時々日刊たえ新聞
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2005年09月30日(金) アシュレーコール25周年コンサート

札幌コンサートホールkitara(小ホール)にアシュレーコールのコーラスを、娘と聴きに行った。アシュレーコールはうちの教会のママさんコーラスグループ。ママじゃなくても成人女性なら入れると思いますが(^^;)。教会の地域活動の一つとして25年続いているという。わたしが教会を知らない時から続いているんですね。指揮者とピアニストとメンバーの一部は教会員。多くはノンクリスチャンだと思う。時々礼拝の特別賛美もして下さるし、女性会主催のクリスマスコンサートには必ず賛美して下さるから教会員には親しみのあるコーラスグループです。静かないいコーラスでした。中田喜直さんの曲(氏の最後の曲も)、金子みすずさんの詩と、うちの教会から生まれた賛美歌が歌われた。賛美歌の部は四人の弦の伴奏付き。文句なく美しい。コーラスメンバーの中にはずーっと続けて歌っている方が何人もいる。尊敬する。コーラスが好きだと言っても、継続するには困難もあったに違いない。続ける事はすばらしい力だと思う。これからも美しい合唱を聴き続けたい。月末の忙しい時でしたが行くチャンスを与えられたことを神さまと友に感謝します。


2005年09月27日(火) 24時間連鎖祈祷

10月1日と2日の特別伝道集会に向けて24時間を1時間ずつ祈りのリレーをしようという連鎖祈祷に参加した。今までは特伝のために毎日自分の祈る時間を決めて、場所は違えても毎日祈りを繋げようと企画されていたが、今年は9月27日20時〜28日20時までと指定して、教会で実際にリレー祈祷する者、出かけてくることは出来ないけれど家で1時間祈る者、それぞれが自発的に自分の祈る時間を申告した。わたしは夜の早めの時間で空いていたところに名前を書いたら、そこは24時間のスタートの時間だった。最初のわたしから遅刻してはまずいぞ、心して教会に向かった。27日(火)夜8時わたしは教会の一室(祈りの部屋として整えられていた、ちょっと明る過ぎたので電気を消した)で祈り始めた。教会の中には人の動きが感じられる。リリーズの歌声も聞こえる。(特伝に向けての練習をしていた)深夜の静かな環境もいいかもしれないけれど、こんな人のさざめきの中で祈ることが出来るのもいいなぁと嬉しさが湧き上がった。祈る課題を紙に書いて行ったが、次から次に祈る相手が浮かんで紙を見ることも無かった。特別伝道集会で奉仕して下さる方々、特伝に来て欲しいとわたしが願っている方々、お一人お一人の名を挙げて祈った。どれだけ経ったかなと時計を見たら33分だった。15分くらいの気分だったんだけど。それからまた祈り始めた。一人の人のことを念入りに祈った。教会の一人一人のことを祈った。まだ祈り続けたかった。でも時計を気にしながら30秒前に、隣室で待機していた2番目のSさんにバトンタッチした。祈りを終えて教会を出たわたしは、一日の仕事の疲れが吹っ飛んだように背中がまっすぐになった。連鎖祈祷に参加することが出来て幸いでした。


2005年09月25日(日) 温泉旅行

恒例になっている北見(夫)の両親を囲んでのお泊り会。メンバーは両親、義姉夫婦とその娘(わたしたちには姪になる、東京近郊在住)。義兄夫婦とその娘夫婦と息子(さんちゃんの従弟、同い年)。そしてわたしたち家族4人。計14名。去年は7月の初め、定山渓温泉に参集した。その時来年は層雲峡温泉で、日にちはわたしの公休日を追って数えて9月24日(土)ってことに決めた。両親とお義姉さん夫婦は帰る道すがら、層雲峡温泉に寄ってホテルの予約を取ったそうだ。ところが11月に北見の父が入院し、命も危ぶまれる事態になった。どうにか一命を取り留めて自宅療養になったが遅々たる回復で、果たして今年のお泊り会が持てるだろうか?と心配された。ところが義父は復調してお泊り会もOKだと言う。嬉しいけれど半信半疑。本当に大丈夫?初日のパークゴルフ会場に現れた義父は、やや足にふらつきは見えるものの、ユーモア健在、気力も充実していると感じられた。パークゴルフにも参加したけれど、皆に心配されて9ホールで打ち止め。わたしが横に並んで腕を取ると「おい、年寄り扱いするなや」と言う。「えっ!?お父さん十分お年寄りですってば!」義父は暮れには86歳になる。(笑)食事時にはビールも飲む復調ぶり。(^^)v

夕食後は一室に集合してゲームをすることが慣例になっている。カラオケ・かるた・ビンゴや競馬ゲームをする。いつもリードは義姉のダンナさま、心優しいお義兄さんなのです。今年はビンゴのみ。景品を用意してくれたのも義姉夫婦。豪華商品を惜しみなく提供してくれた。その恩恵に大いに与った我が家。
おじいちゃんおばあちゃんの体を気遣って今年は早々に解散。それぞれの家族毎の部屋に戻る。我が家の子どもたちは即座にテレビの前に寝転がり、金田一少年の事件簿のドラマに見入っていた。テレビの無い暮らしをしている反動だろう、ここぞとばかりテレビに釘付けになる(特にさんちゃん)。普段は寝つきのいいわたしだけど、テレビの音と光でいつまでも寝付けなかった。

翌日は日曜日。旭川の旭山動物園に行く事になっている。それぞれの車を連ねて旭山動物園入りした。いりちゃんはおじいちゃんの一番のメンコだと思う。いりちゃんをからかうおじいちゃんの言葉は優しい。いりちゃんもおじいちゃんに優しい。いりちゃんとわたしはおじいちゃんのお目付け役のようにくっついて、上からゆっくり下に移動した。(旭山動物園はなだらかな山の斜面にあるのです)去年すでにわたしたちはじっくり旭山動物園を見ているので、おじいちゃんに合わせてのんびり歩いた。おじいちゃんは動物の愛らしさなんぞに心を奪われない。「ここには昔来た事がある、たいしたことない」てなもんで。(笑)
夫と義父がベンチで休んでいる間に、いりちゃんとわたしはオラウータン館に戻って、もぐもぐタイム(食事の時間)に遭遇した。柵の中と外の遊び場が、高いところで橋のように繋がっているんだけど、食事時になるとそのロープを伝ってオラウータン親子が移動する。話には聞いていたけれどその空中移動に感動した。その巧みなことにではなく、その威厳と愛のある行動に。母ザルは子ザルが自分の胸に抱きつくのを待って移動を始め、子ザルが胸から下りるのをゆっくり待って自分も下り始める。子ザルをけしかけたりしない。あくまでもおっとり。子ザルはお母さんの胸にしっかりつかまりつつ、空中散歩に毎回ワクワクしていることだろう。

お昼には園内の旭川ラーメンをいただき、さて解散の時が来た。来年は義父数え年の米寿のお祝いをするそうだ。本人のリクエストで積丹(しゃこたん)方面にしようとのこと。札幌を跳び越して向こうなんだけど、そんな遠い場所で大丈夫!?きっとホテルはないよね、民宿かな。来年もまたこのメンバーで顔を合わせましょう。おじいちゃん・おばあちゃんの健康が守られますように!


2005年09月19日(月) 秋を満喫(9/23up)

8月のある夜の祈祷会だったと思う。Uさん(男性)が「丸加高原のコスモスがいい」「美味しい食事と温泉も近くにある」と話すのを聞き、わたしは「行きたいなぁ」と言った。それだけだったんだけど、8月の末にU氏夫人であるemiちゃんから「コスモスを見に行く会9月19日に決行します」という携帯メールが来た。飛びついた。

Uさんが運転手&ツアーコンダクター。emiちゃんとMさんとわたしはUさんにお任せしておしゃべりしながら楽しい。滝川の丸加高原に向かう道は幹線道路にあらず。要所要所、ジェットコースターのように疾走出来る田舎道。(笑)左右には稲の穂が頭を垂れて秋の光景が続く。空はところどころ雲が見える青空。快適なドライブ。このドライブの途中、息子と携帯メールで連絡を取った。同じ時、息子達教会の青年は、朝5:30に教会に集合して定山渓温泉に向かって歩いていた。我が家はその定山渓温泉に行く道の途中なんだけど、朝8:30の時点で、彼らは我が家の辺りに到着していなかった。その時間わたしはU家に向かって車を走らせていたんだけど、ゆっくり歩く一種異様な若者の群れ(7人いたらしい)が定山渓方面に向かっているのを発見した!遅過ぎっ!何が異様かって、団子になって歩いていて、笑いがない、気だるそう。(後で聞くと面白かったそうな^^;)
それでわたしはドライブの途中。息子に携帯メールで「今どこ?」「遅っ!」などとチャチャを入れたのでした。(笑)

丸加高原に到着すると、一面コスモスの淡い色が見えると思うでしょ?高原の斜面にひろーく緑の群集があってそこがコスモス畑。近寄ると淡くてはかない色のコスモスたちが風に揺られていた。美しい。畑の回りを歩く。遠くの街や山々が見渡せた。起伏のある高原の遠くに黒い点々が見えるが、牛が放牧されているらしい。草原の高原の稜線には、枝を伸ばした木がすっくと立っている。風が柔らかく吹く。コスモス畑にはバッタやこおろぎも沢山跳びはねていた。青空と雲と草原と花と、すべてが秋らしい爽やかさ。
高原を満喫した後は深川の「道の駅」へ向かう。ここの2階のレストランの釜飯が美味しいのだそうだ。満席でしばし待つ。待つ間、わたしたちはアイスクリーム(コーヒーゼリーが下に敷いてある)を食べた。これがまた美味しい。甘さ控えめ、食前に食べてもその後の食事に全く支障が無かった。(笑)釜飯は一人1合分を一個ずつ炊いた釜がそのまま出てくる。わたしたち4人とも違う具を頼んで皆で四種類を味わった。知床鶏、かに、ほたて、山菜、どれも食べたかったから幸せだった。ここは米どころだそうで、ご飯そのものが美味しい。他のメニューにも心魅かれたので、いつかまた行きたい!(読者にもお薦め)
食べた後は温泉。道の駅からすぐの「まぁぶ温泉」に行った。近くにコテージがあってキャンプが可能とのこと。この温泉空いていて綺麗です。女性の露天風呂には生のバラの花が大量に浮いていて手にとって嗅ぐとバラの香りがする。花びらじゃないってところが太っ腹だと思う。露天風呂で長湯をしていると、女性従業員が来て写真を撮ってくれると言う。えっ!?記念に後でプレゼントして下さると言う。ちょっと恥しいけれど面白い。(笑)湯に浸かっていたわたしたち(子供もいる)は胸にタオルを巻きお湯の中から顔を出してにっこり。さてこの写真、後日emiちゃんの家に郵送してくれると言う。写真は早々に送られてきて、水曜日の祈祷会の時にemiちゃんがわたしに封書をくれた。チラと見たけれど艶かしさが漂っていた。emiちゃんは、ここでは見るな、他の人に見せるな(特に夫達には)と目と口で言う。わたしは帰宅してその封書を開けるのが怖かった。怖いもの見たさで、わくわくした。(笑)開けてみると・・・バラの花が大量に漂って確かにステキな写真ではある。だけどね、胸は隠しているけれど、皆さん湯の中の白い足がぎらぎらと見えるじゃん!これって結構すごいかも。わたしの胸の小箱に閉まっておこう。あ、この写真はどうしよう?(爆)
しかしまぁぶ温泉の従業員の皆さんの笑顔は特筆出来ます。写真を三人に三枚ずつ(三枚微妙に違うポーズなのです)無料で送って下さるその親切にも感動しました。感謝。

さて、この後わたしたちは札幌に向かって車に揺られた。後ろの座席でわたしは、時折眠りに落ちた。札幌に着いた時は辺りは暗くなっていた。運転手とホストをして下さったUさんに感謝!秋を存分に味わう事が出来ました。楽しかったなぁ。またいつかどこかに連れていってね。(笑)

そうそう、息子達の遠足は、14:30頃定山渓のとある温泉に入ったというメールが来て、その後昼食を摂ったそうです。中央区の教会から定山渓温泉まで約8時間を歩く遠足となったそうで。実はこの企画とリードは我が息子・さんちゃんがしたんだそうで。あはは。ご苦労さま。さんちゃん、翌日足の裏のマメ見せてくれました。美味しそうな(立派な)マメだこと。(笑)


2005年09月18日(日) チラシ配り

うちの教会では10月1日と2日、特別伝道集会という集会を開く。外部から講師を招いて特別プログラムを組んで聖書に触れる。今年は題して「スタート・ライン」この集会はクリスチャンだけの会じゃなくて、教会に来た事がない人々にも来ていただけるように心がけお誘いしている。今年は、リリーズ・オブ・ザ・フィールドの歌と(リリーズは土曜日のみ18:30〜)、10年前までうちの教会の牧師だった加藤享先生のメッセージ(加藤先生は去年までシンガポールで宣教師として働かれた)。その集会の案内チラシを毎年、周辺地域の郵便受けに入れている。今日はそのチラシを総出で配って歩いた。去年まで3,000枚を印刷していたが、今年は10,000枚印刷したと言う。新牧師たちの強い提案だったらしい。う〜ん、すごいなぁ、配って歩くの大変かも・・・という呆然とした思いと慣性で(惰性にあらず)臨んだ。すでに青年達が少し離れた地域に3,000枚投函してくれたっていう話にも励まされたのだろう、礼拝後の昼下がり沢山の人が集まり周辺地域に出かけて行った。わたしは娘と二人で教会の南側の一角を歩いた。この地域は、実はわたしたち家族が以前住んでいた団地に隣接していて、いつも歩いていた場所。ところが一軒一軒投函して歩いて初めて、古いアパートがあることを知った。袋小路になっていると思っていた道が向こうに通り抜けられることもわかった。この地域のことならだいたいわかっていると思っていたんだけど、気がつかなかったことが多い。また息子の幼稚園の友だちがいた社宅がそのままの姿であったり、ラジオ体操や盆踊りでいつも利用した公園がほとんど変わっていないのも懐かしかった。娘にラジオ体操や盆踊りで沢山の景品をもらったね…などと話したけれど彼女は覚えていない。3歳の時ここを離れたからね。

心を込めてうやうやしくチラシを入れた。わたしがこの地域に住んでひかり幼稚園を知り、息子を入園させて、それから教会の礼拝に参加するようになったように、誰かが教会と出会うことになるかもしれない。その人の人生が変わる出会いになるかもしれない。わくわくしながらチラシを配った。


2005年09月11日(日) 本日も教会三昧

今日も礼拝の説教に一心に耳を傾けた。どうもわたし飢え渇いているみたい。(笑)題して「十字架の表と裏」(マルコ15:31〜38)by奥村牧師。神さまは「義なる神」と「愛なる神」を併せ持つ。人間を裁かずにいない神さま、だけど人間を愛して止まない神さま。その二つの面は矛盾しない。人間を裁く神さまは、だけど人間を滅びるままにさせておくことが出来なかった。人間の救いのために、苦しみを持ってイエス・キリストを十字架に架けるままにした。イエスさまの絶叫に沈黙を持って応える神さま。神さまは十字架の裏からこの壮絶なシーンを眺めておられたというのだ。人間は十字架の正面から(表から)イエス・キリストを嘲笑する者の一人として、裏切った苦しみを負う者の一人として眺めた。わたしは神さまの義を軽んじて、愛に重きを置いていた自分に気付く。気付くけれど、気付いたゆえに、やっぱり愛され許されている事の喜びが増し加わる。そんなメッセージだった。

午後に行われた小羊会の例会。子供3人、大人4人の参加。今日のゲストは教会員のKさん。Kさんが用意してくれたお話は「家出少年と聖書」。Kさんは、現在札幌のとある高校の女性校長をしている。そういうキャリアの人だから堅苦しいかと思うと大間違い。お話がすごく上手かと言うと、そうでもない。校長先生というイメージを覆して下さって嬉しい。(^_^;)
Kさんの子供は息子が3人、一人の息子が15才にして家出をした。当然学校にも行っていない。どうしたらいいのかわからない苦しい日々が続いた。その後息子がどこに住んでいるのかは知っていたけれど、時々荷物を送る事はあったけれど、一度も彼の生活を見に行く事が無かった。(きっと自分の仕事も忙しかったのでしょうね)少年が15才で親から離れてどんな生活をしたのかは、Kさんは多くを語らなかった。その少年が青年になって自分で選んでニューヨークに行く事になった。音楽を勉強しに。旅立つ彼が自分の住まいの荷物をまとめてKさんの元に送った。その中にKさんは一冊の聖書を見つけた。びっくりしたと言う。彼は独自に教会に辿り着いていたらしい。Kさんは高校生の時教会に行きバプテスマを受け、大学時代うちの教会に通った。4年間札幌教会に来ていたけれど、大学卒業と同時に結婚し、以来教会に行く事も無くなっていた。一貫して子ども達を神さまを信じるようには育てて来なかったそうだ。実はご主人もうちの教会員だけど、同じくずーっと教会から離れている。道内の高校を転勤して歩いて数年前やっと札幌近郊に住まった。30数年隔てて、Kさんは家出少年の聖書を抱えて教会に来るようになった。Kさんは息子の聖書に導かれて、昔通った教会に戻ってくる気になったのだろうか。多くは語らなかったけれど、Kさんの言葉の中から家出少年こそ、失敗の人生じゃなくて成功の人生を歩んでいるという確信が感じられた。
Kさんは冷静な校長先生にあらず、「家出少年と聖書」のお話の途中で涙で言葉に詰まってしまった。小学生3人はその時だけちょっと真剣になってじっと聞いた。Kさんは小学生の子ども達に「あなたたちは小さいうちに神さまを信じたり、これから信じようとしている。こんなにすばらしいことはありません」と言いきった。Kさんは、何が一番だいじか、それは神さまを知ること、神さまを信じて生きていくこと、それこそが若い人の人生に大切なことなんだよ・・・そう語って下さったようにわたしは思う。感謝。


2005年09月10日(土) 北国の合唱団

職場のNさんのお父さんは地方の音楽家だそうで、その地域の合唱団を指導していると言う。お父さんは作曲編曲をする人で、合唱団の曲を沢山作っている。その作品を集めて札幌コンサートホールkitara(小ホール)でコンサートが開かれた。題して「知床の詩がきこえる」今、知床はタイムリーなようで、満席だった。
特別ゲストで、ピアノ、バイオリン、チェロ、ファゴット、オーボエ、フルートの6人がすべての曲を演奏した。それぞれがすばらしい腕前だと思うんだけど伴奏に徹していた。贅沢だこと!大楽(だいらく)勝美さんの指が楽しそうに動くのが二階席から見えた。
ちょっぴり義理でチケット買ったようなところもあったけれど、行ってみて良かったなぁ。故郷を愛し、音楽を愛し、人を愛している事がわかる一曲一曲だった。合唱団の真っ直ぐな歌い方も好感が持てた。全体としては情熱的で素朴で温かい音楽。ようするに自由奔放。
途中、「ぼくは12歳」の岡真史くんの詩が組曲になって歌われた。驚いた。心に沁みた。岡真史くんは1975年(この年はわたしには大事な年だった)、12歳で自死した。亡くなった後、両親(高史明さんと岡百合子さん)によって出版された「ぼくは12歳」で彼のことを知った。「ぼくは宇宙人だ」と彼は詩に書いているけれど、そのフレーズのみの曲が最初と最後に置かれた。少年が叫んでいるようでもあり、冷静に語るようでもあり、沈んだり飛び跳ねるようでもあった・・・わたしの心は騒ぐ、キリキリと苦しい、しかしだんだん静まる。合間に詩が読まれる。朗読の終わりは「ただひとりくずれさるのみ」だった・・・こんな構成を考えたのはNさんのお父さんだろうか?すごいな。呑気に出かけたコンサートで大きな感動をいただいた。


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