通天閣打法は無茶な打法!

フェスティバルゲートに行ってまいりました。
新世界にある屋内にジェットコースターが走ってる
あのけったいな建物です。
何故行ったかの理由は置いとくとして、この建物
実は新世界にあるんです。そう、あの新世界です。
実は私、22年間大阪に住んでますが、新世界には
一度も行ったことがありません。ええ、一度もです。
昔、リバイバルの映画を観に行こうとしたら、
「アンタ!人さらいにあって中国に売られるで!!」
と止められたことがありました。それだけ危険な
そしてガラの悪いところだったのです。
今でこそ若い人がスマートボールをやったりと
それなりに大阪の観光名所のようになっていますが、
昔はそれこそ若者のいないスラムのような状態だったのです。
通天閣だって単なるばっちい塔でしかなかったのです。
天井に穴は開いてるは床はボロボロやわ、もう東京タワーと
比較しようの無い建物だったのです。
中島らもは著書のなかで「新世界や新開地は新しいとつくが
全く新しくないのは何故だろう」と書いていますが
まさしくその通りで(新開地は昔良く行きましたが)、
「じゃりん子チエ」の世界をもっとひどくした感じでした。
ところがNHKで「ふたりっこ」の舞台になってから
俄然注目を浴びるようになり、地域の再開発だか何だかで
フェスティバルゲートなるおよそこの地域には似合わない
ハイカラな建物ができてしまったのです。建ってから数年後の
今日、この地に降り立ったのですが、いやぁ、駅から降りて
すぐ目にしたのは地べたに寝転んで携帯いじってる兄ちゃん。
先が思いやられます。そして問題の建物に突入!
まずゲームコーナーらしきものが目に入りましたが、
そのゲームが古い!さすがにインベーダーではなかったのですが
建った当初に流行ったゲーム機しか置いていない感じでした。
そしておそるおそるエスカレーターへ。
登ってる最中に気付いたのですが、この建物の売りである
ジェットコースターが稼動している様子がありません。
駅から出て信号待ちの時間も合わせて5分は経っているのですが
全く動いてる気配がありません。その答えは登りきってわかりました。
人が殆ど入っていないのです。それも見事なまでに。
平日の夕方とはいえヒマなカップルとかが鬱陶しい雰囲気を
発生させていてもおかしくない場所なのに、そんな姿さえ皆無。
その後所用を終え夜になって帰ろうとするとジェットコースターが
やかましく動いていましたが、やはり人の姿はまばらでした。
そういやジェットコースターにおなじみの悲鳴も聞こえなかったな。こ、これは地域の発展に何も貢献しなかったのでは…
2002年10月03日(木)

わーお

今自分の家の半径2キロ以内にオアシスがいます。
明日もいます。でもそんなこと言い出したら
大阪城ホールで公演のあるアーティストは全部
こんな風に書かねばなりません。
で、なんでこんなこと書いてるかと言うと、
最近朝から晩までずっと学校にいるような気がするからです。
何だか悲しい…とオアシスのポスターを見て
思ってしまいました。来週はアラニス・モリセットだ!
はぁ…
2002年10月02日(水)

昨日ほどではないけど今日もハードだった

先生に呼び出しされたので何かと思って行ってみると、
放送大学での授業のアシスタントをして欲しいとの事でした。
いやぁ、やましいことは無いのに何かしたのかと思って
少しビビってしまいました。でも社会人相手の授業は
ある意味慣れているので怖くはありません。
ただ、慣れているからという慢心だけは避けないといけませんね。
IT講習会、REC、水口…そして放送大学。
こう並べてみるといろいろやってきたなぁとしみじみしてしまいます。
そうそう今日は学校の方の授業アシスタント(上とは別のです)が
初日でした。前期の授業を引き続きだったので
懐かしい顔に再開できました。
前期に頑張った甲斐があってみんな単位取れたみたいです。
何だかんだで慕われてるみたいで
ものすごくアットホームな感じになってきました。
馴れ合いにならないように気をつけながら後期も
この子達が単位を取れるように頑張るつもりです。
帰り道、病気がひどいのでCDを買って帰りました。
輸入版ですが、これで寝る前にラジオでかかっても
迷わずにスイッチが消せます。
2002年10月01日(火)

ストレンジ・デイ

今日は何だかパワフルな一日だった。
深夜三時に胃痛が治まったので様子を見て、
深夜四時ごろからおもむろにレポートを書く準備をし始める。
五時二十分過ぎにやっと書き始める。
結局一時間で千七百文字を書いて六時きっかりに学校宛に
添付メールを送って、ヒロTを聞きつつ就寝の予定が
Bon Jovi「Everyday」民生「ヘヘヘイ」という選曲に負け
六時二十分頃にラジオの電源を強制的に切り就寝。
六時五十分に起床するも腰痛が襲い立ち上がれず。
仕方ないので体を矯正する方法を使い根性で起き上がる。
その後朝食等を経て学校に出発。
一講目から真面目に出席。もちろん居眠りは無し。
休み時間の間にメールを受信しレポートの続きと
その他PC雑務を行い二講目に。レポートはまだ完成せず。
二講目がとてつもなくつまらないが、それでも居眠りは無し。
早く終わったので再びレポートの続きを行う。
この時のタイピング速度は神の領域に近づく勢いだったと
後に友人が語っている。自分では納得いかないものの
なんとかレポートを完成させる。途中職員さんに会い
心の中で謝罪してしまった。そう、シフト関連で間違いを
犯してしまったのだ。で、その間違いを何とかするべく奔走、
途中職員さんと目が合い満面の笑みを浮かべられて
非常に心が痛む。心の中でひたすら謝る。
結局昼休みで収まらなかったので、三講に向かう。
三講目の途中まで記憶があるが空白の十分が残る。
その後奔走しまくるもなかなか代わりが見つからず。
途中、一講終わりで椅子に強打した太腿が痛み出したりと
トラブルはあったものの最終兵器の予約を取り付けて四講へ。
四講は言葉が引っかからなかった…。
四講が終わると再び奔走し最終兵器を使わずに済むことになり
職員さんに連絡をしに行く。自分のミスなだけに平謝りだ。
そして五講に向かうと友人がえらく痩せていた。
精神的に大きなダメージを被ったらしい。
いつぞやの僕もそんな風に見えたのだろうか。
五講が終わり某所へ向かうまでの時間の繋ぎとして自習室へ。
そこでエクセルで家計簿ができる位までは教えてあげるという
無謀な約束をしてしまう。嗚呼、また予習すべきことが増えた。
そして無償で質問対応することになる。その質問が長引いて
約束の時間に遅れそうになったためチャリンコをフル稼働させ
今までに無い記録で坂を下り、無事約束の時間に間に合う。
その後数十分しか寝ていない体でハードスケジュールをこなし
帰路へ。瀬田駅から京都駅までの間を熟睡してしまい、
京都駅に着いたときは大阪駅かと勘違いしてしまう有様だった。
その後トワイライトゾーンを抜けて無事帰宅。
何故かラーメンを食べたくなり深夜にして調理し始める。
食べ終わった後に再び「Evreyday」を聴いて半ば踊りながら
洗い物をしている自分に気付き呆れる。
そういえばこの前はunderwolrd聴きながらやっていたっけ…。
そして今この日記を書いている。
疲れた。
2002年09月30日(月)

勘弁してよ、もう

油断してるとまた胃が痛くなってる自分。
性懲りも無く こんな事考えているから、ツケがきたかな…
あ〜、吐き気がする。いや、マジで。
でもトイレに行っても唾液とかが出るだけで一向に本体が出てこない。
思いっきり吐いてしまって早く楽になりたいんだが…
と言うか根本的に何か違うだろ。
2002年09月29日(日)

何だろう

自分の人生を振り返ってみると
「努力してないなぁ」
とつくづく思ってしまう。
中学の時も高校の時も、そして浪人の時も
「君はこれから伸びる」
と言われた。もちろん「伸びる」と言われただけで
伸びるはずも無く、結局あまり努力しないまま
今に至ってしまった。慢心があったのもあるけれど、
随分と自分に甘かったのだ。
普段の僕を知っている人からすると以外かもしれないけれど
家に帰るととてつもなくだらしなくなる。
「しんどいから明日にしよう」
そればっかりだった。だから思うように成績は伸びず。
一度それに危機感を覚え、毎日のように図書館に残り
苦手な英語を勉強したことがあった。もちろん結果は
効果的に出た。それに味を占めればよかったのだが、
情けない話でそれに油断をしてしまい図書館通いはバッタリと
止まってしまった。やればできるはずなのにこんな調子だ。
もちろんそれは勉強だけではない。サッカー部時代に
こんな事を言われた。
「お前は元々上手いんだから、もっと練習すればいい選手になるよ」
確かに熱心に練習に行く方では無かったので、その言葉は
随分と響いた。その言葉が理由ではないが練習に通い続けた。
すると結果はついてくるものである。実力は上がっていった。
ただ一つの誤算はある人物の嫉妬を買ってしまったことだ。
結局その人物の陰湿なイジメが原因でサッカーを辞めてしまったが、
もっと楽しくプレイできていたら今でも楽しくプレイできていたかも。
努力すれば結果はついてくるのに努力しなかった。
そんな過去を映画「ピンポン」は痛いほど思い出させてくれた。
今、ゼミの先生からも同じように「君は出来る」と言われている。
下手をすれば器用貧乏で終わってしまうかもしれない自分にとって
最後のチャンスなのかもしれない。
持っている翼を羽ばたかせなきゃ、もう羽ばたけない気がする。
立ち止まっている場合じゃない、飛び立たなければ。
可能性という空は広いのだから。
2002年09月28日(土)

輝き始めた原石

先週から新人の育成を任されている。
任されているといっても、別に特別なカリキュラムを
組むわけではなく、ただ一緒に業務を行うだけで
たいしたことはしない。でもそれだとあまりに素っ気無いので
デジカメの使い方や報告書の書き方なんかを実演してもらったり、
プリンターの仕様を教えたりと気の付くまま思うままに
いろんな事をやってコミュニケーションをとっている。
向こうにとっては新鮮な驚きな訳だけれども、こちらも
随分と新鮮な気持ちになるものだ。
そして何よりも新しい知識を得る喜びが
こちらに伝わってくるのが非常に嬉しい。
何しろ向こうはスポンジが水を吸い込むようなものなのだから。
これは新人さんに限ったことじゃなく、高齢者対象の
IT講習会のアシスタントをやった時も同じだった。
新しい動作を説明するたびに「ほぉー」とか「賢いなぁ」
という歓声が上がり、それを習得しようとする姿が
とても若々しく感じたものだ。
話は逸れてしまったが、新人さんの懸命な姿が
いつの間にか自分に元気を与えてくれている。
2002年09月27日(金)

あ〜

負けちゃったかぁ〜アヤックス。
まぁ勝たしてやったものさ!
向こうは一点取るのが精一杯だったんだから。
お金持ちクラブが一点取るのが精一杯てのは
予備校時代セリエファンに散々アヤックスをバカにされてきた
恨みが籠もった皮肉でもあるわけだけど…。
それに師クライフの「1−0で勝つなら4−3で負けた方がマシだ」
を実践したし。(後半の4トップ気味の攻めとか)
次にホームでやる時は違う結果にしてやる!
2002年09月26日(木)

決戦!ジュゼッペ・メアッツァ

今日の一言。同僚の人から
「随分楽になった顔してるね」
確かに一部の心残りはあるけれど、精神的に楽にはなりました。
朝から飛ばす自転車も爽やかな気分になります。
ついでに言うと2年間ずっと探し回っていた
「八月のクリスマス」のサントラを友達が韓国で
買ってきてくれました。本当にありがたいことです。
何とお礼をいっていいのやら…。
普段、癒しとかの言葉を使うのを極端に嫌う自分ですが、
このサントラに癒されてます。メロディがものすごく優しくて。
買って来てくれた友達はまだこの映画を未見なのですが、
行った時に周りの人からの評判は上々らしく、
「この映画を観て留学を決めた」なんて人がいたらしく、
それも納得できます。僕も韓国に対しての考え方を変えてくれました。
(その後ワールドカップで少し幻滅しましたが…)
映画というメディアの持つ力というのは、単に作品が面白いという
単発的な感情だけでなく、その映画の舞台になった国の印象を
がらりと変えてしまうそんな不思議な力を持っています。
カレーくらいしか印象の無かったインドがあんなに踊ってばっかりと
誰が予想したでしょうか?(その前にビートルズが被れてるけど)
ロシアにチェブラーシカという最終兵器があるなんて
誰が思っていたでしょうか?
映画を観なければパークスの巨大アンテナの話を知らずに
オーストラリアは「クロコダイルダンディー」なんて偏見から
解き放たれることは無かったでしょう(←一部嘘です)
いやいや世界はまだまだ深い物です。

そうそう「八月のクリスマス」の監督最新作
「春の日は過ぎ行く」の主人公がどうも自分に馴染めなくて
う〜んと思っていたんだけど、サントラを聞いていて、
なぜ馴染めなかったのかわかりました。
八月の主人公は結局弱さを秘めてはいるけど、それを前面に出さずに
心で闘って、表面上はすごくにこやかな顔をしている。
それこそ悲しくて、怖くて夜一人でこっそりと泣いたりもする。
もちろん生き仏のような人じゃなくて怒ったり、酔ったり
人間のもっている強さと弱さをうまく内包していたのに対し、
春の日の主人公はとにかく弱さを前面に出しすぎている。
弱い僕が言うのだから間違いない。弱すぎるのだ。
確かに主人公の気持ちはわかるがあまりにメソメソしすぎる上に
とった行動が酷かった。これじゃ感情移入できませんってば!
たしかにいい映画に変わりは無いんだけど、主人公もヒロインも
自分に馴染めなかったのは痛かったかな。
と、思っていると朝の某番組のプロデューサーはこの映画の大ファン
だそうで宣伝に力を入れたとか。ものすごく女々しい人だったりして。

え〜、ちなみに題名は今晩行われる試合についてです。
2002年09月25日(水)

新記録達成!

だけど非常に疲れました。
全身が疲労感で溢れています。
久しぶりに「限界」とか「スプリンター」なんて言葉が
頭の中をよぎりました。自転車は偉大です。
2002年09月24日(火)

Dag Soliloquize / tsuyo