五輪がとうとう始まってしまった。 この日記の過去ログを見てもわかる通り、私は石原ジジイが第1回目の招致を始めた時からずーっと一貫して東京での開催には大反対である。 なので、五輪関連不祥事が出て来る度に、「それ見た事か」という気分になっていた。 もしかしたら、私の呪いがここに来てやっと効いて来たという事か? だったら遅過ぎる。招致決定前に効いてくれないと。 日本での開催反対理由は、貴重な血税を遣ってまでやるほどの事ではないから。 都民が負担するなら別に構わないが、日本国からもお金が出てるんでしょ? それは困る。 3回に亘る招致活動、開催のための準備、これらに総額幾らの血税が投入されたのか。 2回目の招致が失敗に終わった後で石原に恫喝されたマスコミ各社は、掌を返す前にその点を詳らかにして欲しかった。 そして復興五輪などとこじつけたくせに、資材や人材を五輪準備のために東京に集中させた事。 被災地は断固として聖火リレーなど断るべきだった。利用されているだけなのに何故怒らないのか。 兎に角腹立たしい事ばかりなので、私は五輪関連番組は見ない事にした。 開会式も勿論見ていない。そもそも他国開催でも殆ど見た事無いのだが。(見れば良かったと後悔したのは、ロンドン五輪の開会式とソチ五輪の閉会式。ゲルギエフとマツーエフとバレエ見たかったな……東京五輪の開会式よりこっちを再放送して欲しいぐらい) 勿論競技も見ない。特に応援もしない。メダル獲れた人には、良かったねぐらいは思うけれど。 なので、「選手への応援と五輪反対は別です。五輪やめろ!」と言ってのけた蓮舫の二重基準っぷりには吃驚だ。二重なのは国籍ばかりではないらしい。 あの人は、自分で自分に矛盾を感じないのだろうか。 どうせなら、私ぐらい筋を通してみろよ。
2021年06月27日(日) |
車のドアロックの是非 |
私は車を離れる時は勿論、運転中・駐停車中に拘わらず車内にいる時でも、ドアをロックするよう心掛けている。 この週末に主人と出掛けた時も、主人がトイレに寄っている間にドアをロックしていたため、開けてーとノックされて解錠した。 「どうしてシオンはドアロックしちゃうの? いつも締め出された感があって嫌なんだけど」 と主人が文句を言うので、私は説明した。 「犯罪ドラマを見ていればわかると思うんだけれど、ドアロックで防げる悲劇ってあるのよ。私と一緒に『クリミナル・マインド』観てたならわかるでしょう? ロックしていなかったがために犯罪者に車に乗り込まれる話が」 「ごめん覚えてない。でもドアロックしてると川に落ちた時に助からないよ?」 と主人が言うので、 「川に落ちる確率と車に乗り込まれる確率とどっちが高いと思う? 私は断然後者だと思うの。世の中には我々が想像する以上におかしな連中が」 と畳みかけようとしたところで、主人が突然思い出したように話し始めた。 「そういや学生時代……」
今から三十数年前、主人が大学生だった頃の事。 格安で買ったおんぼろ車の助手席に友人を乗せ、土砂降りの市街地を走っていたのだが、交差点で信号待ちをしていたところ、後部ドアがいきなり開いて、人が乗り込んで来た。 なんと、全く知らない老婆であった。 「いやーこの雨で参ったけど、丁度いい所に車が停まってくれて助かったー。ちょっと〇〇(郊外)まで頼むわ」 「嫌ですよ、僕達そっち方面には行かないんです。バス停までは送りますから、後はバスに乗って下さいね」 そう主人は即答して、最寄りの屋根のあるバス停で、不満そうな老婆を降ろしたのだった。 老婆が降車してから、それまで身動ぎもせず一言も口を利かなかった友人が、漸く口を開いた。 「お前、凄いな……。俺、怖くて声が出なかったよ。突然知らない人が乗り込んで来るなんて吃驚した。今のお婆さんって本当に生きてる人?」 そう言って後部座席を確認すると、座面も背凭れも、ぐっしょりと濡れていた……外は煙るほどの土砂降りだったからな。
「うわー、そういやそんな事があった!」 と記憶の蓋が開いた主人に、 「ほらね! 貴方川に落ちた事は無いんでしょ。ならやっぱり確率的に、乗り込まれる方が高いのよ。従ってドアロックは必要という結論で宜しいですね」 と締めた訳だが、折しも茨城県東茨城郡大洗町で全裸のインドネシア人が徐行中の軽自動車に突進、ドアを開けて運転手に殴りかかるという事件が。 という訳で、やはりドアロックは必須という結論に達したのであった。
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