時々日刊たえ新聞
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2004年08月30日(月) 少し動揺しました

エリザベス・キューブラー・ロスさんが8月24日に天に召されたと言う。ひとみさんに教えてもらわなかったら当分知らずに、彼女が生きていると信じて想いを飛ばし続けていただろう。出会ったばかりなのに、決定的に出会ってしまった。すでに沢山のことを彼女の書物から学んだ。彼女の孤独さえも手に取るように想像して、彼女の苦しさが自分の苦しさのように思えた。わたしがようやく出会ったのを安心したように、神さまが天に招いたのかなぁ。(いつも自分本位^^;)今夜は淋しい。そして孤独が悲しい。


2004年08月29日(日) 教会で子供たちと過ごす

今日は教会で小羊会をした。小羊会って教会の小学生の子供会みたいなものかな。うちの教会では毎週昼食が用意されるんだけど、今日は「昼食の用意はありません」と先週予告されていた。(実際は有志が温かいおそばを用意してくれていたけれど)だから子供たちの昼食にカップラーメンとサンドイッチを用意した。カップラーメンは子供たちに歓迎された。嬉々として自分の好きなカップを選ぶ子供たち、うやうやしくお湯を注ぐ子供たち。食べたら大して美味しくなくても、教会でカップラーメン食べれるってところが大事なのです。(笑)皆でカップラーメン食べた後は、一人の教会員のおばさんのお話を聞いた。釧路で子供時代、教会学校に行ったけれどすぐに行かなくなっちゃったこと、不思議な縁で高校3年生の時バプテスマを受けたこと、その後ご主人の転勤で教会もないような地に転居したけれど、近くの町に越してきた釧路教会で一緒だった人に声をかけられてその町の教会に行ったことなどなど。子供たちは珍しく静かに耳を傾けていた。(カップラーメン効果かしら?笑)その後、手話付き賛美歌を歌った。わたしが子供たちに伝授した。歌が下手なので笑われた。(笑)一昨日わたしは西野バプテスト教会にお邪魔してKさん(女性)から、この手話を教えてもらってきた。6月13日の礼拝で拝見して是非教えていただきたいと願っていたのです。「神さまといつもいっしょ」さらにもう1曲「主イエスはすばらしい」シンプルな歌と手話です。来月特養老人ホームで子供たちとこの歌を披露しようという企画です。(^^)v
こんな小羊会を終えて、教会の食堂でわたしは抜け殻みたいにぼーっとしてしまった。疲れた。(笑)


2004年08月24日(火) 大好きなあなたへ、わたしの喜び伝わる?

今日は在宅のヘルプに行ったよ。やっぱりこの仕事好きだな。久しぶりにお会いしたHさん、介護保険始まる前からヘルプしに行っていた。かれこれ5年前。最初はヘルパーがどんなことしてくれるのかわからなくてドキドキしていたんだそうな。あの初回はお見合いみたいに緊張感がありましたね。(笑)わたしがヘルパーとして一人前になると同じように、Hさんも一人前の利用者になりましたね。(笑)お茶飲んでとか、一緒に食べようとか、もうそれで終わりにして休みなさい・・・なんて言わなくなってホント助かります。(笑)掃除して調理して食べていただいて片付けて、何て直接的な喜びがある仕事でしょ。人と人の関わりがこんなに楽しいなんて。特に年配者の皆さんは例外なく、わたしには尊敬するに値します。人生の最後のホンの一部ですが、一緒に過ごすことが出来て幸いです。


2004年08月20日(金) うれしい日

今日は有休を取った。同僚二人は、自分達がたくさんお休みしているのを心苦しく思ってくれているのか(笑)、わたしにも「休みなさい」と言ってくれる。(笑)それで今日休むことにした。いりちゃん生まれて17年、わたしがクリスチャンになって15年の記念の日。17年前の未明をはっきり思い出す。いりちゃんが誕生した夏は雨が多かった。あの夜もどんよりした空気だったなぁ。分娩室の窓の上から隣のアパートの壁がよく見えた。上の窓にもカーテンつけて欲しかったなぁ。(笑)いりちゃんは生まれてすぐに泣いたわけじゃない。誰にも言われていないけれど、彼女は確実に数秒の間を置いて泣き始めた。それもお産婆さんが刺激して。今の彼女もそんな感じ。(笑)質問してもしばらく考えている(らしい)。即答はあまりない。よく言えばのんびりゆったり。言葉が少ない。いったいわたしの子!?(爆)
15年前のバプテスマ式をぼんやり思い出す。我が家のクリスチャン化の第一歩が記された!わたしがこんなに神さま大好きなるとはあの時思いもしなかった。

今日の夜の食卓はささやかなお祝いの席。久々にデコレーションケーキを焼いて「いりちゃん17歳おめでとう」という横断幕をケーキに乗せた。さぁ、ろうそくに火を点けてバースデーソングを歌う・・・はずなのに、そうは行かなかった。数日前から左足の、小指から3本痛くしているさんちゃん、今日は皮膚科に受診する予定だったけれど(終業したさんちゃんを拾って、わたしが連れて行くことになっていて)行ったらすでに病院は終わっていた。夜間診療やっている日なんだけど、おかしいなぁ。受診が出来なかったさんちゃんの足はいよいよ皮膚が切れて痛々しい。それを見て夫が「そんなになるまでほっておいて!」とさんちゃんにまくし立てた。「お父さんやお母さんが死んだら、自分で自分の体を管理しなくちゃならないんだぞ」「そんなになるまでほっておいて、一人で医者にも行けないんだな」「そこまで悪くするのは、普通なら考えられないゾ」「職場に迷惑かけるけど、明日受診して遅刻して行け、ちゃんと会社に連絡しろよ」等など。いつも思う。わたしたちは心配するなら「心配だな」と言うだけでいい。「痛いだろうな」と言うだけでいい。弱っている者を「どうしてそうなったんだ!」と責める必要ないんじゃないだろうか?教訓より共感を!きっと夫は疲れ果てているんだなぁ。夫に「そんなに怒って言わなくてもいいんじゃない?」と言うわたしは自分自身にも言っている。責める言葉でなく優しい言葉を語り続けようと。

そんなわけで、ケーキに火を点すのも、歌を歌うのも、ろうそくの火を吹き消すのもすっ飛んじゃった。いりちゃんはその場の雰囲気を察して「いいの、いいの」と言って地味な主役を演じた。その代わり食前の祈りをしたさんちゃんはこう祈った。「神さまお食事を感謝します。今日はいりちゃんの誕生日です。17年間守り育ててくれてありがとうございます。これからもお守り下さい」すばらしい!(笑)

そうそう特記事項。今日の札幌は未明から土砂降りだった。まるでノアの箱舟の大洪水みたいに。この雨が上がったらきっと虹が出る!そんな気がしてわくわくしていた。その虹を見つけてくれたのはういさん。ういさんのいるところから見えた虹は、我が家の位置では見えない。でも同じ札幌で虹が出ていたって知ることが出来て、画像も拝見して、いっぺんにうれしくなるのは何故?(笑)いつも虹が出るのを心待ちにしている。神さまに恋焦がれているように虹に恋焦がれている。その後さんちゃんを迎えに車を走らせながら、わたしの目はつい雲の切れ間にさまよう、かなり危ない!(笑)


2004年08月19日(木) 昨日8月18日のこと

昨日は朝から祈りに祈り、仕事の合間にも祈っていた。さらに仕事上で幾つかの心動く事が起こり、帰宅して夕食を作っている時、天命のようにあることをしたいと思った。天命は教えないけれど(笑)、出来事二つをここに書きとめておきたい。

かつてヘルプ派遣していたMさん(男性・60代)が亡くなったことを同業者の他事業のサービス提供責任者から電話で教えられた。Mさんは後天的な身体障がいがあり、重い内臓疾患を持っていた。長い期間入院されていて在宅に戻るにあたっては食事の管理が必須で、毎日午前と午後のヘルプ派遣が依頼されて来た。わたしが訪問介護事業所のサービス提供責任者になって4ヶ月くらい、その頃わたしは苦しみのど真ん中にいた。上司の日々の不機嫌さに途方に暮れていた。自分がどう仕事をしたらいいのかわからず、人を恨んでいる自分が嫌で祈らずにいられない毎日だった。(今も祈らずにいられませんが)そんな時に入ってきたケースだった。ヘルプがスタートして1ヶ月くらいから、Mさん、食事への不満が募ってきた。病気のためには我慢してもらわねばならない食事制限だったけれど、少しでも希望を入れて目先の変わった食事を作ろうと、事務所をあげてメニューを考えた。しばらくすると、わたしが主に任されて毎週末、朝昼晩のメニューを作りヘルパーにFAXで流し、Mさん宅に毎週通い要望を拝聴し、ヘルパーの買物の援助をするようなことになった。1週間毎に実際に作ったもの、食べた内容と分量を病院の管理栄養士にFAX送付して評価をいただいた。その記録がファイル2冊に納まっている。事務所(サービス提供責任者)がこんなに手をかけるヘルプは珍しかった。手はかけたけれど、いつも怒鳴られた。(笑)「それはうちの事業所では出来ません」と言わざるをえないことが多かった。更に怒鳴られる。(苦笑)各ヘルパーを守るためには毅然とNO!と言わなければならない場合がある。怒鳴られてもわたしのプライドは傷つかない。暖簾に腕押しのようなわたしにMさんはうんざりしたことだろう。その後Mさんは在宅と病院を行き来した。去年の暮れ、再々度在宅に戻るにあたって「またお願いしたい」と打診があった時、うちの事業所ではヘルパーが足りなくて一部のヘルプしか受けられない、一括して受けられる事業所に頼んだ方がいいんじゃないでしょうか?半ば(やんわり)お断りした。うちでは滅多に断らないんだけど、そう言わざるをえなかった。・・・Mさんついに逝っちゃったか。ガミガミ人間で悩ましかったけれど、それもまた個性的だったよ。天国では奥さんに優しい言葉をかけて下さいね。まず謝った方がいいね。そんなことは言われなくてもわかっているって!?(笑)この余分な口がMさんをいっそう怒らせたんですね。ごめんなさいね。(笑)

もう一つ。ターミナルケアを念頭においた連日派遣が始まった利用者宅を午後訪問した。家族は不在で(ヘルパーが入る時間に買物やお出かけをする)ベット上でヘルパーが清拭をしているところだった。邪魔をしないように小さく声をかけ観察していると、この方が入院前より表情が柔らかで、清拭が気持ち良かったのか、うっとりしてくつろいでいるのがわかる。わたしも自然に顔がにこにこしてしまう。ベットの脇にかがんで手を取ってお話する。発音は伴わないけれど、アイコンタクトが取れる。家族は静かに看取りたいと希望されている。そのことで今日(19日)入ったヘルパーと電話で語り合った。家族が「余分な働きかけ、介護はしてくれるな」と言ったからそれに従いたいとのこと。静かにはとってもいいと思うけれど、働きかけにあれだけ反応する人に、ただ何もぜずに見ているだけのヘルプは到底出来ない。ヘルパー魂が疼く。(笑)声をかけ手をかけ出来ればもっともっと心地良い思いをしていただきたい。そんな思いが湧いて来ない?働きかけなかったらこの方はいち早く天に召されてしまうんじゃないだろうかとむしろ心配。ヘルパー入っているのに孤独のままでいて欲しくない。人との温もりを感じて欲しい。そんな私見を述べた。

18日折りしも、一冊の本を読了した。「死ぬ瞬間ー死とその過程について」エリザベス・キューブラー・ロス著。


2004年08月14日(土) 映画「誰も知らない」(Nobody Knows)

本日は何も予定の無いお休み!久しぶりにのんびり。映画でも観にいきたいところだけど「観たい映画が無いワ」と昨夜ぼやいていた。ぼやいた途端に、新聞をひろげたら邦画「誰も知らない」が取り上げられていて札幌では8月14日本日から公開!急に観たくなった。この映画は今年のカンヌ映画祭で14歳の柳楽優弥(やぎらゆうや)君という子が主演男優賞を取って騒がれたよね。そうか、少年モノか!そうです。わたしの好みは少年が主人公の映画なのです。(笑)思春期の少年が大人に差しかかる頃の描写に出会うとわたしの心はさざめきます。少年が少女であってもOK!

自由で楽しく子供のような母(YOU)と、切れ上がった大きな目が印象的な少年・明(柳楽優弥)が、マンションに引っ越してきた。運ばれた大きなトランクには他の子供たちが隠れていた。母と子供たちの楽しい会話。子供たちが無邪気で明るい。ある日母は明に「みんなをお願いね」と書置きして帰ってこない。置き去りにされた4人の子供たち。けな気に人知れず生活していく。皆父親が違う子供たちは、出生届けも出ていないから学校に行っていない。存在を知られている兄以外、外に出ることを禁じられている。しかし、ある時意を決して子供たちは外に出て戯れる。その時の嬉々とした顔の見事なこと!次第に電気が止まり、水が止まり、部屋や容姿が荒れていく。食べものが無くなっていき子供たちの表情が空ろになっていく。学校から弾き飛ばされている寡黙な少女がこの子たちに寄り添う。全編セリフは少ないんだけど、子供たちが豊かな表情で十分演技している。
これストーリーを説明して足りるものではない。観て頂きたい。実話にヒントを得て作られたフィクションだと言う。是枝裕和監督がこう書いている。『事件を辿って来た時に、僕はこの少年がいとおしくてたまらなくなってしまったのである。甘く聞こえてしまうのは本意ではないのだが、もしそばにいたら僕は彼の肩を抱いてあげたいと思ったのだ。「よく頑張ったね」と。「僕は君のことが好きだよ」と。しかし現実にそうすることは不可能だった。だから僕は、僕の心の中で彼をしっかりと抱きしめるためにこの映画を作ることを決意しました。』製作者はこの映画を少年に「好きだよ」と伝えたいがために作ったというのか!すばらしい。

セリフもリアル演技もリアル。こんな自然なセリフで展開される映画観た事ない。映像は常に意識的。意味の無いシーンは一つもないと思わされる。面白い作品を見せていただきました。最後の方に流れる歌詞付きの「宝石」という曲。心に染渡ります。♪異臭を放つ宝石〜♪曲を作ったタテタカコさんは、素人のままでコンビニの店員役を演じている。澄み渡った歌声に救われた。少年モノ、やっぱりわたしの心は震えました。


2004年08月06日(金) いりちゃん帰還

我が娘いりちゃんが三泊四日の旅を終えて今夜帰宅した。行き先は静岡県修善寺町天城山荘。わたしの故郷に近いが、ばあちゃんの所には寄ってこない(笑)。下に書いたように日本バプテスト連盟主催の少年少女大会に我が教会の年の近い4人で出かけたのです。大人が同行せず4人で行ったというのも今までに無く画期的。(笑)帰って来たいりちゃんはにこにこ顔。落ち着いた雰囲気。それだけでいい集会だったこと、いい旅だったことが了解出来る。車の中でも家に帰ってからも沢山のお土産話を聞かせてくれた。(しばらく続くでしょう)出会った全国各地の高校生や大人たちのこと。集会の内容。同行した仲間のこと。名簿を見ると、わたしの知っている方たちの子供と思しき名前も多く見受けられる。教会でいつもぶすっとして白け気味の子も、この旅に魅了されたらしいことを聞くと、準備をしっかりして下さったスタッフの皆さんに感謝せずにいられない。子供たちがのびのび振舞える場所が保証されているのはうれしいなぁ。これからも子供たちがイエスさまの名の元に、どこかに行きたいと望むなら、わたしはどこにでも送り出したい。お金がかかっても何とかする!(笑)17歳の娘の生き生きした姿にわたしも元気になる。ところで、来週は息子さんちゃんが今度は「青年大会」で同じ天城に旅立つ。自ら望んでのこと。うれしい夏になりました。


2004年08月02日(月) 熱い日々

札幌も蒸し暑い日が続いている。特にわたしの職場は、風の通り抜ける構造になっていないため、外より暑い空間になっている。座って仕事しているとじわじわと汗が吹き出てくる。狭い部屋にケアマネ部門が四人、ヘルプのわたしたち三人、「暑いよ〜!エアコン付けてくれ〜い!施設長に一日ここで仕事してもらいたい!」気が狂わんばかりである。(笑)家は家で、夜はあまりの湿度の高さに寝苦しい。ベランダの窓全開なんだけど、空気が温かく淀んでいる。眠りが浅い。札幌に来て9月で25年になる。初めて「暑い」と弱音を吐いてます。(;^_^A

昨日の礼拝は韓国のBeku先生が説教して下さって、その熱い語り口に眠気も吹き飛んだ。(笑)コリント人への第二の手紙5章17〜21より「神さまとの和解と務め」神さまとの和解を先延ばしにしてはいけないと語られた。わたしには誰との和解も自分の命の切れるまでにしておきなさいとも聴こえた。

礼拝の後、今週全国少年少女大会に出発する4人の高校生が前に出て祈りを受けた。うちの娘も参加する。7月初めに部活を辞めて抜け殻になりそうだった娘に「夏休みは、天城に行っておいで」と勧めると「行こうかな」と素直に言う。(日本バプテスト連盟では中高生を対象にした集まりが毎夏天城である。三泊四日)その時は彼女一人が行く予定だった。それが誘い水になったようで、もう一人女の子が行く事になり、さらに2人の男の子が行きたいと希望した。近年にない若者の活気だ。(笑)この4人が前に立つのを見て何人かの大人は感慨深かっただろうと思う。わたしもその一人。この4人とも幼児の時から教会に集い小学生の時に「小羊会」のメンバーであって、一緒に楽しい時を過ごした子供たちなのだ。お泊り会、紙芝居作り、山登り、雪遊び・・・沢山の時間を共有した。今はカッコつけているけれど、カッコつけていない可愛い時も十分知っている。(笑)わたしはこの時代の子供たちを見ているのが好き。子供が大人に成長する前の危なっかしいけれど、若木のようにすっくと立った清々しさを感じる。個性的な4人が仲良く道中無事で楽しむことが出来ますようにと祈る。日曜日の度に更新されるわたしの生きる気力。(^^)v


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