「硝子の月」
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呟いたけれど、自分の声がやけに耳についただけだった。 何も見えない。目を開けているはずなのに。 目を閉じる。 やはり、白い。 それがひどく不快だった。目を閉じてまで視界が白いなど有り得ないはずである。
『ようこそ』
不意に、声がした。実際には声ではなかったのかもしれないが、ティオには他にそれを表せるような言葉がない。 『来たね。来るべくして来た者よ』 感情のない声だった。
「外でおかしな気配がするわ」 アンジュは憂えた目でそっと遥か外を見遣る。 ここからでは街の様子を伺うことはできない。けれど、リディアの感覚には目で見える以上のものが鮮明に視えている。 「……何か……とても大きななにか」 「……お嬢様」 リディアは気遣うようにアンジュの横顔を見遣った。 「動き出してしまった……?」 アンジュは尚も独りごちる。眉宇はひそめられ、小さな不安のようなものを感じさせる。 「何かが、動き出してしまった」
音が聞こえない。 何も聞こえない。 熱さもない。 寒さもない。 (ティオ) それはなに? (ティオ、駄目よ。起きて) この声は誰? 何も見えない。 光だけが見える。 白い光。 しろいしろい、ひかり。
「ここは――どこだ?」
「リディア・・・」 気が付くと、アンジュのすぐ隣に雪のような麗人がいた。 礼服に合わせた白地のマントを羽織り、腰には細剣を刷(いている。ところどころに嫌味なく施された金糸の刺繍とペリドットのブローチが目にも鮮やかで、鞘と護拳には微細な花蔓が彫金されていた。建国祭に合わせた盛装である。 あくまで従者としての立場をわきまえ、華美から一歩引いた服装だが、そのセンスは典雅の一言に尽きた。 アルティアの第8王位継承権保持者。アンジュ・アルティアート・クリスティンが従者にして、心寄せる親友。 彼女の名を、リディア・ニースと言った。 「ご無礼を・・・。私にも、外の異変が感じられましたので」 貴賓席に立ち入れないリディアは離れて控えていたはずだが、その鋭敏な感覚は主の危機を素早く察知したようだ。 軽捷なること隼のごとく。第一王国が尊ぶ美徳の一つを、彼女は若くして持っているらしい。 「無礼だなんて・・・。ありがとう、リディア」 掛け値無しの感謝に微笑みを添えて、アンジュは友の働きを労った。
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