しもさんの「コラムニストを目指して」

2001年10月31日(水) 「ゆっくりお風呂に入る生き方」

最近、忙しいせいか、ゆっくりお風呂に入っていない。
見たいテレビがあったり、読みたい本があったり・・・
ついつい、早くお風呂から出て、やりたいことがいっぱいある。
でも、本当は湯船につかり「ふう〜」って・・・。
のんびり一日を振り返る時間にするのも、いいな。
朝起きてからお風呂までの時間をひとつずつ思い出しながら。
そして、じんわり汗が出てきたら、明日のことを考える。
明日は、どんなことが待っているかな?と楽しいことだけを
ひとりニコニコしながら想像する。
忙しいからこそ、ゆっくりした時間の過ごし方を楽しみたい。

すべてを解き放つ「ゆっくりお風呂に入る生き方」はいかが?



2001年10月30日(火) 「好き を少しずつ貯金していく生き方」

疲れたときは、詩やメルヘン、童話を中心にまとめているHPを
のんびり眺めることにしている。
疲れていればいるほど、私にとっては心地よい。
たぶん男の私でも、なぜか優しい気持ちになれるからだろう。
そんなHPのひとつに
「好き を少しずつ貯金していきたい・・」というフレーズを見つけた。
一気に燃え上がる感情ではなく、少しずつ「好き」という気持ちを
つみ重ねていく。それだけで私は幸せ。
そんな気持ちが伝わってきて、言葉では表現できない
とても暖かい気分になれた。
いつもコラムのような堅い文章を書いていると、こういう言葉に憧れる。
いいねぇ、嬉しくなる。

あなたも「好き を少しずつ貯金していく生き方」はいかが?



2001年10月29日(月) 「文句を言いながらも、最後にはやる生き方」

生活しているといろいろな人に出逢う。
ある基準でタイプに分けると4つ。
「文句もいわないで、コツコツやるタイプ」
「文句を言いながらも、最後にはやるタイプ」
「文句だけは言いながら、実は何もやらないタイプ」
そして「文句も言わないけれど、何もやらないタイプ」
あなたなら、どれがいい?
私は「文句を言いながらも、最後にはやるタイプ」がいいな。
どうせやるんなら、文句も言わないで、コツコツやればいい、
そう思うかも知れない。
しかし、それは単なる「YESマン」に過ぎないし、
ストレスもたまるだけ。
「文句も言うだけは言う。しかし、一度決まったら先頭に立って実行する」
この生き方が、人間らしいと思う。
是非、自己主張を。

「文句を言いながらも、最後にはやる生き方」はいかが?



2001年10月28日(日) 「NHK番組を楽しむ生き方」

若い頃は、NHK番組なんて見たことがなかった。
(「中学生日記」くらい見た気がするが・・・)
しかし、歳を重ねるたびに、NHKの番組を見ることが多くなってきた。
民放では考えつかないような企画、
それは、キャスターやコメンティターもなく取材協力だけで作られた番組や、
淡々と流れる音楽番組や美術番組。
どれも、最近ではお気に入りである。
さらに、NHKの素晴らしさに触れたのは
先日、秋野不矩さんの雅号について、番組で取りあげましたか?と
メールで問い合わせをしたところ、
「お問い合わせの秋野不矩さんには、
1998年6月28日の新日曜美術館「
美術館への旅〜天竜市立秋野不矩美術館」にご出演いただきました。
また、「”不矩”は型に当てはまらないという意味である」、
というコメントは、アナウンサーが朗読しています。
以上ご参考いただければ幸いです」と返信されてきたことにある。
民放のお笑いやバラエティ、トレンディ・ドラマもいいけれど、
時には、肩肘張らずに

「NHK番組を楽しむ生き方」はいかが?



2001年10月27日(土) 「否定語を使わない生き方」

あえて、こう書いたのは、
私たちは毎日、子供に対して「200回」くらい否定語を使う
ということを聴いたからである。
「駄目じゃない」「いい加減にしなさい」「しょうがないね」
考えたらきりがないくらい否定語が思い浮かぶ。
知らず知らずのうちに、自分は駄目な人間ではないか、
と感じてしまうから気を付けたい。
それにひきかえ、情けないくらい誉め言葉はなかなか見つからない。
もちろん「肯定語(誉め言葉)を使う生き方」を勧めたいが、
まずは使わないことを意識したい。
言葉は、大きな影響を与えることを再認識して、

まずは「否定語を使わない生き方」はいかが?



2001年10月26日(金) 「何でも理解しようとする生き方」

まずは、一所懸命、人の話を聴くこと。
これが理解の始まりです、と前日の絵本作家は言った。
英語の「understand」は「under」と「stand」に分かれる。
直訳すると「下に立つ」。
教えていただくつもりで(知識的にも下のつもりで)話を聞く。
それが「理解する」(understand)の姿勢ではなかろうか。
漢字にはひとつずつ意味があるが、英語にはそれはない、と勘違いしやすい。
長い歴史で作られてきた言語、いろいろな意味があるに違いない。
まずは否定するところからではなく、受け入れる心構えをする。
それこそ、いろいろなものごとを理解できる。
その人のことを知りたかったら、一所懸命、話を聴けばいい。
知識でも人でも、貪欲に

「何でも理解しようとする生き方」はいかが?



2001年10月25日(木) 「絵本に感動できる生き方」

絵本の力に、やや困惑気味である。カルチャーショックに近い。
絵本作家のトークがうまかったのか、しばらくはまりそうである。
本屋に行って眺めて欲しい。
「18歳以下禁止」のアダルト本は多いけれど、
「5歳以上禁止」の絵本なんて存在しないということを。
絵本は、読み方によっては何歳でも感動できることを教えてもらった。
幼児向けのタイトルだったら
「うんこ」だって「おっぱい」だって大きな声で言える(笑)
(実際、200人以上の若いお母さんの前で、私は「おっぱい」と
二度も叫んでしまった・・・)
だって、本のタイトルだもの、しょうがないだろ。
書くことは出来ないけれど、読むことは出来る。

いくつになっても「絵本に感動できる生き方」はいかが?



2001年10月24日(水) 「人生の四季を意識した生き方」

深夜番組で、中坊氏が語っていた。
人生にも四季がある、と。
「学習期」「家住期」「林住期」そして「遊行期」。
私は、やっと「林住期」に入った、と自分で確かめながら
「老いの生き方」を楽しんでいるようだった。
子孫繁栄の仕事を終えても生きている、
人間だけの特徴、いや人間だけに与えられた「老後」。
この時期の生き方が、臨終に際して満足度を倍加する。
自分の人生は、いまどの季節を過ごしているのか、
意識しながら生きると楽しいに違いない。

大きな流れの中で「人生の四季を意識した生き方」はいかが?



2001年10月23日(火) 「俺についてこい、と言える生き方」

ある団体の視察で、朝から夕方まで戦争経験者らと一緒だった。
隊長たるもの、相手の攻撃を恐れず、先頭に立って進む。
「俺についてついてこい」と檄を飛ばしながら・・・。
それがなきゃ、部下にバカにされ、舐められて。
そう、リーダーはそれなりの覚悟と勇気が必要だった、という話をきいた。
そう言えば最近「俺についてこい」という人たちが減った、と思う。
それは職場だけでなく、地域でも減った。
昔は番長がいて、喧嘩の仕方を教えた。ここは殴ってもいい、頭は殴るな。
ここまでは殴っていいけど、これ以上はやるな、と。
それが今はいない。だから大怪我や死に至るまで、殴ってしまう。
今一度、番長になったつもりで、生きてみたらどうだろう。

自信と勇気をもって「俺についてこい、と言える生き方」はいかが?



2001年10月22日(月) 「日本全国に友人のいる生き方」

久しぶりに大学時代のゼミ仲間から電話があった。
「卒業して20年なんだ」
そうか、そんなに経ったのか、みんな元気かな、という想いがした。
卒業当時、こうしてメールで連絡をとるなんて
誰も想像しなかったから、面白いものだ。
そういえば、全国紙に投稿が載ると、全国各地から「見たよ」という
メールが届くようになった。
地元、静岡新聞では考えられない楽しみの一つとなっている。
また季節によって、地域の特産品が届く時がある。
それは新米であったり、リンゴであったり、柿であったりする。
こっちは雨が降ってきたから、もう少ししたらそっちも雨だよ、という
ライブの天気予報も嬉しいね。
今からでも、全国にメル友をつくったらどうだろう?
日本の豊かさを実感できるはずだから・・・。

毎日が楽しくなる「日本全国に友人のいる生き方」はいかが?



2001年10月21日(日) 「音楽で季節を感じる生き方」

せっかく日本人に生まれたのだから・・・
季節というものを意識していきたいと思う。
それは、わたしの提案する「生きるヒント」の根底を流れる考え方である。
花などの植物、言葉、旬の味、風習などを意識して生活できれば、
こんな豊かな人生はないであろう。そんなことをいつも考えている。
ところが、ひとつ忘れていることに気がついた。「音楽」である。
渡辺徹がラジオ「おしゃべりクラシック」でこう言っていた。
「秋に秋(ビバルディ・四季)を聴くのはいいねぇ」と。
確かに、四季を全曲続けて聴く楽しみ方もある。
しかし、せっかく四季に恵まれた日本に生活しているのであるから
季節に応じた「ビバルディ・四季」を楽しみたいものである。
あっ、これが「秋」なんだ、と口からこぼれてしまうに違いない。

日本人だから「音楽で季節を感じる生き方」はいかが?



2001年10月20日(土) 「大人になっても、素朴な質問ができる生き方」

絵本の読み聞かせを促進し、多くの方にその楽しさを拡げて欲しいと思った。
いろいろな良い本を選ぶ「選書」のコツは、
「やさしく、短く、シンプルに」だと、
講師の先生はアドバイスを送ってくれた。
そんな時、あるお母さんが質問をした。
信号に関する本を選んで、子供に読み聞かせていたら、困ったことになった。
「信号は、赤・青・黄色と昔から決まっているはずだったのに、
子供は、赤・緑・黄色だと言い張るんです。どうしたらいいのですか?」と。
私も小さいときから、信号の色を不思議に思ったことが何度もある。
勿論、疑問は解決していない。
しかし、今となっては恥ずかしくて聴けないのが本音でもあり、
大人のずるさでもある気がする。
だからこそ、大人なのに子供のように、
わからなかったら、わかるまで聴ける人に憧れる。

たまには「大人になっても、素朴な質問ができる生き方」はいかが?



2001年10月19日(金) 「地方の特産を楽しむ生き方」

東北自動車道は、予想以上に距離があった。
だから何度となくトイレ休憩。そのたびにSAのみやげ物をあさる。
そして「名物」とか「地域限定」「ここでしか売ってません」の言葉につられ、
何でも買い込んでしまうのが、滑稽ではあるが微笑ましかった。
「名物に美味いものなし」と言われるが、そんなことはない。
仙台の「萩の月」、宇都宮の「餃子」などなど。
騙されたと思って食べてみるといい。本当に美味である。
確かに、いまの時代、インターネットでも買える。
しかし、その地域の温度、湿気などの風土をバックに育まれた特産品。
是非、取り寄せではなく、その地で試食して買いたいものである。
(狂牛病怖いけれど、仙台では「牛タン」を試食して購入。
チャレンジャーだね、と誉められた(笑))

旅に出たら「地方の特産を楽しむ生き方」はいかが?



2001年10月18日(木) 「携帯がなくても不便を感じない生き方」

宮城国体の視察で、秋田県の境に近い花山村に宿をとった。
周りは山、山、山。携帯は「圏外」。
誰からか連絡が入ったらどうしよう、何かあったらどうしよう、
そればかりを考えていた。しかし、それは意味がなかった。
繋がらないものはつながらない、仕方がないと思えばいい。
久しぶりに、電源を切ったままの携帯をバックに詰め込み、
宿の露天風呂に入り、秋の空気を満喫できることが出来た。
必要ないとは言わない。
ただ、時には携帯電話の電源を切ったままにする日を意識的に設け、
季節に合った歳時記を楽しみたいものである。

たまには「携帯がなくても不便を感じない生き方」はいかが?



2001年10月17日(水) 「自然を身体で感じる生き方」

2泊3日、宮城国体視察の宿は本当に山の中、花山村。
日中は意外と暖かかったが、朝晩は冷え込んだ。
その為か、温泉には欠かせない露天風呂があるが、利用者が少なかった。
大浴場から露天風呂までの、ほんの少しの寒ささえ我慢すれば
夜には満天の星、朝には紅葉に色づきはじめた山々、そして真っ青な空が
体感できるのに。
浴場から、大きなガラス越しに見る自然より、
ちょっと寒いけれど本物の自然を味わおうとする気持ちの余裕が欲しい。
紅葉は昼夜の温度差が激しいと、より色がハッキリすると言われている。
自分も落葉樹の気持ちとなって自然を体感してみよう。

「自然を身体で感じる生き方」はいかが?



2001年10月16日(火) 「言葉遊びができる生き方」

毎日、よく書くことあるね、と言われる。
しかし、あり過ぎて困るというのが、私の本音である。
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、そして会話。
どこにでも、言葉は溢れている。真面目なことばかりメモする必要はない。
「頭からはびりついて、こびれない」
「あかさたな、みのもんた」
「勘弁してちょうちんよ」「恋のカラ回り」
「センとズリの紙かくし」(笑)
こんなことでもいい。
ウィットの富んだ会話には、こんな言葉たちを知っていると楽しい。
もう少しだけ「言葉と遊ぶ」感覚を身に付けてみよう。

会話には欠かせない「言葉遊びができる生き方」はいかが?



2001年10月15日(月) 「外国人を同じ人間と考えられる生き方」

何を言ってるの?と怒られそうだが・・・
ラジオで竹村健一氏が語っていた。
「日本は日本人のことしか報道しない」と。
アメリカ人やスイス人が多く亡くなっても、それに関する報道はない。
同じ人間なのに・・と憤慨していた。
いくら「グローバル」という単語を駆使しても、基本的な部分で
日本人以外を同じ人間として扱うことが出来なければ、ならない。
そのあたりの意識を変えないと、いつまでも
「井の中の蛙、大海を知らず」となる気がする。
そろそろ「日本からJAPAN」に発想をかえてみよう。
もっと世界が身近に感じられるはずだ。

「外国人を同じ人間と考えられる生き方」はいかが?



2001年10月14日(日) 「自分の字体をもっている生き方」

昨日に続いて、葬式ネタですが・・。
不祝儀の名前、しっかりプリンターで印字されている。
確かに、明朝体でしっかり整っていたけれど「?」だった。
なにもそこまで印刷となくても・・、と思ってしまったからである。
どんなに下手でも、構わない。
気持ちを込めて、書きましたって伝わる字体がいいな、と思う。
結婚式でも、お葬式でも、自筆で記帳することになる。
まさか芳名録にプリントする人はいない。
ここらで、筆ペン教室でも通って、サラサラと書けるようになりたいね。
「字」って不思議なもので、書かないと上手くならないらしい。

これからも一生、付き合っていく「書く」という作業。
それならいっそのこと
「自分の字体をもっている生き方」いかが?



2001年10月13日(土) 「香典の配慮が出来る生き方」

隣組のお通夜、今回は会計を任された。
不祝儀袋から、香典を確認して記帳する仕事なんだけど。
最近では、お札を裏にして入れることも知らない人が多い。
勿論、最初から準備してたと思われるから、ピン札を入れない、
など昔から言われていることが伝わっていない。
さらに気付いたことは、香典の額にあった袋を使ってないこと。
とても立派な不祝儀袋で数万円入れてあるのかな?と思ったら3千円。
逆に、十枚一組で売っているような袋に3万円。
なんだか、思わず笑ってしまった。
金額や住所も書いてない人は多かった。
確かにそんなこと、どうでもいいことかも知れない。
しかし、亡くなった人を悲しんで訪れるのであれば、
それくらいの、配慮ができる人間であって欲しい、と思う。

少しでも「香典の配慮が出来る生き方」いかが?



2001年10月12日(金) 「テレビの子守りじゃない生き方」

「まちづくりふれあいフォーラム」と題して、
地域の人々と話をする機会が与えられた。
しかし、定年、リタイヤした人たちは「何をしたらいいのかわからない」
「今から、始められることなんかない」と口々に言う。
する事ないから、一日中テレビを見てる、という人の多いことに驚かされた。
年金でパチンコ、という高齢者も多い。
「恥ずかしがらずに、地域の奉仕活動やボランティアはいかがですか?」
と勧めることにしている。
今まで、会社で部下に指示していた人たちが、
手をドロだけにして、汗をかきかき「花壇づくり」をし、
地域の女性軍に、怒られながらも、笑いながら一日を過ごす。
「テレビの子守り」から脱出した人々、
夕食のビールは格別の味がするはずである。

家に閉じこもってないで外に出よう。
「テレビの子守りじゃない生き方」はいかが?



2001年10月11日(木) 「型にはまらない生き方」

日本画家、秋野不矩さんが他界した。天竜市出身93歳。
インドを主題とした作品を見たさに、何度か「秋野不矩美術館」に
足を運んだものである。
彼女の名前「不矩」の意味は、「型にはまらない」という意味だと
生前彼女が言っていたことを思い出した。
男とか女とか、若いとか老けているとかも関係ない。
与えられた枠にとらわれず、自由に生きる。
そんな思いが「不矩」には、込められている気がした。
芸術の秋「型にはまらない」彼女の作品を、もう一度見に行きたくなった。

一生に一度の人生だから「型にはまらない生き方」はいかが?



2001年10月10日(水) 「生きるヒント」を目指して

私なりの処世術を、まとめていこうと思う。
超プラス思考の私が、社会に対して出来ること。
「言葉」という道具を通じて、生きがい探しのお手伝いかな?と感じている。
そのためには、何が出来るか、考えてみた。
この「今日のコラム」を通じて、私なりの「生き方」を綴っていきたい。
誰か一人でも、私の言葉が参考になって、豊かな人生を送ってくれればいい。
心から、そう思う。
WEBに公開するということは、そういう意味なんだと理解していきたい。
五木寛之の「生きるヒント」まではいかないけれど、
誰かの心が豊かになれば嬉しいし、私なりの社会奉仕と考えたい。
もちろん、書かせてもらっている私が一番、幸せであるが・・。



2001年10月09日(火) 「気になる一言」との差別化を

ついつい、手帳のメモが多くなると、書きたいことが増える。
そして、ついに「気になる一言」以外に、もう一つ日記を借りて
書き始めたが・・・。
読み直してみると、どうも気に入らない。
それは内容に工夫が見られないからだと、気がついた。
ふたつとも「気になる一言」になりつつあったから、
こちらは路線変更。
普段から思っていることを、コラムにしようと思う。
新聞投稿の下書き程度の感覚で・・・。
明日からの「今日のコラム」に乞うご期待。



2001年10月08日(月) やっぱり有線

パソコンの調子が悪くなった。原因は、無線LAN。
家の中のどこでもパソコンが出来るとあって、便利であったが、
どうもデータ転送が不安定で、思うような動きをしなかったのも事実。
仕事の上で大切とされる「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」も
他人に伝言を頼むのではなく、出来る限り自分で行う方法が、
確実に相手に伝わることを、あらためて知った。
生活が便利になり、ついついコミュニケーションの方法も変わったが、
メールより、逢って、話して、触れる(笑)ことが
相手を知る方法としては一番良いことを認識させられた。
コンピュータが全てではなく、コンピュータはきっかけづくり、と
割りきってみよう。
より充実した人間関係が築けるはずである。



2001年10月07日(日) やだ、走りたくない・・・

スポーツの秋に相応しく、各地で体育大会が開催されている。
それはプログラムのフィナーレを飾るに相応しい
地区別対抗年齢別リレー。(人生行路、と呼ぶ地区もある)
それは、準備係の私の目の前で起こった。
小学校一年生からスタート、ところが三年生の選手が冒頭の台詞を言いながら
ダダをこねて、走らなかった。座り込んだまま動かない。
バトンを渡すはずだった二年生は、渡す相手がいなく困惑気味だった。
彼の予想外の行動に、私たち大人はどうすることも出来なかった。
これは、親が悪い、子供が悪い、の問題ではなく、
なぜ、このようなことが起こったのか、を問題にして欲しい。
少なくとも、リレーの選手に選ばれ大勢の前で走るはずだった。
そんな彼が、どうして走りたくなくなったのか?
子供を叱る前に、考えてみる必要があろう。



2001年10月06日(土) ・・・???・・・

言葉がみつからない・・この気持ちがタイトルとなった。
夕方、新幹線に乗り、一路帰宅の途についた私の横に、
一人の女性が何も言わず座った。
まわりも、座席もほとんど誰も座っていないのに・・・。
わざわざ私の隣に、大きな荷物を抱えて座った途端に、溜息をついた。
外は残暑を思わせる暑さなのに、彼女は黒のタイツを穿いていて、
何度か私の横で、足を組み替えたり・・(なんか変だな、とは思ったけれど)
それでも、ウトウトしていたので気にならなかった。
ところが、突然荷物の中から、ワンピースを取りだし、頭からスポッと
かぶったかと思ったら、突然立ち上がり今まで履いていた黒のスカートを
脱ぎ始めた。(腰を振りながら(笑))
そして、何もなかったように横に座り、化粧とか始めた。
私の眠気は覚めるどころか、何が起こったのか、把握できず、
たぶん、間抜け顔でぽか〜んとしていたに違いない。
ふたつ先の駅で、彼女は下車したが、今でもよくわからない。
もし、ドッキリだったら、情けない顔が映るに違いない。

車両の一番後ろの席だったから?
もしかしたら、背が高かったらニューハーフ?
それとも・・・
今日は、眠れそうもない。明日からは、しばらくこのネタで・・。



2001年10月05日(金) モノには記憶が繋がっている

昭和30年代からの資料館には、私の思い出が溢れていた。
まず、モノを見て「懐かし〜い」と一声をあげた後、
必ず思い出す風景や人間関係、
もしかしたらそれ以上の記憶が、芋蔓式に繋がってくる。
懐かしさは、同じモノでもそれぞれの記憶が蘇り、
無口な人を饒舌に変える力、を持っている気がする。
二人用の小学校机には、誰が引いたか真ん中に境界線を引いた後があったり、
付録の歌詞カードが欲しくて「平凡」や「明星」などを買った。
夏休み前には「かんゆうドロップ」を注文して、通信簿と一緒にもらった。
テレビも見ない時は、布をかぶせてあったなど、キリがない。
音楽や食べ物、そして見るモノ。
人間の五感って凄いなぁって、あらためて実感した視察であった。



2001年10月04日(木) 何人のロシア人を殺したでしょう?

アフガニスタンの子供が、使っている算数の教科書。
足し算を教える問題に、こういう問題があるらしい。
「あなたは、3人ロシア人を殺しました。私は4人殺しました。
さて二人で何人のロシア人を殺したでしょう?」。
この話を聞いたとき、憤りを通り越してしまい、悲しくなってしまった。
小さいときから、人を殺すということがどういうことか、
間違った教育を続けている気がする。
なぜ、紛争が終わらないのか?戦争が続くのか、
理解できなかった私にとって大きなヒントになった。
私の常識の枠の中では、絶対理解できない問題だから・・・。
それにしても、ショッキングな教科書である。



2001年10月03日(水) 「ダブルクリック」というより「コチョコチョ」

高齢者には「ダブルクリック」と言っても、もう忘れている。
う〜ん、なんと教えよう、と悩んでいたら
「ここをコチョコチョってやればいいんだね」と答えてくれた。
そんな教え方も有りなんだよな、とヒントを掴んだ。
長嶋監督を彷彿される擬態語。
「スパって感じて、バシッとくるから、ビュンなんだよ」と変わらない。
しかし、この擬態語をうまく使えるようになると、
会話も弾んで、楽しいものになるらしい。
勉強しよう〜っと。



2001年10月02日(火) お月様、見えたよ

十五夜の昨日、私の住む地域では厚い雲で、見ることが出来なかった。
残念と思っていたところ、私の住んでいるところでは見えるよ、と
何人かにメールをいただいた。
全国にいる知人、友人に感謝したい。
中には、中秋の名月をデジカメで撮って、HPに掲載してくれた人もいる。
今、こっちも見え始めたから、もうすぐ見えるはずだよ、と書いてくれた
愛知県からのメールは、私専用の身近な天気予報となった。
月の絵を書いてくれた人もいる。
う〜ん、いろいろな方法があるんだな、と感心しながらも、嬉しかった。
インターネットって、使い方次第でとても楽しくなる、
そう思った秋の夜長だった。



2001年10月01日(月) 著作権、難しい問題である

ある日記サイトでは、毎日テーマが提案され、
その与えられたテーマに沿って、自分の意見を綴る事が出来る。
私にとっては、コラム・エッセイを書くいい勉強となっている。
ただし、時には著作権の問題が絡んで、ややこしいことになる。
たとえ個人的な日記であれ、
著作権のあるものを無断でインターネット上に公開することは御法度。
現在の法律では、そうなる。
確かに悪意で引用する場合は、法律の網をかぶせた方が良い。
しかし個人的レベルで、日記に書く程度にまで、網をかぶせるのは
いかがなものであろうか?
これだけ増えたHPのひとつひとつまで、チェックできないのだから、
インターネットという新しい波に対応した著作権のあり方を
もう一度、検討すべきではないだろうか。再考を期待する。


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