時々日刊たえ新聞
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2003年10月22日(水) 事の顛末に付随した雑感

わたしは犯罪を立証したり、犯人が捕まって欲しいと思わない。それはいりちゃんも同じらしい。彼が(なぜか男だと思っている)「オレはあの時盗んだ」と思い続けてくれたらそれでいいな。今後盗んでもいいと思わないでいてくれたらバンザイ。

いかに娘にこの世に立ち向かう(せめて倒れずに立ち続ける)力をもってもらうか、大人に翻弄されてつぶれないで!と願い続けた。我が娘かわいさの思いのみがわたしを行動に駆り立てる。(笑)

犯罪や犯人という言葉にわたしは敏感である。
以下の話は我家の子供たちにも赤裸々に(笑)話している。(ネット上でも話している)
わたしは小学生の時、大嫌いな子の上靴を隠れて捨てた。大騒ぎになったけれど、口を割らなかった。わたしが盗んで捨てたと思う人はほとんどいなかっただろう。だけどわたしは知ってる。忘れない。胸をドキンドキンさせながら、上靴を捨てるのをやめなかったことを。ひょっとして誰かが見ていたかも。小学生の浅はかな智恵だもの。誰も見ていないと思ってもどこかから見えていたかもね。その人は「あの子だ!」と言わなかっただけかもしれない。
さらに今なら知っている。誰が見ていなくても、神さまは見ていたことを。わたしは「犯人」として晒されなかったために、あの後少しまっとうになったかな。(汗)
人の思いの残酷なことは自分自身が知ってま〜す。心の中で殺人したこと何度もある。自分の手で人を殺したことはないけれど、誰かの死の遠因になったことはあるような気がする。


2003年10月21日(火) 顛末(ひとまずアップ、後で推敲するかも^^;)

下の日付から時が経ってしまったから勢いはなくなってしまったけれど(笑)、書き留めておきたい。
さて、担任に「娘が部活の○○先生に勧められて被害届けを出しましたので、担任の先生が知らないのでは困ると思いお知らせします」と電話した。
先生は困惑の様子。そりゃ、わたしだって困惑しましたもん。
被害届け出したはいいけど、警官が学校に来て、娘は何を事情聴取され、周りにはどういう波及があるか。娘は孤立無援にならないだろうか?
彼女の素直さを否定したくない、ま、しゃーない、神さまの言うとおり〜♪これからのことはなるようになれと思ったのでした。ちょうど学期休みと警官の休暇が重なったのか、幸いにも警官が動くのは8日と言う。静観した。
しかし、日に日に娘が元気を無くしていくように見えた。6日(月)は始業式、娘に「担任から何か話があった?」と聞くと、担任は「被害届けはイワセ個人が出したものだからな」と念を押すようなことを言ったらしい。クラスで担任が尋ねたら他に誰も被害届けを出す者はいなかったそうだ。彼女はきっと辛くなっているな・・・と感じた。担任に電話した。「学校の先生(陸上部顧問○○!)は娘に被害届けを出すべきだと言っておきながら、何もフォローはしてくれないんですか!?」と。「娘を守りたいので8日に警察が学校に行く時はわたしも立ち会います」と言った。担任はあわてて「お母さん、誤解されているようですが、僕は彼女を守りますから」と来た。「いったいどういうことになるのか(警察官がどう動くのか)わからないけれど、この際このままやってみましょう」というような話だった。学校の大勢は娘の被害届けを遺憾に思っているのが感じられた。(この後、下の日付の日記を書いたのです)

7日(火)仕事から帰って来たら娘は自分の部屋のベットで寝ていて、食事に誘っても起きて来なかった。食欲がないと言う。ハテナ?こりゃ、いよいよおかしい。心痛めているな。
娘の寝ている傍らに座って1時間ほども話をしただろうか?「あなたは悪くない」「あなたはどうしたい?犯人を探し出したいわけじゃないね」「被害届けを取り下げるもよし、このまま行くもよし、どっちにしてもお母さんはあなたを守るよ」「どうしたら良いかわからなかったら神さまに祈ろう。こうしようという気持ちが与えられて、それで心が平安になったら、それは神さまが後押ししてくれているんだと思うからその道を行こう」等など話した。「少し楽になった?」と聞いたら「うん」
本当に楽にはならなかったと思うけれど、少なくともお母さんはあなたを支持する!守る!これだけは本当だと伝わったと思った。

さて、翌朝(8日ね)娘は早く起きては来なかった。(もし交番に被害届けを取り下げに行くなら早く起きてくるような気がした)その時、わたしの背中を神さまが押した。「いりちゃん、祈ってみた?結論出た?」「あなたがまだ迷っているなら今から交番に一緒に行ってあげるから被害届けを取り下げよう」わたしは迷い無くそう誘った。彼女が決断出来ないとしたら、わたしの言葉を通して神さまが道を与えてくださったんだと思って欲しかった。
「うん、そうする」と娘。
交番で「被害届けを出したのは娘だけでしたので、警察官が学校に行っていただいても娘が苦しいだけなので取り消します。学校には行かないで下さい」と言った。担当警官は不在だったが「わかりました」とあっさりした返事。娘は本当に安堵したようだった。娘と登校する。職員会議中で職員室には先生は一人もいなかった。が、事務員に頼んで担任を呼び出してもらう。娘には「行っていいよ〜」と手を振る。担任に「取り下げました」と言うと、彼も心底安堵したみたい。(苦笑)腕を交差させて言った。「正直言って学校としては身内からお縄になる者を出すのは辛いんです」
娘は犯人を探し出したかったわけじゃない、彼女はすでに心が重くなっていて、この後の展開によっては深刻な事態も起き得るので、親としてはその荷を彼女に負わしたくない。陸上部の顧問の先生とお話したかった。(出張中で新学期ずっと学校に来ていない)・・・などなど言ったが、わたしの出勤時間も迫っている。お話しても虚しさばかりが募る。安堵の教師の顔に半ば呆れながら学校を出る。あぁ。

娘はこのことで何を学んだろうか?きっと彼女の心に何かが留まったに違いない。わたしを含めて大人に鋭い刃が向けられたのだろうか?何年後かまた話すことが出来たら彼女はどんな話をしてくれるだろう?


2003年10月06日(月) 憂いがある

9月30日わたしの携帯電話に公衆電話からの着信あり。誰だろう?と思って出ると娘だった。リミットプラスにしているからもう限度額を超えて携帯電話が使えないんだなと思った。「お母さん、今生協にいるんだけど、迎えに来てくれる?話したいことがあるんだ」と言う。えっ?何?
どうしたんだろうと想像をしながら迎えに行くと、車に乗るなり「携帯電話盗まれちゃった。お願いだから新しい携帯電話買って。お年玉全部いらないから」と来た。盗まれたことより、如何にして携帯電話を手に入れることが出来るかを気にしている娘。おいおい。簡単にはいいよと言わない。

家で事情をよく聞く。体育大会なので皆が体育館に試合を応援に行っている間に、5人ほどが財布からお金を抜き取られていたという。娘は夕方になって携帯電話がなくなっていることに気付いた。娘の電話は電池の蓋が無くなっていて、ハンドタオルに包んでカバンの中に収めていたという。タオルはあったが中身がなかったというわけ。ガーンと打ちのめされたことだろう。(苦笑)部活の前に無いことを知って、顧問の教師のアドバイスで使用を停止する連絡をしたそうだ。ひとまずよし。

娘と地元の交番に行く。被害届けを出しますか?紛失届けを出しますか?と聞かれて「紛失届け」とした。被害届けを出すと、実況検分などがある。学校の所在地の区が違うので、そちらに届けなくてはならない。それらいっさいを考えて、被害届けにしなかった。

次の日、わたしは予定より早めに仕事が終わったために娘の帰りを待って、一緒に携帯電話会社に行った。いくらくらいかかるのか?いい方法があるか?などを聞くために。結局良い方法など無くて、1年契約の1年に達していないために新しい携帯機器を購入すると最低でも15000円ほどがかかることがわかった。解約して新しく加入したとしてももっとお金がかかる。それで娘に甘いわたしはついに彼女の「もらったお年玉はみんなお母さんにあげる」という言葉を信じて新しい機種を契約した。
さて新しい携帯電話で娘が「センター問い合わせ」をすると2通のメールが届いていた。その一つがまったく見知らぬ人。どうやら盗んだ者が娘の携帯電話を使って友人にメールを送り、その友人が娘の携帯電話に返信のメールを送ったらしい。それも「誰のケイタイから送ってるのよ?」などと書かれていて、はっきり盗んだ者と仲が良い人からのメールだとわかる。アドレスも特定の人名を想像させるスペルだったから「このメールは保存しておいてごらん」とわたしは言った。

さて翌日娘は学校はお休みだったけれど部活に出かけた。陸上部の顧問の先生に「不審なメールが来ていた」と話したんだそうだ。するとその顧問は「それは証拠になるから、被害届けを出すべきだ。出しなさい」と言ったそうな。すなおな娘は「そういうものかなぁ」と思って部活後に交番に行ったとのこと。所轄が違うと言われてわざわざ遠くの交番まで移動して行ったんだそうだ。

交番では「学校から何も連絡無いよ」と言われ、「じゃ8日に学校に行くから」と言われたそうだ。これが10月2日のこと。わたしがこの話を聞いたのは翌日3日だった。学校は学期変わりでお休みだから、担任と連絡を取りたくて自宅に電話する。不在で夕方電話をいただく。担任は少々驚いている。


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