時々日刊たえ新聞
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2006年09月09日(土) イエスさまを伝える方法

↓下の説教を聴いた9月3日午後、教会では小学生グループ・小羊会の例会をした。新メンバーが3人いて「紹介しま〜す」なんて言ったものの、7月の例会を休んだわたしがお初なんであって3人に「出たことある〜!」って抗議されちゃった。ゴメン!(^^;)メンバーが増えて嬉しい。

参加者:小学生6人、幼児3人、大人5人、ゲストとその妻、計16人久々大人数。
ゲストは新進気鋭のアーチスト鈴木悠高(ゆたか)さん。油絵を描く。27歳。うちの教会の教会員。彼は幼い頃からイエスさまを信じて家族で教会に来ていた。小羊会のメンバーでもあった。つい先日個展をしたばかり。その個展に出した絵と、20代初めに描いた絵を一枚ずつ持参してくれた。(彼の描く絵は大きい。身体も大きい)20代初めの絵は赤が多く使われていて一見明るいけれど、ちょっとハラハラするような落ち着かない気分になる。胎児の目から見た光景なんだそうだ。もう一枚は全体がグレーの色調で一見暗そうでいて温かい。その絵には題名が無く見る人任せとのこと。その濃淡が微妙に想像を掻き立てられる。わたしは雪道を登っていく山道のような気がした。あるいは竹林の登り勾配の道。先日の個展は色違いでそういう見る者任せの大きな油絵ばかりで構成されていた。灰色の絵の画像はないけれど、別の絵をお見せします。⇒

さて、悠高くんは胎児の絵を書いた頃は「神さまなんて嫌いだ」って思っていたんだそうだ。そんな時期があったのを知らなかった。今は、自分が絵を描くのは「イエスさまを伝えるため」だと子ども達にお話してくれた。絵という具体的な物と優しい(易しい)言葉でイエスさまってステキだよってことを子ども達に伝えてくれたと思う。ありがたい。子ども達は何を耳で聴き心に留めるかわからない。聴いていないようで聴き、見ていないようで見、そういうものが子ども達の心に沁みているのだとわたしは確信している。子ども達が神さまに愛されているのは当然だけど、教会に集う大人たちにも愛されて守られてしっかりイエスさまと繋がってくれたらと願う。悠高くんも寄り道したけれど今神さまに繋がっている!教会ってホント帰ってくるべき我が家だよなぁと思った。


2006年09月03日(日) 「わが愛におれ」(9/9up)

9月3日の礼拝説教、心に残ったので書き残します。説教は奥村牧師。聖書の箇所はヨハネによる福音書15章9節〜11節。上記説教題は文語訳。わたしの聖書では「わたしの愛のうちにいなさい」となっている。わたしの好きなみことばの一つで、しばしば口に出す。なんて優しい愛のことばなんだろうと思う。奥村先生はわざわざ文語訳を選ばれた。同じことばなんだけど「わが愛におれ」ってな言われ方したら(それも対面して言われたりしたら)、その決然とした力強さに、わたしは相手にメロメロになるね。(笑)

イエスさまは弟子たちを愛してやまない。愛するあまりこれからの困難な時を生きる弟子達を守り励まさずにいられない。それは今もわたしたち一人一人に向けられる愛と憐れみと励ましだと思う。わたしが弱い事をよくご存知なイエスさまは、いつでも繰り返しわたしを励まして下さる。教会に行く事、礼拝すること、主の晩餐式に参加すること、祈ること、聖書を読むこと、そのどれもがイエスさまの愛のうちにいるってことの再確認の作業になる。イエスさまの熱く込められた思いにいつもしっかり気づき応えたい。

先生が強調されたこと「イエス・キリストのみ見上げる!」うん!って力づけられた。

この日奥村先生の説教は真剣だったように思う。いえ、いつも真剣なんですが。(^^;)説教者と聴く者との心の交流が生まれた気がして、先生招きをして〜と思ったんですが、されませんでした。残念。(笑)

※招きとは:しばしば説教者が説教の後の祈りの中で、聴いた者の決心を「手を挙げて示して下さい」などと促し尋ねることがあります。時には前に出て来て下さいと招く説教者もいます。もちろん素直な気持ちで応えても、応えなくてもいい。


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