のづ随想録 〜風をあつめて〜
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【のづ写日記 ADVANCE】

2003年01月29日(水)  決心

 寒い。

 只今の外気温はマイナス3℃。冬になるとたとえ気温が上がろうが下がろうが『毎日が最低気温』の俺が、マイナス3℃という世界で生きていけるはずがない。
 営業車を停めておく駐車場から俺が今住んでいるマンションからまで歩いて5分弱くらいあるのだが、帰宅して夜10時、外気温マイナス3℃の今日などはマンションにたどり着く途中で俺は確実に遭難しそうになった。部屋のエアコンはかなりへなちょこなので、ウンウン唸っているだけ部屋が暖まるわけでもなくまったく用を成さない。熱々で淹れたインスタントコーヒーもあっという間に冷めてしまう。かろうじて追加で調達した電気ストーブを体から30センチくらいのところに置いて、なんとか寒さをしのいでいる、といった状況だ。
 当然、部屋にあるのは狭いユニットバス。夏ならシャワーでさささっと済ませる――ということもあろうが、この極寒の地でシャワーを浴びるだけ、というのはもはや自殺行為。

 会社帰りに立ち寄った本屋で立ち読みをしているとき、ふと手に取ったのが滋賀県の旅行ガイド。『るるぶ』的な雑誌がずらり並んでいるコーナーがあって、それをぱらぱらとやっていると、ふと俺は思い立った。
『――そうだ、温泉に行こう』
 先週の土曜日も仕事中に目星をつけてあったスーパー銭湯に足を運んだ。体の芯までしっかり温まり、慣れない土地での仕事の疲れも癒され、実に心地よい時間を過ごすことが出来た。
 折角見知らぬ土地に来ているのだ。近くには琵琶湖があり、多少の観光も出来る。『るるぶ』を見れば、日帰りで楽しめる温泉やスーパー銭湯がたくさん紹介されているではないか。
 行くぞ、温泉に。通うぞ、スーパー銭湯に。
 仕事の内容はなかなかシリアスで、今日も会議の中で少しずつプレッシャーを感じてきている。特に序盤戦は土日もないような状態になるかもしれない。
 まあそれでも、ちょっと時間を見つけて、そんな“体の芯まで温まる時間”を作ろうと思っている。

 それにしても、今日は、寒い。



2003年01月26日(日)  彼女

 出張先の営業活動でも当然車が必要となる。
 必要な台数のうち3台は現地でレンタカーを調達した。普段会社で使っている営業車と同様の小型車で、トヨタのヴィッツがそれ。コンパクトで小回りが利き、個人的にはセダンの車よりも好みである。なんといってもこのレンタカーで調達したヴィッツには『カーナビ』が装備されているのだ。恥ずかしながら、俺は生まれて初めて、黙っていても目的地まで道案内してくれるという便利この上ない『カーナビ』なるものを使った。

『カーナビ』――21世紀の科学技術の結晶。

 おそらく取扱説明書などが車のどこかにあるのだろうけれど、そんなものをゆっくり読んでいる暇などなかったので、初日はモニタ上でただ道路の現在位置だけを三角形(つまり自車ですな)が走っていく様を「おお、カーナビだあ……」と眺めているだけだった。なにしろ使い方がわからんのだから仕方がない。しかし、せっかくある機能を使わないのはもったいない――と思い立ち、感覚的にキーやらボタンやらを思うままに触っていたら、突然、
『目的地ヲ設定シマシタ』
と、アナウンサー的な女性の声が聞こえ、カラー画面に道順が表示された。まあ、今のこのテの機器というのは感覚的に使えるようになっているのだ。
 ポーン……と電子音が鳴ったかと思うと、車内の両サイドにあるスピーカーのうちの運転席側のスピーカーから、“彼女”の声が聞こえてくる(カーラジオを聴いている時は、この時だけラジオは左側だけのスピーカーから聞こえてくるのだ。考えられている)。
『――実際ノ交通規則ニ従ッテ走行シテ下サイ』
……。実際の交通規則に従って――とはどういうことだろうか。カーナビは幾つかのルートを設定するらしいが、今、画面で図示されている推奨ルートのほかに、“交通規則に従わない”ルートも案内してくれる、というのか。そりゃあ面白い。
『――コノ先、200m右ノ進入禁止ニ入ッテ下サイ』
「おいおい、進入禁止はマズいだろ!」
『大丈夫デス。メッタニ警察ハイマセンカラ』
――などといつものくだらない妄想をしながら車を走らせた。

 確かに便利だ。
 いちいち地図を確認しなくても、目的地さえきっちり設定してやれば、あとは『カーナビ』が右だの左だのと案内してくれる。これは俺が想像していた以上に便利だ。俺が乗っている車の『カーナビ』はおそらく古い機種なのだろうが、それでも曲がり角近くになると画面の半分が道路の拡大図となって分かりやすく表示してくれる。しかしこれは、俺のようにその地域を熟知しなければならないような仕事をしていると、地図を見て車を走らせることが道やそのマーケットを覚えることにもなり、そういう意味ではこの便利な機会は仕事ではあまり使い込んではいけないのかも……という思いもある。

 次の目的地を設定して車を走らせているとき、ふと寄り道をしたくなったので、俺は“彼女”の案内を無視して走ることになった。
『――コノ先、300mヲ左方向デス』
『――マモナク左方向デス』
 俺は左にハンドルを切ることなく、そのまま交差点を直進した。すると“彼女”は、“そこからさらに目的地へ到達する最短ルート”を自動的に再設定し、また一生懸命案内を続けてくれるのである。
 だんだん申し訳ない気分になってきた。“彼女”は俺が決めた目的地への道順を正しく案内してくれているのに、俺はことごとくそれを無視し、“彼女”にとってみればあらぬ方向へと車を走らせていくのだから。
『――マモナク右方向デス』
 ごめんねえ、左に行くんだよお。俺は悠然とハンドルを左に切った。
『――イイカゲンニシテクレナイ?』 突然、冷めた声で“彼女”が言った。
「え」
『――サッキカラ私ノ案内ヲ無視シテ。ドウイウツモリ?』
「……いや、あの」
『――大体、サッキカラ思ッテタンダケド、アンタ運転下手ヨ』
「……」
『――右折ノタイミングハ悪イシ、トロトロ走ッテルシ……』
「……法廷速度で」
『――男ノクセニ……、ア、ホラマタ抜カレタヤン! 悔シゥナイノ!』
「……」
『――ア、ココ左ヤロ! ドコ見テ走ッテンネン!』
 “彼女”の口調がだんだん荒くなってきた。それも関西弁。
『――チッ、ウシロノベンツガパッシングシテキヨッタ。鬱陶シイッチュウネン!』
『――オラオラ爺イ! チンタラ横断歩道ヲ渡ッテルト轢キ殺サレンデ!』
『――ヤカマシワ! チョットこすッタクライデ、ヤイヤイ言ウナヤ!』

『カーナビ』――21世紀の科学技術の結晶。



2003年01月25日(土)  告白

 今日、やっと日経新聞などで新聞発表されたのである程度はこういうところでも公言しても構わないだろう。
 俺は今、滋賀県に出張中である。その新聞発表された内容の仕事を会社から十数名が仰せつかっているわけだが、そのうちの一人に駆り出された、という次第。前回“特命”だの“某所”だのと言っておりましたが、ようやく俺の居場所が明らかにされたわけです。ま、93年の秋から97年の夏までの4年間、大阪に転勤になって以来の関西勤務になったちゅうことやね(急に関西弁)。
 会社からは2ヶ月の期間限定長期出張、と言い渡されているが、仕事の内容からして実際はどうなるかアヤシいもんだ――と腹の底では思っている。
 住まいは滋賀県大津市、歩いて1,2分で琵琶湖のほとり、というところだ。
 『滋賀県』と『琵琶湖』がまともにリンクしたのはこの出張を言い渡されてから――と言ったらやはり莫迦にされるだろうか。大阪に勤務していたときも滋賀県には行ったこともなかったし、書類の中でその地名を見る程度だった。それくらいに『滋賀県』というところは認識の薄い土地であった。
 俺ほどではないにしても『滋賀県』『大津市』がぱぱぱっと頭の中に描けない人のために簡単に説明しておくと、やや縦に細長い丸を描いて、それが滋賀県。その中にやや左寄りに三回りくらい小さい楕円を右30度傾けて描くとそれが琵琶湖。大津市は小さい楕円の先っちょに位置しているわけです。そこから西に約15キロ程度でJR京都駅ってんだから、やっぱりココは関西だなあと感じる。
 久しぶりの“一人暮らし”に、大阪転勤時代の一人暮らしの知恵がよみがえりつつも、会社から仰せつかった仕事を全うすべく気合の入る日々である。



2003年01月21日(火)  出張

 まず、ココ『のづ随想録』の読者の皆様にお詫びを申し上げなければならない。
 幾人かの読者の方からも指摘があったのだが、前回、ワタクシの人間ドック再検査の模様をレポートした『恥辱』が途中で中断してしまった。これは、私自身にも記憶が定かではないのだが、キーボードを打ちながら検査の記憶が鮮明によみがえった瞬間、どうやら気を失ってしまったようなのである。それであのような中途半端なところで終わってしまった、というのがその顛末である。
 いずれまた機会があればその後の恐怖の検査の模様をお伝えすることもあろうが、今はあの忌まわしい記憶を胸の奥のほうに仕舞っておこうと思っている。どうか、ご理解を賜りたい。

     *     *     *

 実は今コレを自宅ではないところでパソコンに向かって打ち込んでいる。勿論、会社でもない。会社の特命を受けた出張で、関西地方の某所にいる。“特命”だの“某所”だのと大仰な表現をしているが、これが結構デリケートな出張なのである。詳細はまた別の機会に話すこととしよう。なにせ、“この仕事に関わっていることについて、会社がいいと言うまでは公言しません”的な書面に署名させられているんだからね。
 この出張で、またまたさまざまな話題が生まれることであろう。乞うご期待。



2003年01月19日(日)  恥辱

 五時四十五分のチャイムが鳴り、意味を為さない終礼が終わると、さあこれからもう一仕事……という感じになるのが常なのだが、この日、俺は早々に机の上を片付けて帰宅の準備をしていた。
「――じゃあ、明日はよろしくな。俺、いないから」
 パソコンのモニタ越しに、斜め前の席の後輩Tに声をかけた。彼は一瞬きょとんとした様子だったが、すぐに“俺、いないから”の意味がわかったらしく、ぱっと表情を明るくして、
「ああ、明日でしたっけね、“検査”」
と嬉しそうに言った。
「なんでオメーはこの話になるといつも笑顔なんだよ」
「いや、そんなことないですよ。心配して言ってるンじゃないですか」
「明らかに興味本位ってのがありありとうかがえるよな」
「ホラ、僕もやったことあるんで、仲間が増えるのが嬉しいんですよ」
「んなこと分かち合いたくないっちゅーねん」

 この後輩T、多少体調が悪くてもきっちり仕事に取り組む大変真面目な性格の奴である。それはそれでまあいい事なのだが、“体調が悪い”を通り越して“体調を壊している”ことが多く、医者に『あまり根をつめて仕事しないように』と念押しされているような常時黄信号状態なのだ。そんな弱い身体の奴なので、まだ30歳そこそこの年齢なのにバリウム、胃カメラなどをしっかり経験しているのである。
 昨年12月に人間ドックを経験した俺は、ココ『のづ随想録』でもその衝撃の体験をセキララにレポート、各方面に話題を振りまいたが、その後の結果、実は腸の再検査を受けなければならなくなっていた。
 で、俺は後輩Tにその事を話すと、彼は想像される検査の内容を詳細に俺に嬉々として語るのである。なにせ経験者である。そのディテールまで細かく説明してくれる。
「たぶんバリウムですね。それも人間ドックの時みたいに口から飲むんじゃなくて、その逆。――そうです、おシリから入れるんですよ。ぶすって。あれは痛いんですよお。ちょっと耐えられないですよ、マジで。僕なんか涙浮かべてましたよ、そン時。なんかスゴイへんてこな格好させられたりして――、ああ、へんな検査着みたいの着せられますから気をつけてくださいね。それか……内視鏡ってんですかね、それを“入れる”可能性もあります。もちろんおシリからね。――そう言えばずっと胃も痛いって言ってましたよね? 胃カメラも飲むんじゃないですか? へんなマウスピースみたいのをくわえさせられて、そこからスルスルっとカメラの付いた管を強引に入れられるんです。ごえってなりますよ、ごえって。あと考えられるのは……」
「もういいっ!」

 この再検査を受けるために胃腸の中を空っぽにしなければならないらしく、俺は朝から検査食のお粥を食べただけだった。昼用、空腹時の間食用の検査食もあったのだが、この日は関わっているプロジェクトの仕事のせいかばたばたと忙しく、準備していたこれらの検査食を食べることが出来なかった。まあ、余計なものを身体に入れるよりはいいだろう。
 結局少し残業をして帰宅、事前の指示どおりに就寝前に二度下剤を飲んだ。一度目は粉末ジュースのような大量の白い粉を水に溶かして一気に飲み干す。
 俺の胃腸は非常に正直にできていて、いわゆる“お腹を壊しやすい”体質である。こんな下剤などを目にするだけで腹の奥の方がゴロゴロ言いだすのではないか、と思っていたのだが、この一度目の下剤を飲んだだけでは俺の胃腸は何の反応も示さなかった。
 就寝前に二度目の下剤を飲む。赤い、小さな錠剤だった。この如何にも医薬品らしい赤い糖衣錠がその驚異の効き目を暗示しているようだった。その効果は絶大で、その後30分もしないうちに俺はトイレの人と化す。

 検査当日。
 病院の指示どおり、朝7時にコップ一杯の水を飲む。勿論朝食はとれない。
 実際はどんな検査をするのだろうとか、病院の指示どおりに滅多に口にすることの無い下剤を大量に飲んだりしている自分が嬉しかったりと、結構ココロのどこかでこの検査を楽しみにしていたところもあったのだが、実際当日になってみるとそんな気分には全くなれなかった。「じゃあ、ちゃんと検査を受けるよーに」と言い残して仕事へ出かけるツマを見送り、俺ももそもそと身支度を始めた。
 人間ドックを受けたときと同じ病院へ、予定どおり9時40分到着。受け付けを済ませるとカウンターの向こうの女性は無表情に「あちらの長椅子に掛けてお待ちください」と俺を促した。
 ひんやりとした朝の空気が病院の廊下に流れ、沈んだ心持ちで俺は自分の名前が呼ばれるのを待っていた。
 がちゃり……、検査室の古い扉が開き、中年の看護婦が俺の名を呼んだ。出来れば呼ばれることの無いまま時が過ぎることを祈っていたフシもあったのだが、さすがにしっかり予約を入れていれば名前が呼ばれないことはない。俺は恐る恐る検査室に入っていった。
「――では、カーテンの向こうで検査着に着替えてください。昨日から下剤を飲んでもらっていますけれど、今は大丈夫ですか? もしトイレに行きたいようでしたら……」
 看護婦はこちらを向いたまま、部屋の隅にある小さな個室を指さした。ああ、そう言えばTが言っていたな。検査室の中に不自然にトイレがあるって。このことか。
 薄汚れたカーテンに囲まれた試着室のような狭い空間で、カゴの中に置かれたブルーの検査着に着替える。ぺらぺらの長パンツのようなそれは、広げてみると異様なデカパンだった。思い立ってそのままくるり反対側を見てみると、“大きく縦に割れている”。男性用パンツ関連衣類は普通“前”が開くようになっているはずだったが、この検査着パンツは“後ろ”が大きく開くようになっていた。
 すでにどんな検査をされるのかは想像がついた。
「では、検査の内容を説明しますね」
 着替え終わった俺は小さな丸椅子に座らされた。
「――人間ドックの時にバリウムを飲んだと思いますけれど(やはり……)、今日は反対におシリからバリウムを入れます(やはり……)。その後、少量の空気と水も入れて(Tの言うとおりだな)、人間ドックの時みたいにあの機械に乗ってもらって腸の撮影をします……」
 だんだん看護婦の声が遠く聞こえるようだった。今年36歳になろうという男がなんでこんなところで尻を出して、そんでもってそこからなんだか分からんバリウムなんぞを入れられなければならないのだ。加速度的に気分がぐったりしていくのが分かった。
 あの時と同じだった。大きな機械のステップのところに立つと、機械はそのままぐいんぐいん言いながら半回転し、ちょうどベッドに寝そべっているような状態になった。
「では、始めましょうか。検査はだいたい20分くらいですから」
 撮影はどれだけやってもらっても構わないから、バリウムを入れるのだけは勘弁してもらえないでしょうか――そう言いたくなった。そして俺はこの検査を少しでも楽しみにしていた自分が果てしなくばかだったと思った。
「じゃあ横を向いてください」
 俺は看護婦に背を向ける状態で横になっていた。看護婦の様子は見えない。しかし、なにやらごそごそと準備をしている雰囲気は怪しく伝わってくる。俺は目をつぶり、次の瞬間を待った。恐怖感とあきらめが入り交じった複雑な思いが腹のそこにずしりと感じられた。
「――力を抜いてくださいねえ」
 カチリ、という金属音が聞こえたかと思うと、看護婦が俺の検査着パンツの縦割れの部分をまさぐりだした。来た……。そしてまた背後で、カチリ、と乾いた音がした瞬間、身体をまっすぐ突き抜けるような激痛が走




2003年01月09日(木)  散漫

 何も考えずにうすらぼんやりと道を歩いていたりすると、何気なく目にする風景の文字に驚愕することがある。
 年末、年越し蕎麦用の天ぷらを買いに地元の西武百貨店の地下食品売り場へ出掛けた。
 蕎麦好きの俺は毎年確実に年越し蕎麦を食べるが、よりおいしくいただくために飛び切りの種を購入しようというわけだった。何より俺は百貨店の地下食品売り場が好きで、ただぶらぶら歩いて美味そうなもの達を観ているだけでも十分楽しめる性質である。
「ああ、どれもこれも美味そうだなあ……。でもアレコレ買って帰ったらツマが怒るなあ……」
 唾を飲み込みながらぼんやりショーケースを眺めていると、視界の端っこにとんでもない文字が飛び込んできた。

『特製肉まん(犬)』

 ――おいおい、犬肉100パーセントかよ! コンマ数秒のうちに鋭くツッコんだが、実際はなんのことはない『特製肉まん(大)』の見間違え。光の具合で、余計な影が見えたらしい。単純な見間違えだが、なかなかおもろい見間違えだと満足。

 今朝、通勤の西武線の中で。
 昨晩の帰宅が遅くやや寝不足気味だった俺は、いつもどおり6時に起床したもののそこから肉体の起動に支障を来し、コタツの中に首まで入り込みうだうだと時間を過ごしてしまっていた。遅刻しない程度の時間に家を出て、半分夢遊病者のように電車に乗り込んだ。
 自動ドアのガラス窓のところに寄り掛かりながら、後方へ飛び去ってゆく冬の朝を眺めていた。視線の焦点がズレて、ガラス窓に貼ってある広告の文字が視界に入った。
『催眠療法』
 ふうん、そんな療法もあるのねえ……などと考えるともなく考えていたら、ちょうどその言葉の上に添えられた文字がものスゴイ事に気づいた。

『引き込まれないでください』

 ――おいおい、催眠療法の広告になんで『引き込まれないでください』なんだ! 俺の眠気は一瞬にして覚めた。
 しかししかし、これもまた見間違え。よく見れば『ドアに手を引き込まれないでください』という、電車の扉によくある注意書きだったのだ。よく出来た、嘘のようだが本当の話。



2003年01月05日(日)  満喫

 正月休みが終わる。
 俺とツマと、互いの実家に顔を出し、浅草の浅草寺へ初詣に行く、というのが毎年の正月の過ごし方になっているのだが、今年は初詣を予定していた日に結構深刻な雪が降り、その勢いを思いきりそがれてしまった。その後、ツマにはツマなりの用事もあり、初詣は来週以降に延期ということで話は落ち着くこととなった。時間を持て余しそうになったので、俺は、
「んじゃ、俺はちょっと“健康になりにでも行ってこようかな”」
 我が家では“健康になりに行く”とは“スーパー銭湯へ行く”と同義である。
 昨年の夏ごろからちょっと流行りのスーパー銭湯(郊外型大型銭湯)にハマっている、ということはココでも書いたことがあったろうか。ふとしたきっかけで、へとへとになった仕事帰りや週末の休日などにスーパー銭湯へ行くようになったのだが、コレが実にいい。なかなか温泉旅行などには行くことが出来ないが、このスーパー銭湯にはちょっとした露天風呂があって、普段なかなか利用できないサウナやジャグジーも充実していることもあり、月に1、2度くらい利用するようになった。
 ツマにこのスーパー銭湯を説明するときに「まあ、健康ランドみたいなものだよ」と言ったことから、我が家では“健康になりに行く”がひとつのセンテンスとして定着してしまったわけで。

 その日も俺は、最近固定しつつあるお決まりコースを経て馴染みのスーパー銭湯へ車を走らせた。
 まずバッティングセンターへ行って、ジャイアンツの上原やライオンズの松坂あたりを相手に約100球、1,000円分の打ち込みを行う。――念の為に言っておきますけど、ホンモノが投げてくれるわけじゃないからね。上原、松坂といったプロ野球選手のピッチング映像が映し出されて、そこからボールが飛んでくるのです。
 今年“初打ち”となったわけだが、調子が良かったのか、松坂の5球目、外角高めのストレートを見事ホームラン。今年のジャイアンツも安泰だ――と呟きながら俺はホームラン賞のぬいぐるみを手にバッティングセンターを後にする。100球の打ち込みってのも結構いい運動になるんですよ。
 次に大型古本屋に立ち寄って文庫本を一冊購入する。そしてそのまま文庫本を持ってスーパー銭湯へ、というのがお決まりコースである。バッティングセンター・古本屋・スーパー銭湯が国道沿いの比較的近くに並んでいるので便利なのだ。
 文庫本を手に、露天風呂に入る。そこでじっくり湯につかりながら文庫本を読みふける、というわけだ。普段ゆっくり本を読む時間を作れないので、露天風呂で気持ち良く読書――という一石二鳥スタイル。小一時間も湯に浸かっていればじっくり身体の芯まで温まり、またひんやりとした空気が火照った頬に心地よく、うん、気分爽快。露天風呂で本を読んでいる人というのは、実は俺以外にも時折見かけるんですよね。ちなみにこの日俺が露天風呂で読んでいたのは『新橋烏森口青春篇(椎名誠・新潮文庫)』という自伝的青春小説。昔、単行本で読んだが、最近無性にまた読みたくなったので、古本屋で100円で購入。
 一度脱衣所に戻り、文庫本をロッカーの中にしまって再び浴場へ。読書タイムからスーパー銭湯満喫タイムへの移行である。ジャグジー、変わり風呂、打たせ湯、サウナなど一通りまわるわけだが、俺が一番好きなのはスチームサウナ。一般的なサウナほどじりじりと肌を焼き付けるような熱さがなく、霧のような水蒸気で満たされたスチームサウナなら長い時間居ても平気だ。このスチームサウナというのはどちらかというとスーパー銭湯の中ではマイナーな位置づけなのか、あまり人が来ないのがよい。俺はそれをいい事に、スチームサウナに誰もいないときは気分よく鼻歌などを歌っている。エコーが効いて、歌っていて気持ちいいんだよねえ。何を歌っているか――もちろん、さだまさしですよ。
 浴場には約2時間半程度いるだろうか。脱衣所で着替え、自動販売機でお決まりのコーヒー牛乳を買う。銭湯の後のコーヒー牛乳は、これはもう条例で義務化してもいいくらいであろう。腰に手を当てて一気に飲み干し、俺のスーパー銭湯は幕を閉じる。

 ――ここまで書いてきて、無性に温泉に行きたくなってきた。
 仲間うちで温泉旅行なんてもの久しく行っていないので、今年あたり実現させたいものですねえ。いかがですか?



2003年01月02日(木)  衝撃

 一応、ご挨拶ってことで。新年明けましておめでとうございます。
 新年早々、ココを覗きに来て下さってどうもありがとう。この『のづ随想録〜風をあつめて』もいよいよ3年目に突入しました。お気づきでしょうが、ちょいと模様替えもしてみました!
 年末に数えてみたら通算で今回が134回目にあたるようです。すごいすごい! 昨年の後半はかなりペースダウンしてしまって、月に2、3度しか更新しないようなこともありましたが、なんとかモチベーションを保ちつつ今年も懲りずに継続する予定です。妙なプレッシャーは感じずに、ちょびちょびと続けていくつもりですので、どうぞブックマークしてやってください。んでもって、時折はなんらかのリアクションなんぞをいただけるとものすごく喜ばしいので、是非お願いします。
 もしかすると、今年の俺からの年賀状を見て、初めてココにアクセスした――なんていう人もいるかもしれませんね。はは、どうもどうも。ココは、あなたの知っている“のづ”が、まあ、こんな日記みたいな随想録みたいなことを不定期更新しているページなんですよ。

   *   *   *

 今年は新年早々なかなか忙しく動き回っている。
 元旦は昼過ぎに俺の実家へ帰省し、今日はツマの実家へ帰省、それぞれしっかり新年のご挨拶およびおせち料理等々摂取という行事に勤しんだわけだ。
 俺はいつも実家へ帰ると、今はオヤジの寝室になってしまっている元自分の部屋をイロイロ家捜しすることにしている。そこにはまだ俺がその部屋を使っていたころの名残で古い本や資料などが残っていて、久しぶりに読みたくなった本や漫画を見つけると家に持ち帰ったりしているのだ。
 で、そろそろ帰ろうかという時間になって、俺はこっそり元の自分の部屋を訪れた。前回帰省したときとなにも変わっておらず、大切な資料もまだ生き残っている(ウチのオヤジは容赦断りなしになんでも捨ててしまう“捨て魔”なのだ)。ふと、俺が使っていた机がベランダに出されているのが目に入った。胸のところの浅い引き出しにはオヤジの仕事道具などが納められていたが、机の右側の一番下にある最も深い引き出しをそっと覗いてみると、その存在さえすっかり忘れていたノート類が沢山残ったままになっていた。
「……あれえ、こんなところにノートなんかしまっておいたかなあ」
 浪人時代に問題集の解答用に使っていたノートが数冊あり、懐かしい自分の幼稚な文字を目の当たりにする。そしてその奥に、俺はオソロしいものを発見してしまった。
 高校1年から3年まで、とぎれとぎれにつけていた日記帳。これは衝撃だ。
 ぱらぱらとページをめくってみると、そりゃもうココで実名などとても出せないような内容が臆面もなく書かれていて、冷汗モノだった。
 それ以外にも、「こんなところにあったのか!」と予期せぬ再会に胸躍らせるノート類が次々と現れる。俺はそのなかから数冊を家に持ち帰ることにした。
 家に帰って、俺はもっとも気になっていた“日記帳”を風呂に持ち込んで、一時間ほど湯船の中でそいつを読みふけった(――この行動自体もばかだな)。
 そこには、高校時代の自分がそのままに居た。
 弱くて、少しだけ強がりで、言い訳ばかりして、それでもなにか一生懸命になろうとしている自分。楽しかった小さな思い出を引きずりまくっている自分。
 俺は高校時代に殆ど勉強らしい勉強はしていない――と思っていたが、この日記を読むかぎりでは結構努力だけはしていたようである、ということもぼんやりと浮かび上がった。
 今と全く変わっていない――というか、当時から全く成長していないなあ、と痛感する部分が多くて、ちと情けなかったりして。ま、いいやあ、と思いきりざぶんと湯船に頭のてっぺんまで浸かる。

 ――今年もよろしくお願いいたします。


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