わない。
確かに、こんな緊張する場面で打った彼は素晴らしいけれど、
その前に3つの塁を埋めた選手たちがいなければ、
この記録は達成できなかった。
それも2回続けて満塁のチャンスを彼に与えたのだから、すごい。
だからこそ私は「チーム一丸となって達成したの記録」と言い切りたい。
いつだったか「法隆寺は誰が建立したのか?」の問いに
「聖徳太子と宮大工」と答えて笑われたことがあるが、
まさしく同じ視点で、この大記録を眺めていた。
日本プロ野球史には、二岡選手の名前が刻まれるけれど、
その記録にかかわった選手たちは、自分の記録として大切にしてほしいし、
東京ドームで大きな声で応援していた人たちがいたからこそ、
この記録が生まれたともいえる。
歴史に名を残すのは、いつも1人だけれど、
本当は多くの人たちがかかわっていることを忘れてはいけない。



2006年03月04日(土)
3人でつかんだ五輪の金メダル (47歳)

静岡新聞 朝刊(ひろば)

前評判とは違い、なかなかメダルに届かなかった
トリノ・オリンピックの日本選手団。
期待の選手が負けるたびにマスコミと解説者は、
これでもかというくらい「敗因」を探し続け、
番組・紙面を埋めていた。
ところが女子フィギィアスケートで、荒川静香選手が優勝した途端、
彼女の努力の奇跡を特集した。
しかし、違った角度からとらえた「勝因」を目にすることはなかった。
今回の優勝候補、ロシアのスルツカヤさんや、
以前の大会で優勝確実といわれた伊藤みどりさんなど、
プレッシャーに耐えられず転倒したシーンを
私は何度も目にしている。
しかし今回の荒川さんには村主章枝さん、安藤美姫さんがいた。
一人では耐え切れぬほどの国民の期待を、ライバルとはいえ、
三人で受けたからプレッシャーは分散されたと思う。
荒川さんの勝因を「毛利元就の三本の矢」と表現したい。
一本では簡単に折れる矢も、三本を束ねれば折れない、
と、三人の息子に諭した戦国武将の有名な話である。
今回は三人でつかんだ金メダルと言っても過言ではないだろう。
村主さん、安藤さん、ありがとう、そしてお疲れさまでした。



2006年01月13日(金)
大切な「継続」 今年も頑張る (47歳)

静岡新聞 朝刊(ひろば)

賀詞交歓会を終えての帰り道、
職場の同僚と「今年は、新年早々から箱根駅伝で、
地元清水町出身の佐藤君(東海大)が三区で区間新を出すなど、
明るい話題があったね」と話していたら、
その彼が偶然にもジャージー姿で私たちの前を走り過ぎた。
高校は長野県(佐久長聖)だが、小・中学校は清水町の児童・生徒であった。
「静岡県市町村対抗駅伝」にも、第一回・第二回と出場し、
その頃から、中学生でありながら高校生と一緒の区間を走っていたと
記憶している。
そんな彼が突然、目の前に現れたのだから、私は驚きと喜びのあまり
「さとうくーん」と大きな声で呼び止めてしまった。
彼は立ち止まり、軽く会釈をしてくれた。
箱根駅伝が終わり、やっと実家に戻り、
家族との時間をたっぷり過ごすのかと思っていたら、
彼は、こんな時にも走っていた。
まだ成人式も迎えていない彼に、日々の練習の大切さ、
また継続することの意味を気付かせてもらった気がする。
私は今年、四十八歳・年男、偶然とはいえ刺激を受けたのをきっかけに、
私も今年は頑張ろう、という気持ちがわいてきた。
この年始の「偶然」を、年末には「必然」だったと思えるよう行動したい。



2005年07月08日(金)
理解に苦しむ 官の資金援助 (47歳)

静岡新聞 朝刊(ひろば)

映画やテレビドラマのロケ誘致を手伝う、
県内のフィルムコミッション二団体に
国から一千万円の資金援助される記事を読んで、
私はちょっぴり不安を覚えた。
もちろんどんな団体でも、資金があふれているところは少なく、
それなりの苦労はあるものの、自分達の活動を理解してくれる方々の
会費を収入の中心として、日々努力している。
そこに団結力が生まれて、いざと言うときに大きな力を発揮すると、
私は思っている。
だから「地域活性化の援軍に」とばかり
「官」が「民」に期待料込みの資金援助をするのは、
どうも理解に苦しむ。
官民連携は、施設の開放や情報の提供など、他にも考えられるからだ。
財政難の時代、わが町は各種団体の補助金、
一律10パーセントカットを今年度実施した。
それでも各種団体は、わが町のまちづくりのために、
いろいろな努力を重ね、今まで以上の活動をしてくださっている。
だからこそ、交付を受けた二団体には、県内のみならず、
全国のフィルムコミッション団体が注目していることを胸に刻み、
官の資金援助を受けず活動できる団体へと、成長してほしいと思う。
補助金削減は、行政改革の大きな課題であるのだから。



2004年10月23日(土)
市町村対抗駅伝 選手写真撮ろう (46歳)

静岡新聞 朝刊(ひろば)

12月初旬の県市町村対抗駅伝に向けて、
昨年の写真を見ながら、今年の撮影ポイントを検討していたら、
自分の町の代表選手と競り合うように、
他市町村の選手が歯を食いしばり頑張っている姿が印象に残った。
ホノルルマラソンでは、参加選手にいろいろな角度から
撮影された力走写真が届けられるという話を聞いたことがある。
恒例となった市町村対抗駅伝も、
毎年数えきれないほどのアマチュアカメラマンが沿道に並び、
応援する選手を主役に撮ろうとするが、
何カ所も移動して撮ることはできないのだから、
フィルムが許す限り他市町村の選手も撮影したらどうだろうか。
区間とゼッケン番号で市町村や選手が特定できるし、
選手にとっては、一生に一度の思い出となる晴れ舞台だから。
デジカメならコピーしてメールで送ってあげることもできる。
大会本部に届けてもいいし、
各市町村の駅伝担当課や広報に届けてもいいだろう。
何げなく撮った写真が、
選手にとってはとても大切な宝物になることを、
昨年の静岡国体で知ったから
「駅伝写真ボランティア」という形で
選手の思い出づくりにかかわるのも悪くない、と思う。



2004年01月21日(水)
文化分野でも「地産地消」を (45歳)

静岡新聞 朝刊(ひろば)

食料に対する安全志向の高まりを背景に,
消費者と生産者の相互理解を深める取り組みとして
期待されている「地産地消」とは、
地元でとれた生産物を地元で消費すること。
そんな言葉を、地元のアーティストで編成する
「伊豆室内オーケストラ」が演奏する
「伊豆ニューイヤー・コンサート」で思い出していた。
音楽を愛し、一生懸命演奏する人たちは
ウィーンでなくても、東京でなくてもどこにでもいる。
私は彼らの演奏する、ビバルディ「四季」が楽しみだし、
コンサートホールだって、地元の文化ホールで十分である。
地元で活動している演奏家を、地元の人たちで応援していく。
彼らは、その期待に応えるように演奏する。
その姿が私たちに感動を与え、
私たちは精いっぱいの拍手として返す、循環サイクルが生まれる。
これこそ、文化・芸術の分野の「地産地消」であると思う。
「地産地消」という四字熟語。
食料だけでなく、多方面で応用できる言葉であるから、
地元に眠っている才能を掘り起こし、育ててみよう。
あとは、それをうまく「消費」する仕組みを
考えればいいのだから。



2003年12月07日(日)
デジカメ片手に (45歳)

読売新聞 朝刊 気流 テーマ「冬の朝」

健康のために、会社の行き帰りにウォーキングを始めた。
春や秋はさわやかなな風に包まれて気分がいい。
夏も帰宅途中のビールが楽しみで苦にはならなかった。
ただし、寒さに弱い私にとって冬だけは別。
ついつい言い訳をして、自動車通勤をしてしまう。
しかし、今年こそは何とか冬も続けたいと思い、
考えついたのが富士山をデジタルカメラで撮影すること。
帰宅後、ホームページに載せると、全国のメール仲間から
予想外に喜ばれることが分かった。
プロの写真家でもないし、
決して眺めのいい場所からの風景でもないが、
それだけで喜んでくれる人たちがいることを知ってうれしくなった。
デジカメ片手に出勤すると、冬の朝が苦痛ではなくなり、
楽しみにさえなってきた。 
メル友を喜ばそうと始めた富士山の写真、
今では私が一番喜んでいるのかもしれない。



2003年10月31日(金)
国体応援通し町民が元気に(45歳)

静岡新聞 朝刊(ひろば)

ベンチに座り、フィルムを入れ替えていたら、
スポーツには縁がなさそうな高齢者が、
興奮しながら私の前を通ったので、思わず声を掛けた。
「ホッケー、面白いですか?」と尋ねたら
「ルールもなんにも分からないけれど、
やっぱりうちに泊まっている選手だからね。応援しなくちゃ」
と、もう自分の孫を応援するかのような大きな声で
「よかったよ、応援のしがいがあるもの」と話してくれた。
「おかげでのどがかれちゃった」と言いながらも、
本当に嬉しそうに私に話してくれたせりふは
「大きい声で応援したのは、オリンピック以来だよ」だった。
わが町は、国体選手を地域の人が自分の家に泊まらせる方式、
いわゆる「民泊」という形で対応している。
対戦が静岡でも、他県の選手を精いっぱい応援する光景は、
ほほえましかった。
「ふじっぴー」を描いた手作り帽子をかぶる保育園児の声援から
自分がどっちのチームを応援しているのか
分からなくなってしまうほどの高齢者まで、
「ホッケー」というスポーツを通じて、町民が元気になっている。
「明日は、どこ対どこ?」なんて会話が
町のあちこちで聞こえてくる雰囲気こそ、
私たちの望んでいた国体の姿であるような気がしてならない。



2001年10月17日(水)
型にはまらない生き方を学びに(43歳)

読売新聞 朝刊(気流)

日本画家の秋野不矩さんが他界した。
静岡県天竜市出身で九十三歳だった。
インドをテーマにした作品と、彼女のパワーに触れたくて、
何度か「天竜市立秋野不矩美術館」に足を運んだことがある。
彼女の雅号「不矩」の意味は、型にはまらない、という意味であると、
生前、彼女が話していたことを思い出した。
男とか女とか、若いとか老いているとかに関係なく、
与えられた枠にとらわれず、自由に生きる。
そんな思いが「不矩」には込められている気がする。
「型にはまらない」彼女の作品から、
公務員という「型にはまりやすい」職業の私に、
何かメッセージはないだろうか。
もう一度、美術館を訪れてみようと思う。