のづ随想録 〜風をあつめて〜
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【のづ写日記 ADVANCE】

2002年07月29日(月)  熱闘

 高校を卒業してもう十数年になるが、毎年この時期になると母校の夏の甲子園大会予選の経過が気になってしかたがない。この愛校心。母校の野球部は毎年1回戦や2回戦であっさり敗退するようなチームではなく、毎年そこそこいいところまで勝ち進むから、こちらも気をもむことになる。
 気をもんでいるだけでも精神衛生上よくないので、毎年土日などに母校の試合があり、観戦に行けるときは高速道路をかっ飛ばして応援に行くようにしている。この愛校心。大体、そういう時は懐かしい先輩達(もう三十路も後半にさしかかろうかというオッサン達!)も球場に足を運んでいて、瞬間的に同窓会のような気分にもなれるので、汗だくになりながらの炎天下の中の応援もそう悪いものではない。


 俺が応援に水戸まで駆けつけたのは第3回戦。先々週の日曜日、準決勝で負ける、二試合前のゲームだ。
「そんな暑いトコ行ったら溶けちゃうから、あたし行かない」
 とツマにフラれ、地元に住んでいる友人を誘い、俺の車で水戸まで。球場に入ると、ちょうど前の試合がゲームセットとなり、俺と友人は三塁側の内野席に腰掛けて母校の野球部の登場を待った。
 真上から太陽光線が容赦なく球場全体を照りつけ、かなり堪える。準決勝や決勝戦に勝ち進んだ母校を応援しに来る、というのならまだしも、第三回戦という中途半端な試合をわざわざ水戸くんだりまで……という気分にもなる(実際、帰宅したらツマに同様なことを云われたもんなあ)。
 まあ、そう云うな。
 夏の甲子園大会予選に母校がどこまで勝ち進むのか、堂々の甲子園出場を決めるのか――これは俺自身が持つひとつの夏のバロメータ。年齢を重ねる毎に失いつつある季節感を、ダイレクトに感じさせてくれるバロメータ。

 試合は母校が一時逆転を許すも7回裏に一挙5点の大逆転。
 砂埃を上げ、泥にまみれ、汗を拭い、グラウンドの選手達は白球を追う。

 その試合はそのまま勝利を納めたものの、我が母校は7月25日、準決勝で惜しくも敗れ去った。
 俺の夏が、ひとつ、終わった。



2002年07月19日(金)  少年

 仕事の合間、俺は住宅地の裏路地に営業車を停めて車内で書類などを眺めていた。――というよりは、どちらかというと運転席に身をもたげ、ぼんやりと小休止していた、に近い状態だった。
 高層マンションの裏、車がやっとすれ違うことが出来るくらいの道幅で、近くには商店街もあることから夕刻ということもありそれなりの通行人の姿もあった。
 ふと、転々と白球が道路を転がってゆくのが見えた。そしてすぐ、小学4、5年生位の少年が使い古したグローブを手に、よれよれのTシャツ姿でその白球を追いかけてきた。行き交う通行人や自転車に気を配りながら、少年は、その白球を手にすると、ちょうど俺の営業車の上を越えるように思いきりその白球を投げ返した。
「こんな狭いところでキャッチボールか……」
 子供達が大手を振ってキャッチボールに興じる場所が少なくなった――なんてことを今更したり顔で嘆くつもりはないが、どうもこの狭いマンション裏でキャッチボールをしている彼らが不敏でならない。ま、本人達にとっては(子供の視点で見ている、と言うことも手伝って)彼らなりに満足できる“広場”なのかもしれないが。
 バックミラーで彼らのキャッチボールを観察していると、お世辞にも上手と言えるカタチではなかった。その証拠に、ちょうど俺の営業車が停めてある場所に近い側でボールを受けている少年は、相手の度重なる暴投と自分のエラーに何度も何度も明後日の方向に転がってゆく白球を追いかけなければならなかった。

 ベコン。

 営業車のおシリに、何かがぶつかる音。一瞬、車がぶつかってきたか――と思ったが、その軽く乾いた衝撃音は何が車にぶつかったのか、想像に難くなかった。近くでは、決して上手とはいえない少年ふたりがこんな狭い場所でキャッチボールをしているのだ――。
 案の定、ちょっとだけ怯えた表情の少年が二人、こちらに恐る恐る近づいてくるのが運転席側のサイドミラーで見て取れた。
「しょーがねえなあ……」 腹を立てる気など毛頭ない。こんなところに路上駐車しているこちらにだって非はある。怒る、というよりはむしろちょっとも嬉しいような奇妙な感情を抱きつつ、俺は運転席側のウィンドウを下げた。
「――おーい、どこにぶつけたンだあ?」  俺が顔を出すと、
「……すいませえん」 少年がふたり、揃って言った。
 嘆息しつつ車を出て、もう一度、「どこにぶつけた?」と彼らに聞くと、ボールを追いかけてばかりのほうの少年が営業車のブレーキランプのあたりを指さした。
 雨が続いたせいもあってここ数週間、まったく洗車をしていない薄汚れた営業車には、少年がぶつけた軟球のイボイボのあとがくっきりと残されていた。
「ここです……」
 そう言って、少年はぶつけたボールの跡をくるりと指でなぞった。――おいおい、マルで囲むことはないだろうよ……。俺はココロの中で少年をツッコむ。なんだか妙に可笑しかった。
「すいませえん」
「いいよいいよ。気にすんな」
 そこには小学生ふたりと、ワイシャツ姿のおっさんがいた。
「――それより、おまえら、もちょっとキャッチボール練習しろ。さっきから見てたらボールが転がってきてばかりじゃないか」
 俺を見上げる少年が苦笑いを浮かべた。
 自分がガキの頃、同じように止まっている車にボールをぶつけたり、広場の隣の家のガラスを割ったりと何度もオトナに怒られた。彼等少年も俺が記憶するのと同じように、今日のこの小さな出来事がキャッチボールをしていてオトナに怒られた記憶の一つになったのだろうか。
 ふたりはまた元の場所に戻ると、けらけらと笑いながら下手くそなキャッチボールを続行した。



2002年07月14日(日)  岡崎

 誕生日や結婚記念日などにはだいたいどこかへ食事に行く、というのがウチの定番になっていて、今年の結婚記念日には表参道のレストランへ出掛けた――と言う話は以前に紹介した。
「今年はどこか行きたいところ、ある?」
 とツマに聞かれ、俺は迷わず答えた。
「『香おる』に行きたい」
 まあ恐らく誰も知らないとは思うが、水道橋駅の東口すぐのところに元ジャイアンツの岡崎郁が経営する焼肉屋がある。昨年だったか、長嶋ジャイアンツがシーズン中に決起集会を行ったことでも有名(――知らないよな、やっぱり)。
 ジャイアンツファンとしては一度は足を運んでみたいと思っていたのだが、今年は夫婦揃って十数試合もジャイアンツ戦を観戦していることだし、ここは一気に『香おる』も征服してしまおう、ということで行ってきました。
 念のために予約をしていたのだが、池袋の西武百貨店の地下食品売り場で一粒100円くらいの梅干しを購入するなど寄り道をしてしまい、20分程遅刻。ジャイアンツカラーのオレンジ色に染められた壁の階段を降りてゆくと、店員が笑顔で席まで案内してくれた。
 とりあえず中ジョッキで乾杯。焼肉屋での基本的オーダーを素早く済ませ、ぐるりと店内を見回した。
 一般的な街の焼肉屋――といった程度の広さで、なんと言ってもジャイアンツの選手達のサイン色紙が壁一面に張られているのが圧巻。長嶋監督と王監督のサインだけは特別に大きな額に並べて入れられていた。サインバットも20本くらいあったし、選手と店員が並んで写った写真も幾つか張られていた。
 何人もの芸能人のサイン色紙がある中で、笑ったのは“プリティ長嶋”のサイン。長嶋監督の『野球とは人生そのものだ』の台詞をもじって、サインの横に『焼肉とは人生そのものだ』の言葉が。

 注文したタン塩も葱タンもカルビも地鶏もしっかりと確実に美味かった。特上の霜降り肉のタタキを貝割れ大根などの薬味と一緒に韓国のりで巻いて食べる“大とろ巻”はオススメメニューだったが、確かに美味い。
 丁度俺とツマが座る席のすぐ近くのテレビでオールスター戦が放映されていて、こりゃあジャイアンツ戦がある時にココでビールと焼肉でジャイアンツを応援するってのもいいねえ……てなことをツマと話しながらカルビをはふはふ。
 あらかた食べ終わったところで、インターネットで見つけた『香おる』で使えるクーポン券を店員さんに差し出してみた。クーポン券には『岡崎選手の直筆サイン色紙をプレゼント』とある。勿論ジャイアンツファンとしては押さえておいていいグッズである。店員さんは、少々お待ち下さい――と言い残し、店の奥へ。暫くすると、
「すみません。今、サイン色紙を切らしてしまっているので、サインボールでもよろしいでしょうか」
 よろしくないわけがなかった。プロ野球選手のサインは色紙に書いたものよりもボールやバットなどにあるサインの方が何倍も価値がある、となんでも鑑定団で見たことがある。岡崎は超一流選手という訳ではないが、俺には宝物にもなるものだ。
 満腹感に加え、サインボールまで貰って大満足で俺とツマは店を後にした。
 今度はジャイアンツ戦がある時を狙って行ってみようかと思う。その時はきっとジャイアンツファンが店に溢れていて、かなり盛り上がることだろうなあ。その時には店にあった日本酒『不滅の巨人』を注文しなきゃな。



2002年07月12日(金)  四十

 俺の知り合いの中で、この俺の誕生日を知っているやつはけっこう多いンじゃないかと思う。
 7月7日。七夕。
 今年も俺の誕生日前後に幾人からおめでとうメールをいただいた。いつだったか、俺の誕生日を微妙に中途半端に記憶していた方から“7月6日”におめでとうメールが届いたこともあったが(7月6日は俺の義姉の誕生日です。同い年のね)、いずれにしろ自分の誕生日を覚えていて貰えるというのはありがたいことだ。
 かなり自己満足的な話をすれば、もしかするともう20年近く会っていない小学校や中学校時代の友人の誰かが「あ、七夕と言えばアイツの誕生日だな」とどこかで思い出してくれているかも知れない。そんなことを考えるとこの誕生日は大切にしたいと思う。
 ちなみに七夕生まれの有名人は研ナオコ。これは、
「へえ、七夕生れなんだ」
「ハイ。研ナオコと一緒の誕生日です」
「(軽い笑い)」
――という一連のネタになっている。
 また、女性シンガーのMISIAも七夕生まれであることを営業車のラジオで知った。しかしこれはあんまりネタにならないなあ……。
 今年で35歳になりました。「ええっ、俺が35歳!?」と精神年齢的にあまり成長のみられない自分で自分にツッコんでしまいます。
 四捨五入すると(別に四捨五入する必要は全くないんだけれど)なんと四十歳。なんという響き。まあ、年齢は結果的に重ねたとしても、四十歳になった俺は根底のところではほとんど今と変わらない、単なる面白いこと好きのオヤジになっているのだろう。

 俺の誕生日の夜から4日間、会社の出張があって、俺は湘南にある研修センターで軟禁状態となっていました。そんなことで、今日、ひさびさの更新です。



2002年07月05日(金)  連投

 またか、と思われるかも知れないが、今日もツマと東京ドームへ行ってきた。今シーズンはもう何試合見ているだろうか。ええと、10試合はとっくに越えているが、面倒なので数えるのはここではよそう。
 で、明日も休日出勤の後、東京ドームへ――の予定だ。
 伝統の巨人―阪神戦を今日、明日と2連投で観に行くことになる。一応、前半戦の山場でもあり、我がジャイアンツはここで一気に勢いに乗り独走体制を固めたいし、阪神は阪神でここでジャイアンツに大きく負け越すと、いよいよ尻に火が点いてくる状態となる。どちらもしっかり勝ち越したい3連戦なのだ。ワールドカップが終わって、さあニッポンのプロ野球もちょっと面白い展開になっているのですよ。
 この観戦2連投を熱狂的阪神ファンの友人と一緒、というのもポイント。わざわざ一緒に見に行く、という訳ではないのだがチケットの関係でたまたま席が隣だったり近かったり、ということになる。
 阪神ファンの応援は他の球団のそれよりも迫力があり、まとまりがあり、今のジャイアンツの応援スタイルが少なくとも俺自身は好きではないので、実はココロのどこかで羨望の念も抱きつつ『うるせーなあ』などと毒づいたりしているのも事実なのだ。
 今日はヨシノブのタイムリー、松井のホームランでしっかり先勝。一緒だった阪神ファンは肩を落とし、早々に東京ドームで別れた。しばらくして『只今、ヤケ酒中』とメールを送ってきたくらいだから相当“不完全燃焼”だったに違いない。
 明日はわが身、確実に明日もジャイアンツには勝ってもらってこの3連戦の勝ち越しを決めたい。



2002年07月03日(水)  路上

 俺の住む街の最寄り駅から伸びているちょっとした商店街がある。
 その通りにはナウなヤングが好みそうな洋服屋やCDショップ、雑貨屋、ゲームセンター、カラオケなどが立ち並び、そんなに薬は飲まねーよ、と言いたくなる位にドラッグストアも多く、一応『マルイ』なんかもあって、昼夜を問わず結構な人通りだ。
 そしてこの通りは、夜になると完全に若者が集う“ストリート”と化し、明らかに頭の悪そうな高校生や大学生くらいの年代の子達がこの通りを行ったり来たりしているのだ。
 まあ、自分も学生の頃は同じようなことをしたことがある筈なので頭ごなしに否定はしないが、とにかくやかましい連中である。恐らく近くの居酒屋で安いレモンハイなどを飲み倒した後なのかも知れないが、「ひよおう」とか「きぃやあお」とか、訳の分からない奇声を発している。道一杯左右に広がってケラケラと笑いながら歩いている。
 甚だ迷惑ではあるが、若き日々には誰もが通る道――と寛大な気持ちを持って、なるべくそういった迷惑連中を俺の心の琴線に触れさせないようにしながら俺は足早にその通りを過ごすのである。
 夜のこの通りには、また、どこからともなくストリートミュージシャンが多数現れる。
 ストリートミュージシャン――と言えば聞こえはよいが、俺に言わせれば『ただ路上でギターを抱えて唄っている奴』という程度のが殆ど。通りの入り口から出口まで、だいたい5〜10組の若人がギターを抱えて、なにやら唄ったりがなったりしている。
 酔っ払って騒いでいる連中は、特別気にしないように無視して通り過ぎるのだが、この路上演奏者たちのことはアレコレと気になって仕方がないのだ。
 まず、あまり歌そのものが上手でない奴。本人は気持ち良く歌っているのだろうから、まあそれはそれでよし。長淵を歌っているのが多いような気がするが。
 明らかにチューニングがズレたギターを弾いている奴。これは論外。ギターの基本はチューニングからですよ、と説教してやりたくなる。
 勿論、なかには美しいハーモニーを聴かせているデュオもいたりして、時間が許せばゆっくり聴いていたい――と思わせる奴もいる。そういうのは大抵、歌う場所も考えていて、銀行や大きな建物の入り口など、歌うとちょっと反響しそうなところをしっかりポジショニングしてるんですね。
 ああ、リズムがいまいちだとかフィンガーピッキングがあまいだとかいろいろ気になってしまうのだが、実は根底のところでは俺は彼らをとてもうらやましく思っているのだ。
 俺が大学生の頃に、今のように(技術や歌唱力が伴わないとしても)自由に路上で歌うことが当たり前だったとしたら、俺はゼッタイにギターを抱えて吉祥寺の駅前あたりに現れていたかも知れない。



2002年07月02日(火)  強要

 もうすぐ誕生日を迎える俺は、運転免許証の更新締切りがもうすぐ直前に迫っていた。で、近所の警察署へ朝一番からの講習を受けに行った。
 必要書類を提出し、更新料などを支払う。
「眼の検査をしますので、あちらのイスに座ってくださあい」
 係員のおばさんに促され、小さな丸イスに腰掛ける。最近の視力検査ではよく見かける、デスクトップパソコンのモニタくらいの大きさの箱に開いている二つの穴を覗き込んで、そこから見える『C』なんてやつを右だの左だのと答える、アレ。
 子供の頃には数メートル先に視力検査用の検査用紙(というのか、アレは?)が張ってあって、先生が次々と小さくなってゆく『C』を指し棒で示してゆく――というのがポピュラーだったけれど、最近はもうどこもやってないのかな。そのくせあの検査用紙だけは張ってあったりするんだよね。
 俺の視力は、今、裸眼で0.4〜0.6位だと思う。メガネをかけて1.0〜1.2というあたりか。特別、メガネがなければ生活できないわけではないが、少なくともここ数年、俺の免許証には“眼鏡等”という運転条件が記されていた。ま、視力が落ちているのだからコレは仕方のないこと、と諦めていた。
「はい、じゃあ、メガネを外して穴を覗いてみてくださーい」
 係員のおばさんが言った。敵は機械的に『C』をどんどん小さくしてゆくわけだが、3つ目くらいに小さくなった『C』はもはやほとんど見えず、右だか上だか分からない。
「ううん……、上……、かな?」
「はい。じゃあ、これは?」
 どれだけ目を凝らしてみても見えない。
「わかりません」
「よく見て下さい」
「え?」
 ――よく見て下さい、とはどういうことだ? 見えねーから「分からん」言うとんのに「よく見ろ」とは……。とりあえずテキトーに「左ですかね」と答えると、おばさんはさらに小さい『C』にした。
「ああ、わかりませんねえ」
「よーく見てみてください」
 なぜそんなに強要するんだ。見えねーっつってんだろが。その米粒みたいな『C』が見えないと俺の免許証は更新しないとでも言うのか。それとも、あの係員のおばさんにはノルマがあって、担当した人の平均視力が0.6を下回ると仕事上の評価が下がってしまうのだろうか。
 眉間にしわを寄せて目を凝らすので、肩がこってしまう。おまけにその直後、講習と称したビデオ――交通事故被害者の悲劇、みたいなココロの傷むやつ――をさんざ見せられて、朝からすっかり疲れてしまった。



2002年07月01日(月)  夕食

 仲間となんだかんだ上司の不平不満を言い合っていたら22時になってしまい、帰宅したのが23時近く。ま、これくらいの帰宅時間はザラである。それから風呂に入る。読むべき雑誌を営業車の中に置き忘れてしまったので、『蕎麦屋のしきたり』という文庫本を読みつつ湯船に30分。
「今日の夕食は大変ヘルシーです」
 とツマが準備してくれた夕食は実にベジタブルだった。
 豚肉とニラの炒め物(ニラたっぷり)、野菜たっぷり豚汁、おから、カボチャの煮物、野菜サラダ。昼食を12時に食べてから何も胃袋に入れていなかったので、必然的に空腹であり、御飯茶わんにはやや多めの白米。
 どれも確実に美味しかったのだが、これが実はけっこう量が多く、俺は連続ゲップをしながら今コレを書いている。

 夕食、で思い出す話がある。のづ家(ここでいう“のづ家”とは俺の茨城の実家であり、かつ我が家の両方を指す)では伝説と化しているエピソードである。
 俺がまだ独身で茨城の実家にいて、池袋の本社に勤務していたころのハナシだ。丁度、ツマとお付き合いをしているころ。
 その日は残業でかなり帰宅が遅くなり、恐らく最終電車でへたり込むように実家へ帰ってきた。
 たまたままだ起きていた母親が「もっと早く帰ってこれないの」だの「こっちの身にもなれ」だの、やや不満気味に俺の夕食の準備をしてくれた。
 母が食卓に並べたのは、御飯、焼き鮭の切り身、みそ汁。実にシンプル。実に質素。
 べつに贅沢をしたいわけではないが、あまりにも簡潔なメニューだったので、俺はやや冗談気味に母に不満を申し述べた。
「ねえ、もちょっとナンかないの?」
 るさいわねえ……。母には母なりの不満があって、そう呟きながら母は冷蔵庫から出してきた鮭フレークを俺の目の前に置いた。
「……」
 『焼き鮭』と『鮭フレーク』をおかずに御飯を食べたことのある人間は、恐らく東関東で俺を含めて5人いないと思う。

 ベジタブルな夕食をとりながら、俺とツマはそんな話をして笑っていた。


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