時々日刊たえ新聞
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2004年01月24日(土) 朝やけ(1/31up)

当地の冬の夜明けは、わたしの愛する●●マナスルの山の影から昇る。1月24日(土)の朝は陽が昇る前、山の稜線に縦に朝焼けが伸びてうっとりした。その美しさに、朝の支度で忙しかった子供たちにも「見て見て〜」と誘った。子供たちは携帯電話で画像を撮った。その時、いりちゃんが「松浦さんに電話しようか!」と言った。松浦さんとは松浦忠孝さん、当地に住むクリスチャンのプロのカメラマンで、我が家のサポーター(と勝手に思っている)&ステキな紳士、良き先輩!松浦さんならこの美しさを実物以上に撮るに違いない。「でも松浦さんの家から●●マナスルは見えないんじゃない?」それで素人カメラマンの撮影となりました。(デジカメ撮影)


2004.1.24/7:17


2004年01月04日(日) 新春の旅行4「東京」(1/12up)

四日目、この日は札幌に帰る日。帰る前に東京を探索しようと話していた。夕方の便で帰路に着くが新千歳空港には夫が迎えに来てくれることになっている。朝ホテルを出ようとしたら夫から電話があった。昨日(3日)北見の本家の伯父さんが亡くなったと言う。夫は新年礼拝に出ようと支度していたそうだが急遽北見に向かうそうだ。本家の伯父さんはわたしたちにも身近な親戚だ。86歳だったと思う。毎年自作のじゃがいも、かぼちゃ、玉ねぎなど送ってくれる。この秋も定期便の野菜が届いた。若い時から田舎で農家をしているが、頭のいい人、口数の少ない人、でも温かい人、これが伯父さんの印象だった。

わたしたちは引き続き旅行を全うする。今日は日曜日、東武東上線の常盤台の教会で礼拝しようと心積もりしていた。札幌から転居したご一家にお会いできるかも!武蔵野線から東武東上線にはどこかの駅で乗り換えられると安易に思っていたわたしは、暢気に電車に揺られていた。そのうち気になって調べたら、東武東上線の駅名と武蔵野線の駅名が違うことに気付いた。つまり乗り継ぎ出来ないじゃん!(^。^;)早めに気付いて良かった。方針変更。池袋に出て東武東上線に乗ることにしよう。武蔵浦和で降りて埼京線に乗り継ぐ。池袋で荷物をコインロッカーに入れた。この辺りからわたしはそわそわ。池袋はわたしが若い時によく遊んだ街だからね。
東武東上線も懐かしい。電車は空いていて沿線を眺めながら、やっぱり教会に行くのは楽しい。

常盤台駅から歩いて5分くらい、常盤台バプテスト教会があった。10:45からの礼拝に滑り込みセーフ。いるいる、Sさんご夫婦が聖歌隊のメンバーで前に座っていた。そのうちご主人の方が気付いてくれて驚いた顔をしていた。うふふ。聖歌隊の声が美しい。よく訓練されている合唱だと思う。説教はシンプルで率直。他所の教会でもこのように安堵して礼拝できる幸いを感謝した。礼拝が終わるとSさんご夫婦は満面の笑みで近づいてきた。3人のお子さんたちは今日は礼拝に来ていないと言う。いりちゃんが来るとわかっていたら、連れてくるんだった〜と残念がった。うちの教会で育って東京に出てきた青年のうち何人かはこの教会に出席していると聞く。そのうちの一人A君とさんちゃんは話していた。S君は札幌に帰省中とのこと。入れ違いだね。後ろ髪を引かれながらもまだ行きたいことろがあるからと失礼して、教会を後にした。

池袋に戻って今度は西武池袋線に乗り込んだ。夢にまで出てくるこの電車乗り場。(笑)江古田駅は基本的には変わっていなかった。左側にわたしの通った学校が見えるはず。見えた!背の高い日本風屋根の校舎が出来ていた!子供たちに教える。いりちゃんが喜んで見る。環七で学校への視界が切れるところも変わっていない。目的地は中村橋。ここは18歳で東京に出て初めて下宿した場所。実は15年前にも来たことがあるんだけど、当時と駅舎が変わってしまった。高架で立派な駅になって昔の面影がない。15年前は下宿先の「松本さん」って家は確かにあった。当時下宿先に向かう沿線は急変していたけれど探し当てることが出来た。大家さんは田舎に旅行中とのことで、当時の下宿人にお土産を置いて来た記憶がある。だから今回も探し当てられると思っていたら、全くわからなくなってしまった。イイダマーケットの位置が微妙に変わった。銭湯の位置も変わったと思う。どちらも立派な建物になっている。子供たちも協力してくれて、かなりしつこく歩き回ったけれど「松本さん」を見つけることは出来なかった。ま、30年も経つとね、このくらい変わるんだなとしみじみ思った。
中村橋駅近くの喫茶店で遅い昼食を摂った。ちょっと昔風の店だった。
また西武線に揺られて池袋に戻る。西武デパートを覗いてみたけれど、混んでいたから早々に退却。さぁ、羽田に向かおう。ちょっと疲れたね。品川駅から羽田に直行で行けるってことは聞いていたけれど何しろ昔の者でして、品川を通り越して浜松町からモノレールに乗るのが一番安心。(笑)時間もあるからのんびり。モノレールから眺める運河がいい。明日からの仕事のことを思うと憂鬱だけど、まだしばし遠ざけていよう。(笑)羽田でも程よい待ち時間。万事良し。夫は無事に北見に着いたと言う。良かった。子供たちとこんな旅が出来て良かった。3人でする旅はこれからはいっそうチャンスが減るだろう。それぞれが旅することはあるだろうけれどね。フライトも上々。千歳の道はほとんど乾いていた。札幌もあまり雪が積もっていなかった。まずまず穏やかな正月だったようだ。

札幌の我家に帰り着いたのは夜8時前。さんちゃんは借りていたDVDを返しに行く余裕あり。夫がいないので簡単に食事を済ませた。インスタントラーメン作った。わたしたちは即座に日常生活に戻ってしまったのであった。(笑)


2004年01月03日(土) 新春の旅行3「ディズニーランド満喫」(1/12up)

三日目、この日はなるべく早い新幹線で東京に出てTDLでお遊びしようという魂胆。いとこの美佐子が「三島駅まで車で送るよ」と言ってくれたのでお言葉に甘えることにした。まだ真っ暗。おかげさんで三島発6:26のこだまに乗ることが出来た。東京までの一時間弱、朝食を摂りしばしうたたねした。舞浜駅では荷物をコインロッカーに入れていざ出陣!開場の8時にはまだ時間があるから心にも余裕あり〜。しかし!あやや、TDLのゲート辺りは大変な人人人!チケットは持っているので購入の列に並ばないで良かったのは辛うじて幸いだった。8:20くらいに入場出来たかしら?

事前の作戦では、まずいりちゃんが急いでプーさんのハニーハントのファストパスの列に並ぶ。さんちゃんはトゥモローランドのミクロアドベンチャーに並ぶ。わたしはいりちゃんを追いかける(笑)ということだったが、プーさんのハニーハントにはいりちゃんとわたしは同じくらいに到着して、その時点で長蛇の列、1時間待ちだった。スタンバイも1時間。根性無いわたしたち親子は「やめよう〜」(笑)実はこの時に並んでいればプーさんのハニーハントには最短時間で入場出来たと思う。その後何度かこのアトラクションの前を通ったが、昼過ぎにはファストパスの発行は終了、スタンバイは130分、150分待ちばかりだった。さんちゃんに携帯で連絡を取る。(さんちゃんの携帯電話は発信は停止されているけれど電話の受信だけは出来る)すると彼はアドベンチャーランドの近くにいると言う。話が違うじゃんか!(笑)シンデレラ城前においで〜と呼び出す。わたしたちかつてのTDL詣でではシンデレラ城には入っていないのだ。当時のさんちゃんが怖いものが嫌いだったもんだから。(苦笑)かくしてわたしたちのTDLツアーはシンデレラ城ミステリーツアーからスタートした。21歳のさんちゃんはさすが成長していて、このアトラクションを難なくクリアした。

その後イッツアスモールワールド、ロジャーラビットのカートゥーンスピン、チップとデールのツリーハウスその他、ミッキーマウスレビュー、カントリーベアシアター、とお手軽なコースを次々と。昼食はクリッターカントリーのグランマ・サラのキッチンで食べた。かつて、さんちゃんの修学旅行の時にAKOちゃんからお薦めいただいていたレストラン。暖かかったので屋外に座った。スプラッシュマウンテンの滝つぼから生還した人たちが目の前に流れ着いて来る。皆さん「濡れた〜!」と興奮冷めやらないのを見ていて面白い。見ているだけでジェットコースターの類に並ばないわたしたち。(笑)食事はスペシャルセットやドリアセットを頼んだ。美味しかった。アップルケーキとクリッターカントリーケーキも分け合って食べて満足!さんちゃんはその後すぐにお腹が空いちゃったみたいだけどね。
途中でミクロアドベンチャーのファストパスを取っていたので午後の指定時間に出向くと、すぐに入場できた。スタンバイの方はかなり並んでいた。ファストパスの効用に感心した。以前来た時はクリッターカントリーは工事中だったため、今回この周辺をよく歩いた。ファンタジーランド周辺も気になってふらふら。さらにいりちゃんがトゥーンタウンが気に入って何度か行き来した。そのたびにプーさんのハニーハント前を通る。何時まで経っても長蛇の列が減らないのを見て恨めしく通り過ぎる。一度は並んでみたけれど、やっぱり辞めた〜!(笑)プーさんコーナーには二度入った。(詳しい方にはわたしたちの行動範囲が想像出来ますでしょ?)

15時からパレードが始まるというその何時間も前から場所取りをしているらしい人たちがいた。わたしたちにはそんな根性はない。時間少し前にシンデレラ城を背にしてワールドバザールの向えの植え込み縁に腰掛ける。この場所が思いの他いい場所だったようで、移動してくるパレードと停止して紹介されるキャラクターたちがとても良く見えた。その最中、MOMさんから虹を見たよ〜のメール、りこさんからラブコールのメールをいただき少しやり取り。パレードに心奪われてメールが中断しましたことをお許し下さい。(笑)

その後は気ままにあちこち覗き(暗くなるにつれ空くどころか混んで来た)灯りのついたマークトウェイン号に乗船ししばし景色を眺めうっとり、ハングリーベアレストランの暗い屋外でカレーを食べ、これを最後にしようと魅惑のチキルームに座り(昔からちっとも変わっていないね)、ワールドバザールでお土産を仕入れた。いりちゃんはティガーのある物を探していたが、とうとう見つからなかった。19時少し前、さぁホテルに向かおう。朝からよく歩いた!わたしは満足した。子供たちが満足したかどうかは知らない。(笑)

宿泊は埼玉三郷のホテル。舞浜から直通で行けるということと、駅から大して歩かないこと、かつて夫の兄夫婦が三郷団地に住んでいて、新婚のわたしは遊びに行ったことがあるという経験から、懐かしさの余り予約したのであった。正解!駅から至近で、お部屋もまずまず綺麗。(さらにお正月のインターネット予約の特典で現金が返って来た!)荷を下ろすとさっそく近くのコンビニへ酒類とおつまみを仕入れに行ったわたしたち。その後さんちゃんはシングルルームで深夜まで至極のテレビタイムを過ごしたらしい。女部屋はツインルーム。いりちゃんはテレビで「はじめてのおつかい」というのを見てウルウルしていた。(笑)わたしは早々に寝た。


2004年01月02日(金) 新春の旅行2「ふるさと満喫」(1/8up)

未明、寒さのために目が覚めた。沼津の朝は札幌より寒い。(笑)前夜のお風呂もタイルが冷え冷えしていた。この家はわたしが高校卒業して東京に出た年に建てたので32年経つ。ほとんど手も加えず、あちこちが傷んだまま。父と母二人が住めればいいのだからと平屋の小さな家。子供と暮そうという気の無かったことが潔いというか、投げやりというか。(笑)
さて、この朝、大騒動が起きた。さんちゃんの携帯電話が使えなくなった。何度やっても接続が中断されて、それはまさしく「リミットプラス」の限度額を使ったために止まった状況であった。(笑)月初めの1日目にしてだよ!┐(´-`)┌ いくら説明しても「オレ使っていないよ!わからないよ!」と叫ぶ。悪態をつく。そのうちわたしの堪忍袋の緒が切れて、わたしまで叫び出した!(笑)
さんちゃんのぶつぶつが続く中、母と兄夫婦とわたしたちは朝からお墓参りに行った。このお墓には兄の前妻と子供3人の名が刻まれている。日にちは昭和57年4月25日、子供たちの年が9才・5才・1才となっている。感慨深いものがある。あ!今気付いた。今日(1月8日)は和穂のお誕生日だワ。生存してたら31才だね。兄や母の傷は癒えただろうか。子供たちのためにと墓石の横にはお地蔵さんが立っていて、さんちゃんが頭にお水をかけてあげた。

それから特養老人ホームに入所している父に会いに行った。父は広いホールで他の人たちと一緒にテレビの駅伝を見ていた。車椅子に座っている父の前に行って声をかける。父は驚きもしないけれど嫌な顔もしないで頷いた。久しぶりの子供たちを紹介して「わかる?覚えている?」と聞くと、ウンウンと頷いていたけど、ちょっと怪しい。(笑)近くにいた婆さんが社交的で、代わりに「まぁ、大きなお嬢さんで」とか「よくいらっしゃいましたね」なんて言ってくれる。わたしが父の車椅子の向きを変えて皆の顔が見えるようにしたら、父は動く方の右手で車椅子を操ってまたテレビの方に向いちゃった。駅伝が見たかったようだ。(笑)「バイバイ元気でね、また来るね」と言ったらまたウンウン。そんな短い時間の面会だった。

お昼をファミリーレストランで食べた。その間もさんちゃんは携帯電話のことが気になる。DOCOMOショップが開いているのを見つけて調べてもらいに行ったが「調べられない」とのこと。リミットプラスの金額を今月に限りプラスしてあげようと操作したけれど「暗証番号が違います」との音声が出て叶わず。残念でした!さんちゃん!

午後、兄夫婦は早々に浜松に帰って行った。新年会に出席する用事があるそうだ。わたしは懐かしいふるさとの道々を確認したくて、いりちゃんと散歩に出た。中学の同級生で、先日来同窓会や何やらで音信している好徳くんに電話したら「今兄弟で新年会してるから来いよ」と言う。場所を聞くとだいたいわかる。柳原神社を通り抜ける。この神社は子供の時の遊び場所。紙芝居のおじさんが来たのもこの場所。暗くなるまで遊んだ広場。あまり変わっていない。懐かしい!神社を抜けると好徳くんの家があった。敷地の奥に新築完成した家があって、そちらに行く。噂に違わぬ立派な家だ!玄関が吹き抜けになっていて広い。玄関の横に土足のまま入れる小部屋があって彼の自慢のスペースとのこと。いいね。
顔を見てお土産渡すだけと思っていたのに、上がれと促されて、ついつい上がっちゃった(笑)お姉さん夫婦と弟さん夫婦と好徳くん夫婦とその子供たち。好徳くん以外は初対面と思っていたら、お姉さんは兄と同級だと言うし、わたしの高校の先輩だった。確かに見覚えがある。わたしはビールまでいただいちゃって(いりちゃんもいただいていた^^;)好徳くんには「昔は生意気な女だったんだぜ」などと紹介されて汗が吹き出た。広い居間は床暖入っていたしね。(沼津で床暖なんて贅沢過ぎる!)好徳くんだって昔は色白の細身の少年だったのに・・・その面影がない。(ーー;) (←お返し!)息子さんはちょっとだけ昔の好徳くんに似てる。どっちかと言うと奥様似だけどね。奥さんはパッチワークをしているんだって。こんな広い家ならパッチワークする場所に困らないだろう。引っ越したばかりのいい香りのする家をくまなく見せてもらった。ご自慢のビニールハウスのバラたちも見せてもらった。今はバラの季節じゃないけれど、また丹精込めたバラたちが咲く時は見てみたいもんだ。庭の木に夏みかんとレモンが絡んで実がぶら下がっていた。そこからもいで国産天然レモンをいただいた。カバンの中に入れてだいじに札幌に持ち帰った。お菓子を作る時に使おう。兄弟の宴に乱入してごめんなさいね、ありがとう!>好徳くん
好徳くんの家を出てから、いりちゃんと我入道(がにゅうどう)方面に歩き、母の用事を済ませ、狩野川(かのがわ)の河口を臨む堤防に出たり、細い小路を気ままに歩いた。札幌のように碁盤の目になっていないので、どこに出るかわからないといりちゃんは驚いていた。わたしはだいたいわかる。家々は変わったけれど道は変わっていない。40年前の友人たちはどれくらいここに残っているだろうか?ばったり誰かに会うというハプニングも無く(笑)実家に帰りついた。ふるさとって年々良くなるね。(^_-)


2004年01月01日(木) 新春の旅行1「大宴会」(1/6up)

朝一番の飛行機に乗るべく、留守番する夫に新千歳空港まで送ってもらう。夫はおそらく二日から仕事とのことで今回の旅行には参加しなかった。車の中で次第に空が明るくなった。千歳に近づくに従って道路に雪がない。さんちゃんは興奮を抑えてちと緊張気味。いりちゃんはちょっとウキウキ。
ふるさと沼津へ行くのは子供たちは5年半ぶりになる。前に行った時は父が脳梗塞で倒れた2ヵ月後で暑い夏だった。毎日父の入院する病院に通ったっけ。その後父は別の病院(ここで寝たきり、じょく創出来まくり)に転院し、老健施設に入所し、2年前に新設の特別養護老人ホームに入所した。今では昼間は車椅子に座って過ごすことが出来る。かつてより元気でいることを母から聞いている。子供たちの成長振りに母も父も驚くに違いない。
三島駅に従弟のタケが迎えに来てくれた。タケ一家とは去年の3月札幌で会っているから「やぁ!」で済む。これからタケの実家、わたしにとっては叔母(母の妹)の家に向かう。毎年元旦にはこの叔母の家に集まって宴会するのが習わしになっているんだそうだ。叔母が喜んで手料理を振舞ってくれるのが人気なんだと思う。叔母の家に着くと母も兄夫婦もいて、イトコたち家族合わせて7家庭20人が集まった。新年のご挨拶に入り乱れる。母から「年賀」の付いたお土産を大量に求められた理由がわかった。それぞれの家庭で年賀の品を交換しあった。我家では一度もしたことがない慣習だな。(笑)たくさんのお料理がテーブルに並んでいた。沼津港の某人気寿司屋の寿司が大鉢でドーン!エビ・ホタテ・ヒレ肉などのフライ、手作り餃子、旨煮、キンピラごぼう、大根ナマスのピーナッツ和え?、宅配ピザ、○ンタッキーのチキン、漬物・・・これらがたくさん並んでまるで食べ放題会場!(笑)もちろん飲み放題も付く!叔母の準備の大変だったろうことを想像する。
遠来のわたしたちは、まるでメインゲストのように歓待された。イトコたちの子供がそれぞれ大きくなって目を見張る。我家の子供たちも驚かれていたけれど。(笑)さんちゃんがとっても社交的なので、親戚一同にもてはやされていた。さんちゃん、モテモテになると胸が反りあがって何を言い出すかわからないんだけど親戚一同だから失礼があっても、まぁいいや。(笑)わたしは飲食とおしゃべりに専念する。途中、一同、駅北の大型スーパーに繰り出して、いりちゃんが叔母や母に服やら財布やら買ってもらった。たまにしか行かない子に特別サービスのようで、他の子供たちには申し訳ないような気になる。もちろん社会人のさんちゃんにはお年玉もプレゼントもない。(笑)

夜にはわたしの実家に移動してお泊まり。兄夫婦が宿泊しているので、寝る部屋がない。わたしたちは母と雑魚寝状態。(笑)わたしはいりちゃんと1つの布団に寝たけれど、彼女が寝返りを打つたびに布団を取られて寒いこと寒いこと。さんちゃんの布団を引っ張って寝た。(笑)母も大晦日からあまり寝ていないそうで頭が痛いと言う。第一夜は共々にお疲れさまで早々に就寝した。


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