毎日なんか考えてる。

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2006年02月21日(火) * それが歳をとったって事なのかな。*

ニコリン、1歳半。
最近、ちょっとづつ、人が聞いても意味のわかる言葉を喋りはじめてる。
「ブーブ」とか「はっぱ」とか「ワンワン」とか「あめ」とか「ぎゅうにゅうついで」とか。

「ぎゅうにゅうついで」は2語文として、でなく
牛乳を飲みたいときのオマジナイみたいな感じ。

そういえば一番最初に言ったことばも「ギュッ」(牛乳)だったなぁ。

外歩いててもあまり転ばなくなったし、
手ぇつないで歩けるようになったし、
人見知りも終った。
ヨソんちに預かってもらうのもいつのまにか全然平気になったし、
大きな子供の中で遊ぶ事もへっちゃら。タフ。
ごはんはスプーンで食べ、
牛乳をコップで飲んでもあまりこぼさなくなった。

気がつくと、本当にどんどん育っていってる。
カブトがニコリンに強い事をしてしまったとき、
つい「ニコリンはまだ赤ちゃんなんだから」と言ってしまうのだけど、
ニコリンを赤ちゃんと思ってるのは、
きっと、カブトとワタシだけなんだ、と、
公園とかでトコトコ歩いているニコリンを遠くから見ると思う。

カブトはカブトで
もうすっかり「男」の自覚が芽生えている。

子供の成長は本当に早い。
何もかもがピチピチしていて、
やることなすこと全てが一生懸命だ。
そして自分はどんどん衰えて行ってるんだな、と、日々思い知らされる。

子供が成長して、自立して、フと足元を見たときに
燃え尽き症候群みたいになっちゃわないように
今から少しづつ、色んなコトを準備しておかないとイケナイな、なんて
最近、フと思ったりする。

具体的に、
趣味とか仕事とか、
いつまでもキレイでいたい、とか
一生現役とか、
生きがいとか、
女を捨てないとか、
そうゆう事ではなく。

そうゆう事を殊更に力強く言ってしまうのは、
なんとなくゴマカシのような感じがする。
逆に、シックリ行かないから力強く言ってみたりしてるような。
そうゆう事がしっくり自分に馴染んでる人は
そんな感じじゃないような気がするし。

そうゆう事でなく。
じゃ、どうゆう事なのか、というと、
うまくまとまらないのだけど。

とにかくそんな事を考えるようになった
最近のワタシ。



2006年02月14日(火) * オンナって。*

バレンタイン。
幼稚園児でも女子はスデに色めき立っていて
「女ってスゴイなー。年がら年中ラブなんだなー。」
と改めて思い知らされる。

男の子はラブとかそうゆうのにトコトン疎い。
それこそ第2時成長期、オンナオンナ、オッパイオッパイ、みたいなのが過ぎ去って、好きな子と一緒に居ると楽しい、嬉しい、愛しい、みたいな感じになるのって、もう随分おおきくなってからだろうから。

女の子の「○○クンが好き☆」的なあのパワーと思考を
男の子がわかる日は、多分、永遠に来ないのだろう。
てか、そんなのが妙にわかる男をワタシは好きじゃないけどね。

それでも幼稚園児なれど、
もらえるとなれば嬉しく、
好かれれば鼻の下が伸び、
男同士はチョコの数で張り合い勝った負けたとまたもや勝負。

今年カブトはワタシ以外に3個チョコをもらったのだけど
3個中2個が「2番手チョコ」で、1個は「お友達チョコ」。
本人は全部が「カブト君ラブなチョコ」だと思ってるっぽいケドー。
フフフ。

それにしても、女の子のママもこれまたスゴイ感じ。
こうゆうの目の当たりにするたびに、
ワタシはニコリンの幼稚園児時代をちゃんとやっていけるのだろうか、と不安になったり…。でもできない事はやらなきゃイイんだよ、そうだよ、と、自分を励ましてみたり…。

女の子同士のグループ闘争とか、友達同士のヤキモチとか、あの子を呼ぶならこの子もとか的ヤヤコシイ感じとか、バレンタインだってお母さんも一緒に入れ込んじゃってる感じで、園の門の前に普段バス登園の子のママがチョコを持ってお迎えに来ちゃって娘と一緒にはしゃいでる図というのは、ワタシ的にとっても違和感…。

男も女も、小さな頃からスデに男で、スデに女なんだ、と
ニコリンが生まれてからつくづくと思い知らされてる。

そして、ワタシも女。
がんばれ、ワタシ。



2006年02月13日(月) * 同窓会 *

土曜日、高校の同窓会でした。

4ヶ月も前から準備をすすめ幹事までやっていたのに
その前週がカブトの発表会で頭が痛くなるくらい泣いちゃったりとか
ヒビあれやらこれやらで
同窓会へのギアチェンジがかなり上手く行かず
当日の当日、電車に乗るまでイマイチ自分のテンションの上げドコロを
掴みそこねていたのですがー。

ポカポカと暖かい日だったので、
ちょっと薄着して、
電車の中でスキな音楽とか聴いてノンビリして
向かう先はナツカシの町田。
電車から見える景色がどんどん時代を遡って行く感じで
町田の改札を出る時には
ギアチェンジがすっかり終了してました。

それにしても楽しかった。
同窓会というのは不思議な会合だ。
ある時期、同じ場所で、濃密に過ごした「メンバー」。
そこに部外者が居ないって事がマスマスおかしな領域へ導いて行くのかも。

忘れていたような細かい話しとか次から次へと思い出し。
どうでもよすぎるどうでもいい話しとか。

顎が外れそうなくらい笑った。

「あれから」の20年間をズルズルと後ろに引きずって
今、それぞれの37歳。

些細な話しでも
元クラスメイトの「今」の幸せな感じ、生きてる感じ、を感じると
それぞれの20年に思いを馳せてしまったり。

逆に「今」の「感じ」が希薄な人も居たり。

どうであれ、みんなそれぞれ「今」を生きてるんだよなーー、とか思いつつ
同じ場所に集い、それぞれが20年前にタイムスリップしちゃって
ゲラゲラ笑ってるって言うのは、文句なしに楽しい数時間でした。

また数年後。
今度は40過ぎてるね。バイバァーーイ!!とか口々に言いながら
みんな酔っ払って解散しました。

帰り、小田急の終電がなくなっちゃって
横浜線経由で帰る家路は果てしなく遠く。

ウチに帰ったら、テルクンがトリノ見て起きてた。
2人でカップラすすりながら、同窓会の話しを3時まで聞かせ、
ご機嫌サンのまま就寝しました。

あー、楽しかった。



2006年02月09日(木) * 生きてるってかんじ。*

サッチャンと出合ってからもう5年近く経ってる。
最初は子供を挟んでの付き合いだったから、
特に踏み込むでもなく、
たまに公園なんかで会えばバカな話しで盛り上がったり、
でもお互いの共通のママ友たちがターゲットを決めて話してるような
ダレソレネタは、何となくお互い敬遠してたり、
そうゆう空気がスキだったり心地良かったり、
そんな感じはあったものの、
それ以上の進展は特に無かった。

それが1年前くらいからちょっとした事がチョコチョコと重なって、
急にグググィーンと親しくなった。

今となっては子供とか関係ない感じの
完全な友達になってしまった。

「ママの顔」同士で会って、ここまで親しくなるのは
ワタシとしては相当めずらしい。

もちろん
カブトの友達のママで親しくしてる人は何人か居るし、
その中でも、この先子供が大きくなって、
子抜きでも親しくするであろう友達も何人か居るのだけど、
そうゆうんじゃなく、
もとから子供が居ない環境で出会っても・・・と言うよりむしろ
子供が居ない環境で会ったらもっと早くこうなっただろう、とか、
子が居る今でも、子が一緒でも一緒じゃなくてもあまり関係なく
素で付き合えるヒトってのは相当に珍しく貴重だ。

子供が現れる前にできた「大切な友達」は
今もなお「大切な友達」で、たまにしか会えなくとも
「大切な友達」である事には変わり無くて、
多分、一生大切な友達であり続けるであろうと思う。
安心感とか、ムリなく培ってきた関係とか。

そうゆう友達は
子が挟まってる限り無いだろうなーなんて、どっかで思っていた。
だけど、現れる時には現れるんだなーと。
人の出会いの不思議さを改めて感じたりしてる近頃。

好きな人が自分の中に増えると言うのは
とても心地が良いモンです。

この間の日曜日、子が寝てからビールマン2人で繰り出した。
グビグビと。
ひたすらビールを飲み続け。
バカみたいにビールばかり飲んだ。
10杯づつくらい飲んだ。
ふたりとも上機嫌でフラフラゲラゲラ笑いながら歩いて帰りながら、
桜井の歌が頭をよぎったよ。

「そうだ。冷えたビールを飲もう。
 金と黒のラベルを選んで 出来るだけ一息で。
 あぁ。生きてるって感じ。」

テルクンはとっくに寝てて、
3人がスヤスヤ眠る寝室で酔っ払って寝るのはとても幸せだった。

日常の些細な幸せとか。
そうゆうの。
ホント、生きてるって感じ。



2006年01月30日(月) * フンワリステキな。*

昨日、美容院へ行くために小田急線に乗った。
フと窓を見たら、花柄のピンクのステッカーが貼ってあって
「女性専用車両」と書いてあった。

「女性専用車両」。
なんともステキな響き。
もちろんニュースとかテレビとかで知っていたけれど
実物を見たのは初めてだったもんで(隠居かよ。)
なんか軽く興奮してしまいました。

「おぉーー。これがウワサの!」みたいな。

働いていた時、もし女性専用車両があったら
どんなにその車両が出口から遠くても絶対そこに乗ったな。

通勤ラッシュの苦痛は、乗ってる時間とか混雑とか、そうゆう事よりも
一番は匂いで、次はその匂いの根源が自分に密接してるって事で、
この2つが解消されたら通勤ラッシュの苦痛は7割減だったね。

臭いどころか、女性専用車両はきっとフンワリイイ匂いがするに違いない。
いくら混んでもいくら密接しても、全然不快感が無いに違いない。
ステキ。

10年以上も働いていて
ウチ5年くらいはラッシュの電車を乗って通勤していたわけで、
なんか物凄く損した気分になったよ。
ワタシもフンワリステキ車両で通勤したかったーーー。
チクショウ。

社会復帰したアカツキには絶対に乗ってやる。
女性専用車両に憧れーー。



2006年01月25日(水) * 挨拶マン冥利に尽きます。*

前に
『近所の年中サンの子を持つママ友達に
「同じクラスのママがshonチャンのこと知ってたよ。
 そらぐみサンの、ちいさくて元気なママでしょ。って言ってた。」
と言われた。』
と書いたのを覚えてマスか。

その友達が、同じヒトから最近ふたたび
「あぁ、あの元気なヒトね(←ワタシの事)」と言われたンで、
どの辺が元気っぽいのか聞いてみたらしい。

そしたら、そのヒトは「ウーム」と考え
「そう言われてみると、特別ナニを見たワケではない。」と言い、
そして更にウームと考え、
「歩き方と挨拶の仕方が元気」と答えたそうで。

それを聞いて、子供がゴホウビをもらったように嬉しくなった。
歩き方と挨拶の仕方が元気って、とてもヨイではないか。

「ビミョービミョー。元気ママとか言われちゃう自分てビミョー。」
とか思ってたくせに、張り切って挨拶したくなっちゃったりして。
でもそれやっちゃったらホントの張り切りママになっちゃうからー。
NG。

にしても毎日寒いね。
色んなオウチの玄関先にある雪だるまの顔が半壊したまま凍ってる姿は悲壮感があるね。(ウチも)
それからイチローはどうしちゃったんだろうね。なんか企んでるな。



2006年01月19日(木) * ハンドベルの音ってステキ。*

幼稚園最後の保育参観でした。
カブトの幼稚園は保育参観が1.5ヶ月に1度くらのペースであって
しょっちゅう見に行ってるような感じなんだけど
そんな「しょっちゅうな」保育参観もいよいよ最後。

ていうか、この時期になると
何の行事も「幼稚園生活最後の」なワケで
そんなコトにもいちいち反応してしまう軟弱な母。→ワタシ。

今日の参観は、来月に行われる生活発表会の練習だった。

いくつかある出し物の中から合奏と歌を披露してくれた。
カブトの担当は「ハンドベル」と「すず」。

去年の生活発表会。
泣くとは思っていたけれど、自分でも戸惑うほど涙が出てきて
もう号泣とか嗚咽とかそれはもうヒドイ状態だった。
今年は2度目だし、あんな事にはいくらなんでもならないだろうと思っていたのだけど。

本日。
「練習」の姿でスデに号泣。

なんなんだろう。
どこにスイッチがあるのだろう。
もう全く制御不能になる。

少し離れた場所で見るカブトの緊張した姿。
集中しすぎておかしくなってる目つき、
少し赤いホッペ、
膨らんだ鼻、
ピンと伸ばしすぎてる背筋。

ここまで心臓の音が聞こえて来そうな気がする。

「大きくなったな。」なんて、少しでも思ったりしたらもうダメだ。

合奏の途中でカブトと目が合って
泣いてるワタシを見て少しビックリした顔をして
ちょっと笑って、そしてまた真剣な顔に戻った。

本番がとっても楽しみ。
ニコリンを置いて行けたらそうしたいなぁ。
姉マウキチにお願いしようかなぁ。
ユックリ、ジックリ堪能したい。
幼稚園生活最後の、発表会。



2006年01月18日(水) * サム。*

寒い寒い、耳がちぎれる、体が凍る、とか
ギャーギャー言いながら毎朝チャリで頑張ってます。

朝は道が混んでるから車で行くよりチャリの方が早い。
バタバタとウチを出る時間は常にギリギリなワケで、
車に乗っていきたくても玄関出る時はスデに「チャリタイム」。
車庫に停まる2台のマシン。
車とチャリ。
スデに遅刻との戦いなワケで
選択の余地なく、結局チャリにまたがって疾走してます。

自慢のアシストチャリもワタシが妊娠出産してる間に
スデに旧型となっていて(チクショウ)
微かに潮風の混ざるこの地で1年以上寝かしてしまったチャリは
アチコチにガタが来ていて、
だましだまし乗っているワケですが。

お世話になってる自転車屋のオッサンの
ヘンクツぶり、
華麗な手つき、
水色のつなぎ、
いろんな工具、
そんなこんなにウッカリすると見とれてしまう罠。
ただのパンク修理なのにー。

あー、明日も寒そう。



2006年01月12日(木) * 飴 *

昨日、電車に乗ったときのこと。
電車を降りたくないニコリン
抱っこ紐を装着され「降りる予感」がした途端に号泣。

ドアの前の窓に立ち、カブトとフタリでニコリンをあやしていたら
品のよいご婦人がニコニコと近寄ってきた。
「飽きちゃったんでしょう?アメあげるわ」と言って
ニコリンとカブトに飴を手渡してくれた。

お孫さんがいるそうで、そんな世間話を2,3交わしてるウチに駅に到着。
礼を言って電車を降りた。

電車を降りるとフタリともサッソク飴を食べたがった。
が。
迷ったケド、やっぱり、と思い、カブトに話しをした。
「この飴は食べられないんだ。」と。

当然「どうして?」となる。

話し始めてからしまったな、と思った。
ちゃんとその場で辞退すべきだった。

知らないヒトからもらったものを食べてはイケナイ事、
知らないヒトから物をもらわない事、
カーカンは間違えてもらってしまったけど、ホントはマチガイな事。
そして、その理由。

最後に
「さっきのおばさんは絶対に悪い人じゃないと思うし、親切なオバサンだと思う。だけど、親切なヒトとそうでないヒトを見分ける事は、子供には難しいから誰からももらっちゃイケナイ。」と話した。

怖いニュースがあるにつけ話しをしていたから
スンナリ受け止めてくれたものの、
話しをしながらつくづく嫌な世の中だな、と思った。

さっきのオバサンは100%悪人では無いワケで
それでも子供には「疑え」と教えないとイケナイ。

ワタシ達が子供の頃は
悪い人と言えば「オジサン」と相場が決まっていたけれど
きょうび小学生や中学生の「おにいちゃん・おねえちゃん」だって「信じたらイケナイ」のだ。

人の情けとか人の温かさとか、そうゆう事もキチンと感じて欲しい。
でも実際には「人に親切にしたが為に」殺されてしまった子供もいる。

本当に嫌な事だ。
切ない。



2006年01月09日(月) * 一線を。*

あー、ついに冬休みもオシマイです。
3学期がはじまるー。
カブトさん、卒園までのカウントダウンがはじまるー。
ルールルル。

そんな哀愁が漂う中、現実的な心配ごととしては
この極寒の中、明日からまた通園が始まるワケで、
チャリ通園で心身ともに鍛えぬきたい36歳の冬、
ここを乗り切れるかが自分との戦い。
玄関を出ればソコには車があるワケで、
何が悲しくて耳が千切れそうになりながらチャリに跨るの、自分、とか
そんな毎朝の葛藤を今からシュミレーションできちゃったりします。

それはそうと。
今カブニコと風呂に入っていたのですが。
ニコリンが洗い場でウンコをしました。

風呂桶じゃなくてヨカッタよね、て話しだと思ったヒト。
ブブ。はずれ。

普通よりチョイ柔らかめのウンチ。
2本。

ウンチが嫌いなニコリン。
臭くて汚いものが嫌いな乙女。
自分でこいたウンチだって言うのに
「ウワァァーン。イヤなのー。イヤなのー。」と訴え泣きマス。
どうゆうブリッコぶりなのでしょうか。

それはそうと。
このウンコ、どうしようか。
しばし考えた。

ゲリなら意を決して流してしまうしかない。
そして排水口を鬼のように洗うしかない。

が。
敵はバナナだ。
デカイ。
取れる。
流すワケには行かない。
ココは風呂場だ。

じゃ、とりましょうか。て話しなワケだけど。
ウンコを見つめてギャーギャー泣いてるニコリンをソコに残して
ビニール袋とかなんとかかんとか取りに行ったとする。
風呂場でウンチと2人っきりにされたニコリンは恐らくパニックになって
運が悪ければウンコまみれとか、そんな惨事になりかねない。

て事は、今、ここで出来るベストを尽くせって事だ。
風呂のドアの向こう側に
今しがた脱がせたばかりの汚れたオムツが転がっている。
おもむろにそれを取る。
ニコリンを脇に寄せる。

ウンコを    つかむ。
手で      つかむ。

オムツの中へ投入。
丸めてドアのアチラ側へ。

手を      あらう。

床を流す。

シュウリョウ。


さて。
さて、さて。

子供を育てていく上で
ウンコが手についたとか
布団がウンコまみれになったとか
ウンコを踏んだとか
どうかするとワタシの友達なんて
誤って子供のウンコから分離したみかんの破片を食べたとか
そうゆうウンコがらみのハプニングはいくらでもある。

が。
自ら進んでウンコを触るってのは、
これまたまた違った分野なのね。

今日、それを知りました。

ウンコを自ら掴む。
「間違えて」触るのとは、まったく違った領域。

ある一線を踏み越えたような気がしました。

でも、やっぱり、これは子供のウンコだから出来るワケであって。。。
その他、どこまで許容できるか。

考えたけど、自分のウンコでもNGデス。

母モード。
なんでもアリ。


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