のづ随想録 〜風をあつめて〜
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【のづ写日記 ADVANCE】

2003年06月30日(月)  卒業

 こんな時期になにを卒業するのかというと、もうあっさりと言ってしまうけれど、この『二文字タイトル』をである。
 こういうことは神経質に記録を残しておくタイプで、昨年の7月から戦略的にこの『二文字タイトル』をスタートさせて、通算66回。むりやり二文字を当てはめたタイトルも含め、約1年間に渡り『二文字タイトル』を貫き通してきた。ココの目次ページにずらり二文字の言葉が並んでいるのを見るとちょっと壮観じゃありませんか。
 三谷幸喜の『オンリー・ミー』というエッセイ集があるのだが、その中に二文字タイトルを発見したのがそもそもの始まりだった。笑わそうとしていないけれど、底辺の方ではしっかり計算されていて、言葉選びがちょっとだけ可笑しくて、すこしすました感じの三谷幸喜のエッセイの見た目だけでも真似ようと、ココの『二文字タイトル』がスタートした。当然、三谷幸喜のような洒脱な文章など展開される由もなかったが、それでもタイトルが二文字、ということにすぐに注目した貴重な読者もいて、読書好きの彼の指摘は『ディック・フランシスばりの二文字攻勢。なかなかやるね』
 ふふん、分かるやつには分かるのだ。俺は“ディック・フランシス”ばりなのさ――と瞬時に三谷幸喜を地平の彼方へ追いやってしまったが、実際のところは“ディック・フランシス”が誰なのかさっぱり分からない。漸くさっきWEBで調べてみたら、イギリスのミステリ作家ということが判明。なるほど、作品リストを見てみると、『興奮』『名門』『勝利』『不屈』などなど、二文字のタイトルがずらり。これに比べると俺の『二文字タイトル』には、こう、重みが無いことが分かる。もうちょっと早く調べていればうまく流用できたのになあ。

 次回からはまあ特にひねりもないタイトルに逆戻りとなりますが、まあ内容はさほど変らないと思うのであまり気にせずに更新をお待ちください。
 なんとなく気分だけ変えてみたくて、ココのデザインをちょっとだけいじってみました。近いうちにもうちょっと手直しをしようと思っていまあす。



2003年06月29日(日)  連夜

 めずらしく飲み会が続いた。
 金曜日の夜は取引先との仕事の打上げが銀座で行なわれた。仕事で関わった人と呑む、というのはまあ面倒なこともあるけれどやっぱり大切ですよねえ――と先方の営業課長さんとビールを呑みながら深くうなづきあったりしたのだが、この人は俺より年齢が5つ上でほぼ俺の兄貴と同世代。仕事の話から趣味の話などへテーマが移行してくると、音楽の趣味が俺の兄貴や俺自身とかなりダブる部分があって、かなり盛り上がった。彼は学生時代に浜田省吾のコピーバンドでドラムを担当していたそうで、今でもその仲間達と集まることがあると浜田省吾の曲だけはすぐに演奏が出来るそうだ。ちょっと前までは、銀座のクラブで『丘の上の愛』を唄うと女の子にモテたんですよ、と彼はそのでっぷりとした体を小さく震わせながら笑った。

 そして昨日は、亜大時代のサークル仲間との飲み会。卒業した大学の近くを散策しつつ、夜は学生時代に入り浸った居酒屋で懐かしく呑もう――という企画がもう去年の春くらいからあって、これが漸く実現した。
 俺は新橋での仕事を終えて中央線で待ち合わせの駅へ。10分程遅刻して到着すると、改札口では仲間達が待ってくれていた。
 まずは大学のそばにある名物ラーメンを食わせる『珍々亭』へ直行。「油そば」というネーミングからして体に悪そうなそれは、最近ではカップラーメンなどでも登場するようになったいわゆる“スープのないラーメン”、亜大生で「油そば」を知らないものはない、というくらいのステイタスのある食い物だ。学生時代であれば“特大チャーシューネギ調味料増し”というチョイスが当たり前だったが、さすがに三十路も半ばになるとそんなダイナミックなオーダーは出来ず、軽く“並”をいただいた。一年に一度くらいの割合でここの「油そば」を食べに来るが、いつも大学1年になりたての自分を思いださせる味で、いろんな意味で「うーん」と唸らせる味なのだ。
 大学の構内に入り、我々のサークルの顧問をしていた先生を訪れたが、さすがに土曜の午後で不在だった。
 その足で、やはり学生時代の馴染みの喫茶店へ。俺自身はそれほど頻繁に訪れたことはなかったが、他の仲間は時折ここで「メキシカンピラフ」などを食べたらしい。
 ここで、後輩の一人はもうすぐパパになることを発表し、もうひとりの後輩は8月にケッコンすることを発表した。
 夜になり、いよいよメインイベントの飲み会である。目的地である居酒屋「蟻」は駅前の商店街通りの地下にある。大学から「蟻」への道すがら、
「ここにビッグエコー、ありませんでしたっけ?」
「『牛角』なんて出来てる……」
「俺達の青春の『カレーショップ・マギー』がなくなってる!」
 この街並みの変りようはなんだ。10年も前に卒業をしているのだからそれくらいの変化があっても当然なのだが、ココロのどこかで“あの時のままで”なんて甘ったるい期待があるのは否定しない。
 ごっそりと表情を変えてしまった商店街通りの中で、「蟻」はあの時のままの場所に小さな看板を置いて俺達を待ってくれていた。1間も無いような狭い階段を下り、重い扉を押し開けて「7人なんスけど、大丈夫?」
 まずは冷え冷えの生ビールで乾杯。夕方に時間を潰していた喫茶店ではまったりとした時間を過ごしたが、酒を酌み交わし、懐かしい料理などが目の前に並びだせば話も徐々に盛り上がってきた。
 今回集まったメンバーは、同期がひとり、後輩が6人。俺が大学4年の時に1年坊主で入部してきた後輩で、特に女性陣であれば、未だに俺は彼女達を“18,19の小娘”という印象しかない。学生時代も飲み会に元気よく参加する――というよりはむしろ「ええと、今日はちょっと、家の用事で……」なんてそそくさとその場を去ろうという女の子だったのに、乾杯のビールと肴を手際よく店員に注文し、「やっぱりビールです」なんてことを言うようになっている。卒業してから、当然に年齢を重ねているわけだからそんなことは“ナニを今更”なのだが、それでもやはりちょっぴり嬉しいことのように思えた。
 彼らはきっと、多少なりともいまだに俺に「恐い先輩」というイメージを持ち続けているのかも知れないが、俺からすれば彼らは「大学時代の同時期を過ごした仲間」である。もはや「可愛い後輩達」なんて偉ぶるつもりもない(可愛くない後輩もいるし――いや、嘘だけど)。
 こうして仲間達と時折過ごせる時間と、仲間達のまぶしい笑顔に感謝しつつ、俺は中ジョッキから生レモン酎ハイへと移行していった。



2003年06月22日(日)  健康

 会社のパンフレットを作る、という仕事が山を越えて余裕ができた。実際のところはぜんぜん余裕など持ってはいけない状況なのだが、早い話がすこしだけ気が緩んでいるのである。先週は部内の若手同士(――というと年下の社員に「のづさんは若手ではありません」と否定されるのだが。俺ももうそんな年齢か)で開催する『焼き鳥の会』の第2回が開催され、珍しく銀座の夜を満喫した。今週は今週で東京ドームへジャイアンツ戦観戦を控え、金曜日はパンフレット作成に関わった取引先と盛大に打上げ会の予定、これまた銀座で弾ける夜を過ごすことになる。
 たとえ切羽詰まった状況であっても、ココロの余裕を持てることはいいことだ。
 これまでは休日というとただ家で寝ているだけ、外出する気にもならない、というような感じであったが、体力的にもすこし疲れを癒す余裕ができてきたので、先週・今週と週末は近所のスーパー銭湯へ繰り出した。滋賀の長期出張から帰ってきてから、じつは初めて。ふだんは夜遅い帰宅というせいもあって、さささっとシャワーで誤魔化すことが多いが、たっぷり二時間『湯楽の里 所沢店』を隅から隅まで楽しみました。

 スーパー銭湯は各種の風呂は勿論、風呂あがりに食事ができたり、床屋やマッサージなども揃っていて、そのあたりの年代ならこたえられない程の充実振り。俺も折角なので、あえて『韓国式アカすり』というものにも挑戦。身もココロも健康そのものになろう作戦である。経験したことがある人、手を挙げて。
 とは言ってもアカすりはアカすりだ。想像を絶するほどに“アカすられて”しまって、全身ひりひり状態にならないと誰が断言できよう。『韓国式』と仰々しく謳っているところも不安を助長させるものがある。
 期待と不安でお試しの20分コース2,500円にしてみた。
 担当してくれたおばちゃんのせいなのか、思ったよりも全然軽いアカすりで、ちょっと物足りなかったくらいだ。これをもうちょっと長い時間のコースを選択するとまた感じ方が違うのだろうか。アカすりが終わった後、水風呂に入ったのは大変気持ちが良かった。これはちょっとクセになりそうだ。
 スーパー銭湯でまったりした後、思い立って久しぶりにバッティングセンターへ車を走らせ、約100球の打ち込み。汗みどろになって帰宅したら、「順番が間違っている」と激しくツマに批難された。それもそうだな。

 そう言えば、前回確認したらココのアクセス数が『5990』でした。さあ、6000アクセスまであと僅かです。



2003年06月16日(月)  紛失

 家のカギを忘れてしまうと、大抵の場合、家の中に入ることが出来ない。

 終業時間がとうに過ぎてから、「のづ君、やろうか」という上司の中途半端な笑顔に促され、上司とサシでの打合せが始まった。江川と徳光の激論バトル並みに打合せの盛り上がりを見せるころに、ポケットの携帯電話が低く唸った(マナーモードなので、ね)。上司がちょっと席を外したタイミングで着信を見てみると、それはツマからの電話。まれに夕方の早い時間に『今日、急に会社の飲み会になってしまったのですが、行ってもいいだろうか』というような電話をもらうことがあるので、今回もそんなことか、と思ったのだが、留守番電話にはかなりヘコんだ声で『電話をくださいぃぃぃ』。
 何事かあらんと早速電話をしてみると、ツマはさらにヘコんだ声で言った。
『家のカギを忘れちゃってさあ……、家に入れないんだよねえ……、オットは今日も帰りが遅いぃぃ……? あんまり遅いようならオットのところまでカギを取りに行こうかと思ってるんだけどぉぉぉ……』
 今朝はたまたま俺より先にツマが家を出たので、カギを持たないことに気づかなかったようだった。
 俺は打合せの後に、さらに仕事を進める予定だったが、『ケーキまで買ってしまった』というツマを放置しておくわけにも行かず、打合せが終わると同時に会社を飛びだした。
 ツマは所沢駅のスターバックスの奥で、文庫本を読みながらオットを待っていた。テーブルには随分前に飲み干したらしいコーヒーフラペチーノのカップが佇んでいた。
「お待たせぃ」
 声をかけると、ツマはちょっとだけ苦笑いを浮かべて文庫本を閉じた。
「うー」
 ツマはナニかに警戒する犬のようなうなり声をあげた。かなりヘコんでいる。
 元来、ツマはたいへんしっかりした性格なので、カギを忘れて家を出る、などというミスは滅多に犯さない。こんなことは恐らく結婚してからは初めてのことではないか。オットの方はどうかというと、カギどころかカギを入れたカバンごと無くしてしまうという失態を演じたことがあって、その時は「そのカギを拾った人が我が家に泥棒に入るかも知れない」というツマの恐怖心をあおり、1万円ほどかけてマンションの玄関のカギを取り換えるハメになった。
 きっちりきっちり、ミスを犯さない性格のツマは、そんなふうだから余計にトラブルに弱い。カギを忘れてしまったくらいどうってことないよ――と笑ったのだが、ツマはそもそも会社にいるオットの残業を切り上げさせて帰って来させたという事も許せないことのようだった。
「ああ、今日は最悪の一日だったわ」
 そう言えば、ツマは今朝、ちょっとだけ“ものもらい”気味に左のまぶたが腫れ上がってしまっていた。ココからツマの最悪の一日は始まったらしい。スターバックスを出ると、マンションに着くまでの間、ツマは一気に今日一日の不幸をまくしたてた。
「――だったのよ! まったく、今日は最悪! もう……ホントに……あたし帰る!」

 帰れなかったんじゃねえかよ……。



2003年06月12日(木)  職人

 今、仕事で会社用のパンフレットを作っている。
 約30頁にわたる、ちょっとした企業案内のようなもので、うちの会社の店舗開発の営業マンがそのパンフレットを営業用ツールとして活用するわけだ。
 当然、プロの制作会社に協力を仰いでいるわけだが、特に社内や実際に営業をしている店舗の取材・撮影はその制作会社の仕切りに任せ、俺は必要に応じてOK、NGのジャッジをする、というような位置にいる。
 こんな仕事をやっていると、プロカメラマンやライターさんなど、普段めったなことでは出会わないような人と一緒に仕事をすることになるので実に刺激的だ。
 先月の末、東京→博多→福島、という罰ゲーム的出張取材を組んだ際に制作会社が連れてきたカメラマンは、ふだんはK-1などの格闘技の撮影を中心に行っている、という小柄で寡黙な男性だった。なにもそんなカメラマンを、たかだかちっぽけな企業パンフレットの撮影に連れてこなくても、と思ってそんな水を向けてみたのだが、彼は「いやあ、仕事ならどこでも行きますよ」と俺の目を見ずに照れ臭そうに笑った。
 このカメラマン、最初はすこし取っ付きにくいタイプのように思えたが、少しずついろいろ話をするようになると、とても人間味のあることがわかってきた。スポーツ全般に詳しく、俺が今年のプロ野球の話をふると、「僕は、野茂とか、清原とか、石井浩郎とか、好きなんですよ。大体、パ・リーグしか見ません」と笑う。分かる人には分かるが、彼のチョイスには一貫性がある。高校時代の中村ノリを見に、地元の高校まで足を運んだこともあるという。俺の守備範囲外の格闘技の話を聞けば、それこそ撮影時のエピソードを静かに熱く話してくれた。「おれ、ベルナルドと友達なんですよ。あいつが日本に来たら、一緒にメシ食ったりするんです」
 その罰ゲーム的出張取材に同行してくれたライターさんは、ひと月前に別の取材の時にも来てくれた女性で、女性向け生活情報誌を中心に活躍している、と制作会社のディレクターが言っていた。
 初日の取材が終わって、博多駅前の居酒屋で軽く初日打上げ。俺に制作会社のディレクター、寡黙なカメラマンに女性ライターの総勢4人で、とりあえずお疲れ様の乾杯。俺としては滅多に遭遇することの無いメンツでの呑みだったので、かなり積極的にカメラマンとライターさんに話しかけた。
 趣味とも言えないレベルで「のづ随想録」などというカタチで駄文を書き続けている俺としては、“書く”ことを生業としているライターさん自身が“書く”行為をどんなふうに考えているのか、ということがとても興味深かった。ライターさんは静かに煙草をくゆらせながら、「あくまでも仕事」と笑って言ったが、それは当然に俺の中でも想像していた答えだった。その答えに幻滅などしない。それは事実だ。僕もホームページみたいなところで日記らしき文章を書いたりしてるんですけど、なかなか難しいですね――と俺の本音をぶつけてみると、彼女はひっそりと笑って言った。
「でも、そんな風に、好きで、自由に書くことが、いちばん楽しいんだと思いますよ」
 きっとそれは、その通りなのだろうな、と思った。



2003年06月10日(火)  焦燥

 いよいよその時がきた。
 今、俺がコレをどういう状況でパソコンに打ち込んでいるかというと、池袋駅前のマクドナルドの2階で不味いアイスコーヒーを傍らに、周りの客は平均年齢20代前半、やはりマクドの隣のドトールに入ればよかった……とすこし後悔している。時刻にして22時30分。今日は仕事を早く切り上げてきた。
 ココの更新をサボり続けて3週間近い。言い訳をすれば会社の残業がどうのだの、休日がなかなかとれなくてこうのだのと言うことは出来るが、まあ、それはいい。更新のための更新はしない、というのがココのポリシーでもあることは以前話した。書きたい気持ちはあるのだが、日々23時近くまで残業をして、家に帰って、風呂に入って、飯を食ったらもう寝るしかない。かろうじてメールチェックをするくらいだが、いつだったかベッドに横になったままノートパソコンでメールチェックをしていたら、回線をつなげたまま眠りこけてしまい、朝になってようやく回線を切った――なんてこともしてしまった。ばかだ。
 それにしてもサボりすぎだろ、という感はある。もしかしたらこのまま皆に忘れ去られてしまうかもしれない。それはいかん。書きたいネタはあるのだ。あるんだってば。
 というわけで、くだんの滋賀出張に合わせて手に入れたB5ノートパソコンをカバンに入れて持ち歩くことにした。これなら、ふと会社をサボって喫茶店にいるときや(そんな時間があるはずがないのだが)、残業を早く終えたときなど、どこかに立ち寄ってPCに向かう時間を作ることが出来る。
 それが、今だ。(とっとと家に帰ればいいじゃないか、という発想は、ない)
 そもそもこういうことが出来るだろうことを想定してこのノートパソコンを手に入れたのだ。それほど重量もないので持ち歩くことは苦にならない。自宅でパソコンに向かっているときとはまた気分が違って、キーボードの上の指も心なしか軽やかである。傑作が生まれる予感。
 こうまでしてココに何かを書きたかった理由はもうひとつ、ある。
『三谷幸喜のありふれた生活2・怒涛の厄年』(朝日新聞社/刊)
 説明するまでもない売れっ子作家の三谷幸喜が朝日新聞夕刊で連載している身辺雑記をまとめた、単行本の第2巻だ。
 これがやはりおもしろい。こういうものを読んでしまうと、非常に影響されやすい性格の俺はすぐさまココの更新をしてしまうわけで。
 多少はここの更新を待ってくれていた人、お待たせいたしました。明日以降も順調に更新されることを祈っているのは俺自身です。


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