時々日刊たえ新聞
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2003年04月28日(月) 怒涛の日記3:沖縄旅行

ネット上で2年以上前から「2003年5月に沖縄に行くよ〜」と吹聴していたけれど、まさかの中止となりました。第10回アジアバプテスト女性大会(バプテスト教会の女性の集会)が日本の当番で開催されることになっていたのだけど、20日に中止を知らされた。SARSという病気の猛威で事務局は苦渋の決断をしたのです。
この大会が開催されることが公表されてから速やかに参加表明をし、積立金を開始した我が教会の女性の面々。結果的に行ける人は減ったけれど(亡くなった人もいる)11人が行くことになっていた。飛行機の便も決まり、後は現地で最後の日の観光をどこに行くか「たえちゃん決めて〜」「今後の取りまとめ役してね」と前担当者から引き継いだばかり。(前担当者はご主人の転勤に伴いお引越し)こんな大掛かりな集会が中止になった時の事務局の忙しさ苦しさは大変なものだろうなぁ。旅行会社とタイアップしての大掛かりな移動と宿泊の調整は(国内のみならずアジア全域に渡る)無に帰してしまったのだろう。5日間の沖縄コンベンションセンターの借用は白紙になって新たな借受は難しいことだろうなぁ。個人的なつぶやきを言えば、今回沖縄で個人的な楽しみを重視していたわたしはどっきりガックリ。ぽちくんとキララさんとの密着逢瀬、Kyanさんとのしっとりとした酒宴(笑)、凛々しいアリスさんとの再会、そして沖縄の海に夕日の落ちる様を堪能したいと思っていたすべての目論見が外れた。う〜ん、こういうこともあるわけだ、と唸った。このことでがっかりさせご迷惑をおかけした皆さんごめんなさい、と関係者の方に何度でもお詫びしたい。今は行けないけれど、わたしきっと沖縄行きます。その時は凝りずに会って下さいね。


2003年04月27日(日) 怒涛の日記2:新生活のいりちゃん

高校生になったいりちゃん、バスと地下鉄に乗って通学している。だいたい1時間くらいかかるようだ。中学時代は寝坊と遅刻の常習だったが(通知表には二桁の遅刻数!)、新生活ではまだ遅刻はしていないそうだ。疑いのマナコ〜。(笑)
部活を何にするか迷っていた。卓球にしたい、だけど女子部員がいない。剣道部もいいな〜、でもみんな経験者のようだしなぁ。てな具合。「登山部がいいよ」とチャチャ入れたけれど無視された。担任が顧問な上に、登山行の写真を見たら男子部員が数人で、それ以上に教師の数が多かったそうで論外だったようだ。(笑)バレー部から粘り強い(別名しつこい^^;)勧誘があったがそれを振り切って、陸上部に入ったそうな。今週は毎日部活に参加して足腰がガクガクとのこと。陸上部って個人記録がだいじだから大変だよ〜と意地悪を言ってやるが、今のところ「楽しい」と言っている。

さて、先日いりちゃんは夫にきつく叱られた。入学式の次の日に学力テストなるものがあったが、ふと思い出したわたしが「もう結果が出たんじゃないの?見せて」と言ったら「まだ」と答えた。その表情がちと怪しかったので「いやおかしい。もう出ているでしょ!?」と突っ込むと「(成績表は)どこにあるかわからない」と言う。失くしたそうだ。そばで聞いていた夫が「おまえなぁ(夫が怒るとガラが悪くなる^^;)、誰に学校に行かせてもらっていると思っているんだ!?成績も見せられないんじゃ、学校に行くな!」と言った。いりちゃん無言。「成績を云々しているんじゃない、隠すのがおかしい」と夫。そうだそうだと思うわたしはいりちゃんに助け舟を出さない。楽しい高校時代、そりゃ結構だけど、野放図にお過ごし下さいとは決して言わないよ。あなたのすることに十分関心があるからね!と言い置く。


2003年04月26日(土) 怒涛の日記1:いい男のさんちゃん

さんちゃんがこの頃痩せてきた。今まで我家で一番体重があったんだけど、ついにわたしを置いて痩せてしまいました。(笑)スポーツクラブ効果!彼は週に3〜4回仕事帰りや休みの日、スポーツクラブに通っている。それが7ヶ月続いた。彼の運動するのはスタジオプログラムとマシン。プールは利用していない。わたしも1つだけスタジオプログラムに出たことがあるが、テンポの速い音楽に乗って飛んだり跳ねたり回ったりして高等技術がいる。わたしはまったく音楽についていけなかった。その時一緒に出たさんちゃんの無様さはわたし以上だったのに、今ではスタジオプログラム荒らしとなっている。(笑)マッチョになるという決意はウソではなかったらしい。余分な肉が取れて腕には力こぶが出来てきた!体脂肪も確実に減ったとのこと。立ち姿もすっきり、いい男になった!

さんちゃん幼少の頃より運動は大の苦手。LD(学習障害)と指摘された時も、運動機能の低さ、体のバランスの悪さを特に指摘された。思うように体が動かないための二次的な問題なのか、走っても飛んでも何しても「出来な〜い」と大騒ぎして手を焼いた。山に登る時は「山のバカヤロウ!」と悪態をつきながら登るのが慣例。体を動かすことが嫌い。いや、ドン臭いのを友達にバカにされるのが悔しかったのかもしれない。だから今のさんちゃんは鉄人28号のようにたくましく見える。胸を張って得意顔。(笑)

ついでだからもっと誉めよう。(笑)4月17日(木)の夜、さんちゃんは教会の受難週祈祷会で司会をしたが、大変好評だった。祈祷会とは・・・賛美歌歌い、証(あかし)があり、奨励というメッセージがあり、最後に二人か三人で祈りあう。1時間ちょうどのプログラム。さんちゃんは開会の祈りの時まずこう祈った。「神さま、今日はこんなにもたくさんの人が来てくれてありがとうございます」・・・実はこの週は月曜日から金曜日まで同じ集会が持たれたが、この夜が一番人数が少なくて12人だった。だけど、さんちゃんがこう祈ったことで「今夜は少ないなぁ」と思ったわたしの心は砕かれた!(笑)そう、こんなにもたくさんの人ではないか!人数の多い少ないを勘定する愚かさに気づかされた。次に「あかしをしてくれる人はいませんか?」とさんちゃんが聞くとシーン。誰もいない。わたし火曜日の小羊会担当の日に「あかし」したばかりなので敢えて助け舟を出さない。するとさんちゃんが「それじゃ僕がします」と言って照れながら「何が感謝かって、この不景気な時に僕には仕事があるってことが感謝です」と言った。彼のしゃべり方は何とも素朴なのだ。長くもしゃべれない。ぶつぶつと切れる。そして終始照れくさそう。目線が落ち着かない。それでいいのだ。教会で愛されて来たさんちゃん、おばさんたちに「いい司会ありがとうね」と言われていっそう照れ照れ。そしてまたまた得意顔。うんうん。


2003年04月15日(火) さようなら

一昨年になるけれど、わたしは教会の婦人会会長をした。その時、婦人会の活動の一つ、クリスマスバザー委員会というのがあって、その委員長を引き受けてくれたのがKさんだった。12月初めにある婦人会主催のクリスマスコンサートにあわせて手作り品のバザーを催すんだけど、夏から手作り会を開催して売り物を完成させてくださり、当日のバザーを企画してくださる仕事。わたしの強力なブレーンのお一人だった。平日には教会に行けないわたしにイヤミの一つも言わず、黙々と任務を遂行して下った。70歳を過ぎていたKさんには過重な仕事だったと思う。その静かな継続振りに頭が下がり感謝でいっぱいだった。
そのKさんが4月3日16:56に天に召された。仕事場から帰る途中運転中に携帯電話に第一報が入ったのだった。10月に風邪かもしれないと体を休め、その後入院されてガンが見つかった。それから半年も経たないうちの召天。一生懸命生きて一気に走り抜けた感が強い。
3月9日、日曜日の礼拝中に危篤の知らせが入り、教会のあらゆる集会で祈る場面があった。彼女の名を挙げて祈らずにいられないと誰もが思っただろう。1週間後の16日、Kさんは危篤状態を脱して面会できるまでに持ち直した。しかし面会は控えて欲しいと婦人会の連絡網が入ったけれど、わたしは夫と教会の一人の女性と強行突破、そ知らぬ顔して面会に行った。ご主人様がとてもとても喜んで下さった。Kさんのふっくらしたお顔は細くなって、目が大きくなって別人のようだったけれど、目がキラキラ光って話しかけると手の指を組んで「アーメン」と言った。こちらからの話は十分聞こえ理解できていたようだ。Kさんは死が近いことを知っていたけれど最後まで穏やかで満ち足りた顔をしているように見えた。こんな最後の過ごし方をしたいなと思わされた。
それから半月、奇蹟は起こらずKさんは逝かれた。いや、危篤状態から一時脱したこと、それは奇蹟だったに違いない。最後の時を静かに過ごされたこと、多くの教会の者たちと面談されたこと、そのどれもが生き残っているものを慰めずにいられない。生きているものに力を与えてくれた数週間だったろう。Kさん宅には野原のような庭があった。草があり花があり丘があり。なんていい庭だろうと心が和んだっけ。Kさんにはいつも温かい励ましをいただいていた。クリスチャンの偉大なモデルの一人。わたしにはステキな先輩がたくさんいて、その先輩は一人二人と先に召されてしまった。これからも見送るだろう。いつか天国で会いまみえることを確信して見送る、さようなら、また!


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