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しもさんの「新聞・書籍掲載文」
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1997年10月29日(水)
良い結果は「フォロー・スルー」という魔法を知ってから(39歳)

建通新聞 朝刊(遊歩道)連載4

「フォロー・スルー」の大切さは、その重要性を信じ、
実行した人にしかわからない快感みたいなものがある事に気付いた。
スポーツ大好きな人間の私にとっては、
人生の開眼に近いヒントである。
野球のピッチングやバッティング、ゴルフのスィングやパッティング、
ボウリング、卓球、バスケット、テニスなど、球技と呼ばれるものには、
ほとんどこの「フォロー・スルー」と呼ばれる単語が存在するが、
若いうちはあまりこの単語の意味が良く理解できない。
なぜなら、パワーで圧倒し、それなりのプレーで、
ほどほどの結果を出してしまうからである。
しかし歳を重ねると、どうしてもパワーに限界を感じるようになる。
これをカバーしてくれる魔法がフォロー・スルーではなかろうか。
確かに、一度離れてしまったボールには、
どんな恰好をしていても、パワーは伝わらない。
そんな事は誰でも知っているし、物理的にも不可能である。
にもかかわらず、なぜかこの大切さを伝えたいかと言うと、
フォロー・スルーを意識することにより、
その前段階からフォームが変わってくるからである。
なにはともあれ、騙されたと思って、
フォロー・スルーだけを意識してプレーしてみて欲しい。
今までにはないボールの伸びや正確さが増すはずに違いない。
何でも「やりっぱなし」で、安定した好成績は望めないと気付いた時、
このフォロー・スルーの大切さを知ることになる。
さらに拡大解釈して、仕事や家庭にも応用したい。
きっと、新しい人間関係が生まれるはずである。



1997年10月20日(月)
仕事はデジタルで、生活はアナログで(39歳)

建通新聞 朝刊(遊歩道)連載3

デジタル全盛の生活が、なぜかアバウトになってきた気がする。
普通、アナログ時代のほうが数字に対して
いい加減な生活をしているようだが、そうでもない。
デジタルに慣れれば慣れるほど、
人間性が薄れてきている感じがするという意味である。
例えば「待ち合わせ」。
三島南口で2時に待ち合わせしたとしよう。
私たち世代は、約束の10分から5分前までには、
待ち合わせ場所に着こうとする。
その為には、何分前には家を出て、何分のバスに乗って・・と
計画を立てて遅れないようにしたものだった。
しかし時代は変わった。
デジタル化が進み、携帯電話が急速に普及した。
電話ボックスの前で、携帯電話を利用している光景さえ
目にするようになったから驚きである。
ポケットベルなどは小中学生でも使いこなしていると聞く。
そうすると待ち合わせの仕方まで変わってくるから不思議である。
待ち合わせ場所は、三島駅周辺。約束も2時ごろ。
細かいことは約束しない。
「遅れるから、適当に時間をつぶしていてよ。
近くにいったら、携帯するから」で済むのである。
しかし、人を待たせては悪いとか、遅れそうで何回も時計を見ながら、
イライラ・ドキドキする感覚まで無くしてしまったようで怖い。
アナログ生活の方が、より綿密に計画を立て、注意深く実行してきた、
という意味で冒頭の言葉が浮かんできた。
人間性回復のためには、
「余裕」とか「ゆとり」といったアナログ言語が
頻繁に使われる生活が望ましいのかも知れない。



1997年10月10日(金)
「ルール違反」より「マナー知らず対策」を(39歳)

建通新聞 朝刊(遊歩道)連載2

最近、生活をしていて気になるのは「ルール違反」より
「マナー知らず」である。
ルール違反はスポーツで言えば審判、
交通で言えば警察などが取り締まり、罰則が与えられる。
違反する人もルールを知っていながら、
どうしてもルールが守れず違反してしまったというケースが多い。
しかし、マナーは違う。
知らないので、当然悪いことをしたとは
本人も気付いていないから問題である。
例えばボウリング。
ボウルを投げようとしてレーンに立った時、
右側のレーンの人が投げようとしていたら先に譲る。
同時に投げると集中できないし、危ない。
しかしそんなマナーはお構いなし。
自分だけ楽しければイイ、という態度が見え隠れする。
美術館の鑑賞も同様で、
せっかくガラスもはめずに展示している原画を、
小さい子供たちがお菓子を食べた手で触ろうとしている光景、
お母さんは知らん顔。
世間話など大騒ぎしながら、絵の鑑賞はそっちのけで、
ただ順路を観光コースのように歩いている主婦三人組。
お金を払っているんだから、では済まされない
マナー知らずが多いような気がする。
マナーの基本は「人に迷惑をかけない」ではないかと思う。
さらに言えば、トイレットペーパーが無くなれば、
次の人のために取り替える程度の
「人に対する思いやり」なのかも知れない。
街中、ルールとマナーを訴える看板が溢れている。
素敵な花壇の中に「缶のポイ捨てはやめましょう」という標語が
常識のように立っている景観を、
なんとか無くしたいと思う今日この頃である。



1997年10月01日(水)
明日の地域を知る未来新聞との出逢い(39歳)

建通新聞 朝刊(遊歩道)連載1

「建通新聞」たるものが存在することすら知らなかった私が、
この新聞に興味を持ち出したのは、五年ほど前に遡る。
奉職して十年は、総務課電子計算係、税務課資産税係の仕事に従事し、
他課の仕事に関する情報はあまり必要としなかった。
いや、与えられた仕事をこなすだけで精一杯だった、
というのが本音かも知れない。
そんな私が、企画管財課企画係長の辞令を受け、
与えられた仕事が「総合計画策定」「広域行政」であった。
それらの仕事をこなすには、多量な情報が必要であった。
それも最新情報が。
今、わが町はどんな状態なのか、これからどうしていくのか、
近隣の市町村ではどんなまちづくりをしているのか、
むさぼりつくように情報に飢えていた時期に、この新聞と出逢った。
全国紙から地方紙、あらゆる住民を対象にした新聞は、
事後記事が多く、将来の計画を策定していた私にとっては
物足りなかった。
そんな時、まちづくりでアドバイスをしていただいた
高木滋生氏の名前を本紙で見つけたことも重なり、
読み込んでみると、私の欲しかった情報が満載であることに気付いた。
これからの情報、近隣市町村の情報は、
なかなか手に入らないのが現状であるし、
人間のネットワークが必要とされる企画係としては、
話題づくりに大変役に立った事も事実である。
そして今年の四月。人事異動でイベント主体の課に配属された。
「未来新聞」と勝手に呼び愛読している私は、
今度は是非ハード整備だけでなく、ソフト関連の情報も
提供していただきたい、と願うわがまま公務員である。