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ひめいわ総支配人の1日。
姫路家いわし
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2000年11月20日(月)
手術料440円也

今日は少し前倒して、皮膚科へ診療に行って来ました。
理由は私の鎖骨の部分にある、いぼのような、おできのような
ものが出来てはや半年。一向に小さくならないので、思い切って
診療に伺ったのです。
 で、45分くらい待ったあげく診察していただきました。で、
診察結果、とりあえず切開してみることに。中に膿がたまっている
可能性もあるということがありましたけどね。
 でも、切開しても何も出てこない。さらに切っても結局出てくるのは
「血」だけ。で、診療結果は「ケロイド状のもの」になりました。
次回からなんだか湿布の親戚のようなもので治療をして、とっていくよう
です。久しぶりに医者がよいが始まります。実は昔から医者好きなの
です。最近は通院することが少なくなったので、もっぱら冷やかしに
大病院を訪問するという外道な楽しみ方をしております。

 それはそうと、明日の今頃は、中央高速を東京に向かってひた走って
いる頃でしょう。残念ながら私はモバイルできませんので、明日・明後日
の日記は勝手ながらお休みさせていただきます。

 ではみなさま。お休みなさいまし。



2000年11月21日(火)
寒い!ビル風格闘 in 池下

ということで、23日付の日記を付けた後で、これを書いています。
前の日にちのを後からかくのって、何か、へんな気持ちです。それはさておき。

 今日はバイト先が「デラックス特別ご招待会」とか言うことで、デパートの一角を
飛び出しまして地下鉄で3〜4駅離れた、「ルブラ王山」という、県教員共済会とかなんとか
言う施設(要は各種宴会・宿泊が出来ると言うこと)でアルバイトをしました。普通ならこんな
ややこしい名前を書かないのですが、少々後ほど、この事が尾を引きますので、あえて書いておきますね。

 さて、その日は午前中は講義がありまして(当然)、昼休みに私用をこなしたあと、景気づけにラーメンに
胡椒をたっぷりふって昼食を摂る。そのくらい、学校にいたときから寒かった、というわけです。
 で、なぜこんな事をするか、といいますと、その日の職務が「看板持ち」なのです。よくいるじゃないですか、
東京の歌舞伎町や大阪のミナミに。名古屋で会えて言うなら錦3かな?看板をもって、暑かろうが寒かろうが
「じーっ」としている人が。あれをやれ、というのです。時給850円で。しかも地下鉄の駅の前。ここが最近
(とはいえ4年くらい前)、立て替え工事で高層住宅になってからというもの、ビル風すさまじく、
とにかく寒いのです!

 で、問題地へ行けば、案の定寒さに凍えた看板持ちが立っていました。お付き合いでホットコーヒーを飲みに。
私は普通にもてる、暖かい缶が、熱くてもてないと行っておりました。これは覚悟せねば・・・!
 私が立ちだして10分が経ちました。・・・でも時計を見ればそれは5分しか経過していない・・・。
そんな状況が約30分過ぎまして、ついに手に持った看板が、突風にあおられ、はるか20mほど舞っていってしまう
という大珍事が発生。行き着く先が地下鉄駅への階段!はっ!見えないところで看板にぶつかって怪我でもした人が!!!
と思っていってみましたが、実際はかろうじて誰もおらず。ホッ。

 その後すぐに応援の仲間が1人加わり、看板持ちをローテーションで2時間弱回し、かろうじて旅行前に風邪をひく、と
いう失態を演じずに済みました。

 で、その後の休憩時に、第2の珍事が発生したのです。
 実は、館内に用意された「控室」には自動販売機はなく、仕方がないのでみんな、5階(客室の階)の自販機でジュースを
購入しているのです。私もそれにならって何か買おうと、エレベーターの前で、上りを待っていた時のこと。

 やっときたEVから、どこかで見たお顔がおりてきました・・・、はて、うちの会社(あくまでバイト先のことです)の方
かなあ、年はいってるから、エライさんだけど、こんな顔知らないし・・・
なんて考えていましたが、実は、私の高校の教頭(当時)だったのです!!今は栄転されて、少しだけ上位校の教頭になられた
そうですが。でも、その場で2人して考えていたあの数秒は笑えましたね。それで同時に、お互いがどこで接点があるのかを
分かった当たり。なにせ、お互いに名乗らずに「ああ、そういえば○回生でしたね」「私たちの卒業と同時に学校を替わられた
んですよね」なんて言ってて、話が合いましたからね。

 教訓:このホテル(もどき)では、いかなる時でも私のHPの宣伝をしてはいけない。ばれたら「呈茶コーナー」が放禁になってしまう・・・。



2000年11月23日(木)
祝・復活!

 ということで行って来ましたよ、華の東京!

火曜日の夜10時半に出発し(その前にバイトで危機的状況に
陥る:「火曜日」の欄に後で書きます)、翌朝5時40分に新宿
高島屋のほぼ下に到着。バスは31人定員の所11名の乗車。ちょっと
物知りだったので、「階下席」という、バスの後ろにある4人向かい合わせ
座席を2人で占拠し、快適な睡眠&景色見物をさせていただきました。
仲間内なので、カーテン閉めなきゃ、とか考える必要ないのでね。
 その後、特に名所見物をするでもなく、都バスに楽しく乗車し、お台場も
「一つ目小僧のTV局は、『お台場展望台』まで備え持つ娯楽観光施設化して
しまい、あまりにTV局のイメージが湧かない」という事に気付き、また、
台場自体がまだまだ不思議な(開発途上:住宅地になるのか、貸しビルだらけの
新・新都心化するのか「)街であることに気付きました。
 そんなことを考えながら、この日に泊めていただくお宿(栃木県小山市)まで、
えっちらおっちら電車で北上。人の多さにはここでもびっくりしますね。

 次の日は少々朝寝坊をしたので、東京都内までとりあえず戻り、その後、前日の
続き、都バス乗車の旅を敢行。そういえば昔、日本テレビ系列にあった、「追跡」という
番組に「都バスで飛ばせば旅気分」なんてシリーズものがあったことに気付きました。
けっこう、都内は地下鉄で移動できて便利なのですが、なかなか地上の事までは気づき
ませんので、新たな発見があること請け合いでしょう。
 17時発の東京発最終名古屋行き高速バスの時間つぶしに立ち寄った渋谷で乗車した、
代官山(ここもけっこうなお買い物スポットなのですね)へ向かう「東急トランセ」という
バス車内で、某TBS系列「渡る世間は鬼ばかり」の小料理屋の大将役の方を見かけ(「た」と、
連れが言っていた。私は他事を考え中で、全然気付かず)たりもして、まあ、それなりに充実した
首都圏ツアーでした。

次に日記に書くネタがなくなったときは、「私がなぜ東京好みか」について、今回行ってみて気付いた
事でも徒然に書いてみようと思います。



2000年11月24日(金)
医者がよい、第2回

 ということで、月曜日の続きの医者がよいをしました。
ただ、胸のケロイドにシールみたいなもいのを貼るだけ。
薬料金が400円。医薬分業になってから、なんか、医療費が
高くつくようになった気がする・・・。

で、その後はいつものようにお歳暮のお仕事。案の定夕方5時
以降は、暇暇な時間でありました。やはり近隣のGMS(大型
郊外店舗)の影響でしょうか。まあ、ラクなのはいいことですがね。
なにせ昨日の疲れが今頃になって出てきている始末でして、ただ今
瞼がピクピクしております。これは結構ヤバイ証拠ですね。そんな
わけで、日記も短く、かつ更新作業も程々にして、寝ることにします。
お休みなさい・・・。



2000年11月25日(土)
なぜに更新が遅れたか。

 昨日、今日と2日連続で、私は1人勤務でした。夕方5時までは、パートさんもいるのですが、そこから閉店までは、我々アルバイトのお仕事。なのに・・・。なんでみんなして裏切って、私を一人にするんだぁ!!!なんてね。
まあ、忙しいなりにも気楽だったから、それはそれでいいんですけどね。

 さて、書く書くと言ってしまったからには書かねばなりませんね(なんかくどい言い回し)。私がなぜ、最近の更新作業が遅れているかについて。

1:支配人の怠惰。

 これが1番でしょう。我が家の水害被災車が帰ってきてからというもの、夜になればドライブに繰り出す始末。で、帰ってくればすぐにテレホタイムなので、作業もせずにネットサーフィンに繰り出す始末。そんなわけで作業をしない。

2:父との「パソコン争奪戦」

 うちのパソコンは父との争奪戦です。父は表計算やワープロを使いますが、50の手習いで覚えた人なので、作業があまり早くありません。また、設計図などから必要な数字を拾い出しながら(with老眼鏡)やるので、さらにスピードが遅くなります。そんな彼が使い終わるのを待つと、夜中の2時になることもしばしば。そんな後から私もパソコンをやろうという気には・・・。正直なりません。根性なし!というのも一理ありますが、じつはこのパソコン、両親の寝室の隣にあるのです。そんなわけで、カタカタ夜中にやると「うるさいっ!」と一喝されてしまう始末。そんなわけで最近は作業ができていない。

3:私の脳ミソのキャパシティの問題

 じつはこの時期平行して、「呈茶コーナー」を書いていました。ご周知の通り、このコーナーは、私の高校時代の思い出を適当に書き記したもので、第16回までは、6月くらいに書き貯めしたものなのですが、その後「修学旅行編」を書くときになって、自分の記録がものすごく曖昧になっていることに気づき、それで友人に当時のしおりを送ってもらうなど、あらゆる苦労をして、何とか思い出すことに成功したものの、今度は当時自分のしていた行動があまりにも多いので、それを書くのに時間が経過してしまう・・・と、いうような非常に手が足りない状況に陥ってしまったのであります。

 その他にも、学校の「情報リテラシー」の課題をこなさなきゃならないとか、ネミレポートの制作、果ては旅行など、とにかくただいま、特に追い込んだわけでもないのに忙しいのです。更新作業は気長に待っていてくださいね。



2000年11月26日(日)
そば食べに、中津川まで・・・。

 1人勤務が2日続き、頭にきたので、行くことにしていた日曜日の出勤をキャンセルし、うちでゴロゴロと過ごすことにする。

 しかし朝8時半に母にたたき起こされ(父は9時45分に同様に起こされる)、10時には運転手として名古屋駅にお買い物ツアー。
 なんでも、おみやげ用クリスマスワインと、お誕生日プレゼント(ご近所の人とこんなやりとりをしているのだ)を買うとか。その荷物持ちをしてから、急な思いつきで、中津川の「くるまや」まで、そばを食べに行って来ました。
さすがに高速料金はもったいないので(原則高速道路通行料は私の負担)、下道(一般国道19号)を走ること約2時間。中津川に到着。2時頃にもかかわらず長蛇の列で、約10分の待ち合わせ。
 ちなみにこの店、愛想がとっても良くないババ様がいらっしゃいます。おしぼりを机の上に投げつける、「注文は!」と聞く。聞いているそばから隣の机を片づける。無言で品物を置いていくetc・・・。まあ、忙しいお店なので目を瞑ることにする。ゆっくりする店でないことは事実だし、そんなに客にかまってられないのだろうから。
 で、その後も下道をえっちらおっちら戻ってきました。さすがに昼食後、暖かい日差しのせいで居眠りモードに突入しそうになりましたが、そこを何とかこらえ、無事これを書くことができました。

 来週は父の51歳の誕生日とのことで、またどこかへ出かけるつもりらしい。休み、とれるかねぇ、自分のバイト。



2000年11月27日(月)
第1回、読書日記?!

 ということで、睡魔のおそってくるテレホーダイタイム時間帯、
案の定昨晩は悪魔に負けましたので、翌日寂しく書き記すハメになります・・・。

 で、特に書くこともないものですから、最も新しく買った本でも紹介しましょか。

 基本的に「文庫本買い」の私が、久しぶりにノベルズ(新書版)を手にしました。
前に買ったのは、「バトル・ロワイアル」でしたから、ゆうに7ヶ月は経過していますね。
この本も、劇場版の公開前に(7割別物と割り切って話を見てきますけど)読まなきゃ
いけないなあ、と思いつつ、再読の機会が最近めっきりありません。

 そんなことはおいておいて。

 で、私の買ったのは、講談社ノベルズの「虹北みすてり商店街」という、はやみねかおる
氏の本であります。何が気になったって、まず表紙。講談社にしては珍しく、ライトノベル調
の「イラスト」表紙。しかもなぜか幼い。あ、別に私はロリコンというわけではないので念のため。
第2に、この著者。この方、本業は、小学校の先生。副業は、児童文学作家。で、なぜ児童文学作家
が講談社に本を下ろしたのか・・・、というのが気になって気になってしょうがなかったのです。

 まあ、詳しい氏の著作などは、気になる方が調べてくださればいいことなので、この場は割愛
(良いのか?)させていただきます。

 で、私的に本に感想を書くのは大の苦手です。読書感想文は、これを書くのがいやなので、中学高校
6年間、鉄道紀行文の先駆け、宮脇俊三氏の本で逃げ切ったくらいですから。

 でも、がんばって一言だけでも。
『普通の推理小説を期待して読む大人の読者は物足りない。質的に。推理要素が薄いから。でも、私の
ように、もともと児童文学作家であることを前提にして読むと、かなり面白い。ましてや、あなたが
小学校時代の教科書の内容を覚えているのなら、尚面白いでしょう。』
 ちなみに私は、光村書店の教科書の内容をそれなりに
覚えていましたので、なかなか楽しませていただきました。

 尚、この作者氏は、活字離れに対してかなりの危機意識を持ってお見えです。私もそう思います。
暇のある小中高時代くらい、マンガでも良いから「本」を開いて欲しいですね。