時々日刊たえ新聞
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2006年10月22日(日) わたしのために祈ってほしい

久々の日記。この日記、念願の礼拝日記になってきたかな?信仰を持っていない方も、よろしかったらどうぞお付き合いください。

昨夜(土曜日)教会の1人の女性から電話があった。「明日ね、教会お休みするワ。何だか体調悪くて」わたしは「うん、明日はお休みして次の日曜日には来てね」と言った。たったそれだけの話。1-2分の会話だった。
今朝、8時前に電話が鳴った。昨夜の女性からだった。「わたしね、今朝嫌な夢見たの。これで3日連続嫌な夢見てるの。(リアルな夢の内容も話して下さったけれど…省略)わたしこのままじゃダメだと思う。やっぱり今日は教会に行こうと思う。行くワ!」決然として言うのに対してわたしは「うん、来て来て〜」と調子こいて言った。(^^;)
さっきまた同じ女性から電話があった。ダメな事態はちっとも変わっていないんだけど「今日は礼拝に行って良かった。石橋先生の説教聴いて良かったワ」と言う。彼女自身が決断し行動しそして結果報告して下さった。電話でほぼ黙って聞いていただけのわたしは少々感動している。自分で変わることが出来ない追い詰められた時、わたしたちは決然と行動するのも1つの手だと思う。礼拝に出るという決断も人によっては勇気のいることだと思う。勇気を振り絞って行動してみる。自分の中の何かが変わる時がある。

今日の礼拝は石橋副牧師のメッセージだった。題して「わたしのために祈ってほしい」(ローマ人への手紙15章30節)余談ですが…わたし礼拝の司会でした。説教の前に聖書を読んでお祈りして、特別賛美を紹介して説教題をアナウンスすべきところ、こともあろうにこんなに素敵な説教題を言うのを忘れた!バイオリンとフルートとピアノの特別賛美(いつくしみ深き)が終わった時そのことに気付いた。咄嗟にここで説教題言おうかと迷ったけれど、その前に説教者が講壇前に立ったので…諦めた。わたし礼拝司会の時はあまり上がらないんだけど(きっと祈られているから)、今日は急に動悸を覚えた。(^^;;; 後で説教者に謝ったら「そうでした?気がつかんかった」ホントかい!?(わたしへの労わりではないかしら?)余談終わり。

「どうか、共に力をつくして、わたしのために神に祈ってほしい。」そう手紙に書いたのは大伝道者パウロさん。パウロさんには幾つかの不安がある。自信たっぷりどころか、不安の只中にいるパウロさん。パウロさんの心情と牧師として立てられている自分の心情を照らして石橋先生は「わたしのために祈って下さい」と説教題のままに語った。「わたしたちは祈ってもらうことを必要としている存在なのです」
昨夜から連続3回お電話下さった方もきっと、自分が「祈ってもらうことを必要としている」ことを強く感じ、祈ってもらおうと思ったに違いない。

今日のメッセージを胸に温めて家路に着いた人は多かったに違いない。わたしたちの多くはそれぞれ課題を抱えて右往左往し、しばしば解決つかいない状況に打ちひしがれる。だけれど、誰かがわたしのために祈って下さっているとしたら、そう確信出来たとしたら、問題は解決されていないけれど、何てうれしい、何て力強いことだろう。「わたしは祈ってもらうことが必要なんです。わたしのために祈って!」年を重ねても率直にそう言い続けたい。


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