のづ随想録 〜風をあつめて〜
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【のづ写日記 ADVANCE】

2005年03月27日(日) 花粉、歯ブラシ、個人情報保護法

■花粉症、その後。毎年そうなのだが、数日花粉症の症状が酷いときが過ぎると、ほとんど気にならなくなる。花粉が舞い飛ぶ間ずっと鼻水や目のかゆみなどに悩まされる、ということはなかった。
 今年もそう。
 先々週にとんでもない目のかゆみに襲われたその後は、あまり花粉に悩まされることはなくなってきた。一応、点眼薬と鼻の通りを良くする薬、会社の先輩にもらったアレルギーの薬(いいのか、こんな薬をもらって飲んでて)を使用してはいるが、『ああ、もう、辛抱たまらん!』ということはない。
 今朝は朝から天気が良くて、歯医者の予約が入っていた俺にツマは、
「今日みたいな暖かい日は、それはもう花粉が飛び散るので、オットはかならずマスクをするように」
 と言った。ツマが差し出したのは愛用の“鳥マスク”(ツマ命名)。会社では、花粉症ならマスクをすればいいのに、と諭されても「花粉症になったことを認めたようで、負けたカンジがするからイヤ」などと話していたが、ここは素直にツマのアドバイスを受け入れることにした。あの、立体的になってて、ちょっとシャープな感じのするマスク。
 口のところに空間ができるので、確かに呼吸がしやすくて思っていたより良い。
 歯医者へ向かう信号待ちのところで、マスクの中で舌を出して、『べろべろべろ〜』とやったところで誰も気がつかない。おもしろい。床屋の椅子に座らされているときに、髪がかからないように体に掛けられるシートの中で大仏さまの格好をしたときと同じ感動。

■歯医者。診察が終わったあと、歯磨きについてアドバイスがあった。
 歯並びが美しく整っている、というわけではないので、ブラッシングは入念にやるようにしてください。今使っている大人用の歯ブラシよりも、子供用の、ヘッドが小さいものを使うと歯をひとつひとつブラッシング出来てよいでしょう。乳幼児用のものなら柔らかい毛なので、歯茎を傷めることもないですよ。
 素直に、駅前通りのマツモトキヨシに向かい、歯ブラシを物色。歯医者でサンプルとして見せられた子供用の歯ブラシは、先生が言うようにヘッドが小さいシンプルなものだったけれど、マツキヨにある子供用歯ブラシはとても37歳サラリーマンが日常使用するに耐えうるものではなかった。
 柄の部分に施されているイラストがいけない。アンパンマン、ぽむぽむプリン、笑顔の動物たち……。
 こんなものを買って帰ったらツマに何を言われるか。俺は大人用の歯ブラシの中から厳選し、子供用歯ブラシとヘッドの大きさが変わらないものチョイス、デンタルフロスと一緒に買って帰った。
「ヘッドの小さい歯ブラシ? あるよ、洗面台の下に入ってる。デンタルフロスも買ってきちゃったの? あたしの買い置きがたくさんあるのに」
 結局、何か言われるのだ。

■珍しく読書を続けている。今は小説などの文庫本と、仕事関係のビジネス書を併読する、というパターン。通勤時と風呂に入っているときが専らの読書タイムとなるが、仕事がある程度の時間に切り上げることができれば、ドトールなどに立ち寄ってきっかり1時間、ビジネス書と対決したりもする。
 昨日、仕事帰りに地元の駅の本屋に立ち寄った際、探している本について友人とメールのやりとりがあった。俺が探している倉本聰の本は文庫本にはなっていないだろう、ということを彼はすぐにメールで教えてくれた。読書好きの友人がいるとこういうときにありがたい。そのまま、いまお互いがどんな本を読んでいるか、というやり取りになったが、こんな事実が発覚。
 丁度俺がその日読み終えた『個人情報保護法』関連の本を、友人も読んでいる真っ最中だという。
 なんだか、こう、嬉しいんだか、カナシいんだか、という気分だった。



2005年03月22日(火) みんな20年前のまま

 先日の日曜日、高校3年の時の担任の恩師が定年退職されることを記念したクラス会があった。もう何年ぶりの集まりだろう、と指折り数えても思い出せない。そのときに同じクラスだった一部の仲間とはちょいちょい顔を合わせているものの、中には卒業式以来顔を見ていない、という奴もいる。日曜出勤を終え、渋滞の高速道路を進む中、俺はうれしいような気恥ずかしいような不思議な気分だった。
 開催ぎりぎりに到着。すでに先生は着席されており、俺の顔を見るなり「おお、のづ。先日は遠いところをありがとう」と笑った。数ヶ月前、先生の定年退職祝いを兼ねたクラス会をやりたい、という相談のために、先生を誘ってクラス会の幹事役の数名と飲んだのだった。
 今の時代、60歳と言っても――ということを抜きにしても、先生がとても定年退職する年齢とは思えない。ただ、すこし白髪が目立つようにはなった。そこが、先生が、俺たちが平等に過ごした卒業式以来の20年という時間だ。俺は俺で、大学を卒業し、なんとなく会社員となり、結婚もし――という20年を過ごしてきたのだ。男性陣は相応に年齢を重ねている、という風情だったが、びっくりすることに女性陣は(これはホント、お世辞でもなんでもなく)ほとんど変わらない。もともと、オンナのコのレベルの高いクラスではあった(当社比)が、みな綺麗になったと思えた。もちろん、悔しいから本人には言わなかったけれど。
 総数47人だったクラスの約半数が集まったクラス会は、先生の挨拶から始まった。先生らしい穏やかで丁寧な口調で、高校時代のホームルームや担当の倫理の授業を思わせた。そして、乾杯。
 冷静に思う。
 あの卒業式の日、20年後にまたこの仲間たちと顔を合わせ、乾杯をすることがあると想像できただろうか。
 あの頃の俺は(今でもその要素は十分に引きずっているのだが)甘っちょろい仲間意識が強くて、「20年後だろうが100年後だろうが、俺たちはいつだって仲間だぜ」なんて軽々しく言ってのけてしまう少年だった。たぶん、本気だった。でも、ココロの端っこの方ではそう言ってしまうことの“嘘”を感じないでもなかった。

 18歳の少年には20年の時間は気が遠くなるくらいに、遠い。
 37歳の少年には20年など瞬く間に過ぎていった。

 徐々に場がこなれて来て、それぞれが思い思いに席を移動し、懐かしい顔と笑い合っている。俺も懐かしい仲間との懐かしい思い出話と新鮮な話題――まさかご近所さんになっているとは思わなかった!――と少しのアルコールでややおなか一杯になってきたところだ。
 元女子高生たち(失礼)が当時のままの笑い声をあげた。ヤロー共もみんな笑顔だ。彼らと少しだけ距離を置いたところで、俺は仲間たちを眺めていた。
 ふと、思い出した。
 卒業が少しずつ近づいてくると、俺は昼休みに時間をもてあました時は、机に頬杖をついて、こんな風にクラスを見渡すのが好きだった。この素敵な仲間たちを目に焼き付けておこう、なんてことは考えてもいなかっただろうけれど、じゃれあっている女生徒や難しい顔をしてスポーツ新聞に顔を寄せるヤロー共、5時間目の宿題のノートを必死に写している悪友をぼんやり眺めていると、なにかとても優しい気持ちになれた。

 変わらない。
 みんな、同じように時間は過ごしたけれど、何も変わらない。俺はそう思う。
 偶然か、必然か、またこうしてひとつに集まった仲間たちと、定年を迎えられさらに前に進まれる先生と、この縁(えにし)は大切にしたい、と思う。



2005年03月19日(土) カミングアウト

 過去ののづ随想録を検索してみたら、どうやらそれは2001年に初めてその症状を見せたらしい。
 花粉症の話。
 ここで一気にカミングアウトしてしまうと、オレはもうすっかり花粉症の病魔に犯されているようだ。昨夏の異常な気候のせいか、今年の花粉はそりゃもうタイヘンなことになりますから皆さん覚悟しておきなさいよ、という情報をあちこちで目にしていた。毎年すこしずつ少しずつ、真綿で首を絞めるようにその症状がはっきりしてきたオレの『花粉症疑惑』だったが、先日の火曜日、世の中に花粉が飛びまくったその日にオレは自分の花粉症を確信せざるを得なかった。
 いつものように8時ちょっと前に出勤した時点で異常はあった。目がカユい。眼球を取り出して水洗いしたい気分。くしゃみはそれほどでもないけれど、とにかく鼻水が止まらない。鞄とコートと、両手がふさがっている状態で大きなくしゃみをしたら、鼻水が四散した。まだだれも出社していないからよかったが、これが通常時間だったらオレの会社員人生は終わっていたかもしれない。もともと諸事情により鼻通りの悪いオレは朝から酷い呼吸困難。その日は先輩から市販の鼻炎薬をもらって難を逃れた。ふだん、このテの薬を飲むことが少ないせいか効果は覿面だった。本来は避けるべきだとは分かっているのだが、病院に行って花粉症の薬を処方してもらう時間もないので、今週はいろんな人から薬をもらい、ツマから点眼薬と点鼻薬をもらって過ごした。
 今も目がカユくてたまらない。「もう知るか!」と開き直ってゴシゴシと目の周りをこすりまくっていて、鏡を見てみたら両目の周辺だけ五つくらい歳をくったようになってしまった。白目のところは真っ赤に充血して“赤目”になっている。
 すこしずつ天気が春らしくなっていって、気分もいいのに。これから毎年こうして花粉症に煩わされるのかと思うと気が重いなあ。



2005年03月13日(日) 久々、更新

 久しぶりの更新です。こういうときはこのスタイルが書きやすい。

■人間ドック、その後
 昨年は長期出張やらナニやらで受診できなかった人間ドック、仕事の都合で4度スケジュールを変更したけれども、今年はなんとか無事受診することができた。で、先日その内容が郵送で送られてきたわけで、これがまた不健康を絵に描いてワックスで磨いて額縁に入れて柏手打ったような結果が。日々の運動不足と夕食が深夜に及ぶという不規則な食生活(――ツマの名誉のために言っておくと、彼女は俺の健康を気遣った食事をこさえてくれている)の影響が顕著に出ておりました。おかげで、近いうちに再検査しなければならないという、ちょっと笑えない状況でもあったりします。
「いやー、人間ドックの結果、再検査になっちゃいまして」
 昼食時、よく一緒になる女性の先輩社員に笑いながら言うと、彼女は期待通りの言葉を返してくれた。
「えー、どこが悪いって言われたの?」
「性格が悪いって言われました」
 ベタだけれども、軽い笑いは生まれる。「おまけに、“感じが悪い”とも言われました」と付け加えることで、もうひとつ小さな笑いが。しかし、上には上がいる。ウチの部署にいる派遣社員の女性、彼女は俺と笑いの感性が似ているところがあって、どちらかというとツッコミタイプ、というのも俺と似ている。ちなみに彼女は氣志團とか宮藤勘九郎がお好き。
「他に悪いところはなかったんですか?」
 持参した小さなお弁当のおかずを口に運びながら、そう彼女に涼しく言われると、俺は「参りました」と言うほかなかった。
 再検査の予約は、まだしていない。

■秋田料理といえば
 ちょっと前の『どっちの料理ショー』で取り上げられていた「きりたんぽ鍋」があまりに美味そうだった。今まで食べたことのなかった「切りたんぽ」、比内地鶏をふんだんに使ったダシ汁と具、この寒さがまだあるうちに「きりたんぽ鍋」を食べなければならない、と思い立ち、本当は鶏肉をあまり好まないツマを伴い、番組の中で紹介されていた新宿歌舞伎町の店を訪れた。
 本場秋田から取り寄せているらしい「切りたんぽ」が、鍋の熱々ダシ汁と比内地鶏の脂分を吸って、この上なく美味。ちょっと焦げ目があるところもまた香ばしい。ジューシーな比内地鶏は鶏肉好きの俺にはたまりません。こういう郷土料理にはまだまだ俺の知らない美味いものがたくさんあるのだなあと深く感心した夜となった。
 再検査の予約は、えーと、まだしていない。

■空耳アワー
 きりたんぽの翌日は、会社の上司から誘われて、夫婦揃って赤坂のライブレストランへ。過去には大雪が降ったりツマが風邪でダウンしたりと、延期に延期が重なったが今回ようやくの実現となった。
 この店はジャズはもちろん、和太鼓やら島唄やらといったあらゆるジャンルのライブを見せるレストランで、上司がずいぶん昔から通っているらしい。特に気に入っている若いフラメンコダンサーを子供のように可愛がっているので、このフラメンコをゼヒ見に来い、というのが今回の会食のテーマであった。
 生まれて初めてナマで見るフラメンコ。口に薔薇を咥えて、手にしたカスタネットを頭上で軽快に鳴らす、といったわかりやすいフラメンコのイメージとはちょっと違っていた。お店の客席はおそらく20坪(郊外にある平屋建てコンビニの売り場の半分くらい)もない位の狭い店内だったが、木製のデッキのような舞台があって、ベース、ギターが二人にパーカッションと女性の歌い手、というこれもナマの演奏をバックに、熱く静かな踊りが繰り広げられる。
 フラメンコ自体はとても興味深かったのだが、こう、俺の性格というか、どうも気になってしかたなかったことがあった。バックで唄われているカンテ(歌)、もちろんスペイン語で歌われているのだけれども、どこかで聞いたことがあるような気がしてならない。気がする、というよりも、もっとこう強い確信がある。こんな歌はちょいちょい聴いているはずだ。
 そうだ。『空耳アワー』だ。
「どうだ、のづ。たまにはこういうフラメンコもいいだろう?」
 得意気に俺たち夫婦に語りかける上司だったが、とても「空耳アワーで、よくこういう曲が出てきますよね」とは言えなかった。


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