しもさんの「コラムニストを目指して」

2001年09月30日(日) あと42キロ走ればいいんです

ベルリンマラソン、女子世界記録を樹立し、高橋尚子は優勝した。
レース前のインタビューで、彼女はこう答えたと言う。
毎日毎日の練習の方が、よっぽどきつい。
今日は、こんな好条件で42キロだけ走れば良いんだ、
と感じたのだろうか。
見ている私たちを一度も不安にさせることのないレースだった。
正直、日本を始め全世界の人々が、世界記録を期待した。
番組途中のコマーシャルも全て彼女。
想像を絶するプレッシャーが襲ったと思うのだが、
彼女はアッケラカンとしていた。
「プレッシャーを追い風にするのは、自信である」
という言葉を思い出した。



2001年09月29日(土) 11のもつ意味。

京都の夜、同行のメンバーで夜な夜な話す話題がアメリカテロ。
みんながそれぞれの意見を持ち、発表するいい機会となった。
その中で、今回の事件は数字の「11」がキーとなっているという意見があった。
知っているだろうか?
9月11日(9+1+1=11)
この日は21世紀に入って254日目。(2+5+4=11)
攻撃されたニューヨークは、アメリカ11番目の州。
旅客機は、アメリカ航空11便。
そして、貿易センタービルは、遠くから見ると「11」に見える。
偶然とは言いながらも、なぜこの日なのか、説明できる人はいない。
綿密に計画された犯行としては、あまりにも遊びすぎか、
それとも、本当に「11」に意味があるのか?
他にも調べたくなった事件である。



2001年09月28日(金) クスノキが多いから息切れしない

京都で、明治天皇の墓がある桃山御陵を訪ねた。
朝一番で目指す御陵は、230段のまっすぐな石段。
健康の私でさえ、どうしようかな、と迷う長さと高さである。
メンバーには高齢者、先日まで入院していた人までいる。
ところが驚いたことに、全員息も切らずに登り終えた。
不思議でしょうがなかった。
ところがある人が、私にぼそっと言った台詞がこれ。
周りを見ると、たしかにクスノキが多い。
森林浴ではないが、多くの木があるから酸素が濃いことを実感した。
そう考えなければ理解できない現象だった。
自然ってやっぱりすごい。



2001年09月27日(木) 電動車には免許がいらない

最近、まちで見かける高齢者の足がわり、電動車は免許がいらない。
最近の流行として、ある番組で取り上げていた。
それは、法律だから仕方ないけれど、少なくとも
交通ルールやマナーだけは、教えないと危なくて困ることになる。
進入禁止や一方通行、駐車禁止、駐停車禁止。
最低の交通標識だけは、テストでもして覚えてもらいたい。
自転車と同じ、という主張は通らないと思う。
幅をきかせ、歩道を使うわけだから・・・
身障者は別として、高齢者、歩けなくなっても外に出たいのかな、
私には理解できないまま、ニュースを見終わった。



2001年09月26日(水) シャッターは自分の目

久しぶりに、伊豆の海をスケッチに出かけた。
デジカメも持っていったが、どうも撮る気にならない。
ぼんやりした雰囲気や、風の匂いや方向などは、
たぶん、アナログ情報でありデジタル化出来ない。
先日、あるところで
「シャッターは自分の目、心の中に映像で残しておきます」という
メッセージを見つけ、嬉しくなりメモをしておいた。
そして、その意味がスケッチをしながらわかった気がする。
写真で撮ったからいいや、ではなく、
自分の心の中に焼き付けることが出来れば、何年たっても
色褪せることはないことを知った。



2001年09月25日(火) 「ひらがな」にすると意味がなくなる

各地の広報を眺めながら、思い出した会話があった。
「最近の流行なのか、地名を「ひらがな」にしたがるけれど、
あれはいかん」
合併後の大きな都市に、その傾向は強い。
しかし漢字には、ひとつひとつに意味があるから、
都市名くらい、漢字にすべきだということだろう。
さて、わが町はどうだろう。
確かに「広報・しみず」の方が当たりがやわらかい。誰でも読める。
しかし、それでも清い水の町である「清水」を使って欲しい、と。
「広報・清水町」。
うん、悪くないな、とひとりで紙に書いてみて頷いた。
何年か前に話題を呼んだ「悪魔」君。
どうしたかな?と気になりながら、
あらためて、漢字の持つ意味を大切にしたい、と思った。



2001年09月24日(月) ベテランの存在感

ヤクルト、古田の存在感は、大きかった。
孤軍奮闘というより、「チームの牽引車」を充分果たしていた。
彼は、今でも首位打者を争う選手であるから、当然なのかも知れない。
では巨人の斎藤、桑田の活躍は、どう判断すればいいのだろうか?
普段は「高額年俸」で叩かれ、役に立たないと邪魔者扱いの彼らが
ここ一番、大切な試合で貢献しているようだ。
彼らの頑張りがチームに良い影響を与えているという。
仕事でも、我々ベテランは頭の柔らかい行動力のある若い職員に
かなわない部分があるが、いざ住民相手の交渉となれば、
まだまだ力を発揮できるはずである。
さらに「いるだけで心強い」ベテランを目指したいと思いながら、
メモをした。



2001年09月23日(日) おもしろTシャツ選手権

ダウンタウンのガキの使い〜、の番組の一部。
Tシャツに書いてある言葉で、周りの人を笑わせるというだけ。
そのために、Tシャツ何枚も着て、鍋物を食べる。
「暑い」と言いながら、一枚脱ぐ。
「風林活火山」とか「アランドロン」とか書いて、言葉で笑わせる。
単純なゲームだけど、面白かった。
最近、街中でも、文字しか書いてないTシャツを着ている若者を見かける。
彼らを真似して、自分の主張を書いて、自分で着てみたらどうだろう。
自分の今の気分でもいい。
口から何も発せなくても、気持ちは伝わることを実感してみよう。



2001年09月22日(土) これからは「千円市場」の時代

全国に百円ショップが乱立している。
しかし、前日訪れた長浜市の黒壁の一角に「千円市場」があった。
なんでも千円。時計からバック、なんでも千円。
不思議なもので、同行したメンバーがほとんどそこで買い物をした。
百円ショップでは、見向きもしない人たちが、
喜んで買っている姿を見て、これからは千円市場の時代かな?と
感じでしまった。
百円ではいかにも安すぎて買う気になれない。
それが千円だと、騙されたと思って・・という感覚の値段なのだろうか?
ネクタイもベルトも、言わなきゃわからない質である。
流行する気がしてならない。



2001年09月21日(金) 天下を取った気分を味わえた

彦根の地を訪れた。
何度も訪れているのに、時間の都合で行ったことがなかった「彦根城」
ここで、秀吉は何を考え、どんな風を感じていたのだろう?と
思いを馳せたら、なんだかとても大きな気分になれた。
日本一の琵琶湖を眺め、日本統一を思い描いていたのだろうか?
ほんの少しだけれど、天下を取った気分を味わえて、嬉しかった。
城は、そんな城主の気持ちを考えて見学すると楽しい場所である。
全国の城、機会があれば、そんな視点で訪れてみたい。



2001年09月20日(木) ウィルスは、サイバーテロ

アメリカをはじめ多くの国は、テロに対して敏感になり、
報復だと騒いでいる。
しかし、我々生活市民には、どうもピンとこない。
だが官公庁のコンピュータが、強力ウィルスに・・。
これは、とても心配である。
もう、パソコンなしの生活には戻れないし、
こんな便利なものが破壊されると、その復旧には
大変な労力がいる。
ウィルスは、サイバーテロだ、と言った人がいる。
そのとおりである。全世界を相手に、
ただ困らせることを目的としてた愉快犯。
私は、こちらの方が、許せない。

せっかく仲良くなったメルトモと連絡が取れなくなるのが
嫌だから・・だけではありません(笑)




2001年09月19日(水) アメリカの異常な愛国心

テレビがアメリカの様子を映し出していた。
画面は「小さなショップ」
売り切れの商品は、なんと「星条旗」。そう「アメリカ国旗」。
あっという間に「60万本」売れ、生産が間に合わないと言う。
アメリカ人の愛国心は、日本の比ではない。
しかし、みんな同じ方向に動かされているような気がするのは
私だけだろうか。
これでは、イラクとか北朝鮮などと変わらない。
意見は違うからいい。個人の尊重とはそういうことだ。
国家もひとつの組織だとすれば、同じ意見を持った人ばかりはいらない。
日本の組織は、大丈夫であろうか。



2001年09月18日(火) 子供にとっては、お母さんの声が一番

読み聞かせの事業を始める。なぜ今、読み聞かせなのか?
それは「読み聞かせで感じるぬくもり」を大切にしたいからだろう。
我が子のために一所懸命読む、おかあさんの膝のぬくもり。
それは、何事にもかえがたい。
最近、多発している少年犯罪、彼らは愛情に飢えていると言われる。
生まれてから、文字が読めるようになるまでの間、
思い切り甘えさせてあげて欲しい。
作家、柳美里の愛した、東由多加はこう言ったらしい。
「三歳までに、私は守られている、ということを教えなさい」と。



2001年09月17日(月) 水を育てるところから始めたい

偶然だろうか、「気になる一言」でも「育てる」ネタだった。
こちらの情報源はテレビから。
川の水が汚れてきた。どうやって子供達に教えるか、という話題。
水中生物を調べて、水に関心を持たせる。
透明度などを計らせる、などいろいろな意見が出た。
しかし、私がメモしたのは「水を育てる」だった。
水が生まれる仕組みを教え、どうやって生活に取り入れていくか、
の発想で水の使い道を考える。
自分たちで「水を育てる」感覚を身に付けさせることが大切という。
一番むずかしく大変な教育だけれど、一度覚えたら忘れないのかも知れない。
問題解決ばかりにとらわれてはいけない、そう思った番組であった。



2001年09月16日(日) おねいさん 送っていこうか?

深夜2時近く。私は居酒屋からほろ酔い気分で歩いていた。
そこへ暴走族まがいの車が近づいてきて、こう言った。
「おねいさん 送っていこうか?」
私の周りには誰もいない。どうみても、私に声をかけている。
もっと近づいてきてから「なんだ、男だよ、ばいばい〜」
あっけにとられていた私に、彼らは大声で笑いながら走り去った。
「ばか、笑いたいのはこっちだよ、男と女の区別もつかないのか」
とはいえ、深夜女性の一人歩きは危険だと実感したシーンであった。
確かに彼らが寄ってきたとき、怖かった。
あれが2〜3台に囲まれていたら、もうどうしようもないね。
「オヤジ狩りでなくてよかった」と思い出しながら、メモをした。



2001年09月15日(土) 生死(精子)をかけるのは男の仕事だから(笑)

旅人、奥平さんと飲みに行った。
アフリカ、ロシアの話で盛り上がったが、
講演会では話さないエッチネタもありで、面白かった。
バイクで世界一周54000キロ。

一年半もよく、女抜きで我慢できましたね?
うん?生死(精子)をかけるのは男の仕事だから・・・。

このコラムは、何でもありだから・・
私の本音が一番出るコーナーですね。
ネタは、ご自由にお持ちください。



2001年09月14日(金) 音楽の力

初心者相手のIT講習会。教えるのに苦労している。
緊張して講師の話に耳を傾ける受講生。
みんなにいろいろと覚えてもらおうとする講師陣。
なんだか重苦しい雰囲気が流れていたが、
それをぶち壊してくれたのは、ホームページから流れるMIDIの音楽。
20台一斉に、オルゴール音で「童謡」が流れた。
緊張した雰囲気が、やわらいだ瞬間であった。
言葉や態度ではどうにもならないことでも、音楽は可能にしてくれた。
ずれながらも、会場いっぱいに流れるMIDIで、私はホッとした。



2001年09月13日(木) 個人の危機管理能力

オウム事件で、浮き彫りにされた日本の危機管理能力。
そして、今度のNYテロ事件でも・・。
しかし、それは国家レベルの話だけではない。
ここ数日、サーバーの不調からか、ある日記の書き込みが出来ない。
さて、どうするか?
無料サイトだから直るまでじっと我慢するか、他の日記サイトを捜し、
毎日楽しみに読んでくれる方のためように何とかしようと
すでに対応できているのか。
今後の展開に大きな差となる気がする。
恥ずかしい話、こういう私も完璧には出来ていない。
しかし、待っているだけでなく、なんとか解決しようとしている。。
吉と出るか、凶と出るか。
個人の危機管理って、そういうことだと思う。



2001年09月12日(水) 傘がない

NYで大変なテロ事件が起きている。
この事件で大切なのは、日本のマスコミ報道が
どんな捉え方をして、テレビ、ラジオ、新聞で流していくのか。
マスコミの役割は大きい。
事実だけを伝えるのではなく、キャスターの感情が入るから。
しかし私はなぜか、井上揚水の「傘がない」を思い出した。
テレビでは大事件が流れているが、私は就職がない方が問題だ、と
言うことである。
大事件に目をとられている間も、リストラ、失業者は増え続ける。
少年の犯罪も、ますます凶悪の一途をたどっている。
国内の問題を客観的に分析できる人の存在が、今は必要である。



2001年09月11日(火) 300人の前で話すこと

パネルディスカッションのパネラーを引き受けた。
聴衆は約300人。
もっとドキドキするかと思ったが。
意外に落ち着いて、話せたのでないかと思う。
自分のくだらない冗談も、頷いてメモされてしまうと
困ってしまう。
しかし逆に、真剣に聞いてくれる姿を舞台から見ると
いい加減なメッセージを発せない、と身が引き締まる思いがした。
私にとっては、人前で話すことが苦手?なので、文を書く。
だから・・・と遠慮をしていたたものの、
大勢の前で話すことの快感を覚えてしまった。
今後、機会があれば、もっと大勢の前で話すことをしてみたい、
と思った。



2001年09月10日(月) 嬉しい全国からのメール

久しぶりに投稿した「読売新聞の投書」。
さすがに、全国版のすごさを感じさせられた。
「社会奉仕」というテーマで書いたコラムが掲載された日、
全国からメールが何通か届いた。
「みたよ」という内容がほとんどだけれど、
何年かぶりの友もいたし、つい最近知り合ったメルトモもいた。
ほんの数年前までは考えつかなかった反応の早さである。
コラムの基本は「ネタが新鮮」だということ。
何ヶ月、何週間も前の話をしても、意味が無い。
そういう意味では、毎日の事件とにらめっこであるから、
書いたコラムに、すぐ返事が届くのはとても嬉しい。
投稿も、ほとんどメールで出来るようになってきた。
全国からのメールを楽しみに、また投稿を続けてみよう。



2001年09月09日(日) 「命」の大切さを教える「家族」

巷では、テレビゲームが氾濫している。
暴力シーンが画面いっぱいに広がり、それに群がり大声を出して
熱狂しているわかもの達。
たとえ学校で「暴力はいけない」「人の命は大切にしましきょう」と訴えても
それは無意味に等しい気がするのは私だけだろうか?
最近、そんな私の危機感をあざ笑うかのように「殺人事件」が多発している。
なぜか?私なりの見解。
それは「核家族」が、人の命の大切さを訴える教育から遠ざけている、だった。
兄弟という小さな命の誕生シーン、身近な人間の死ぬ瞬間、人の死によって多くの人間が悲しむシーンなどを通して
「命の大切さを教える家族というシステム」が存在したはずだから。
今、テレビでは「東由多加・柳美里」の壮絶な「命」をテーマにした番組を放映している。偶然だろうか・・・



2001年09月08日(土) 周りの雰囲気を感じて・・

イベントで模擬店、お好み焼きを焼いて大忙しだった。
職場の部下が、冷やかしに来た。それはそれで嬉しかった。
しかし、私のまわりに議員もはじめ、体育協会の役員などいたし、
構ってられない忙しさに、なんとか気付いて欲しかったから
わざと「不機嫌を態度に表した」つもりだったが・・・。
案の定、彼らがいなくなってから「大変だね、ああいうのがいると」と
声を掛けられた。
「忙しいんだから、あっちに行け」と言えない雰囲気を感じて欲しかった。
「私で良かったら、手伝いましょうか?」がベストだけれど。
職員として参加してない、という言い訳は通用しないから。



2001年09月07日(金) 富士山のゴミ拾い

夏山シーズンも終え、ゴミ拾いが話題になっている。
もの凄い量だという内容は毎年変わらない。
一度、ゴミ拾いをやめたらどうだろう。
捨てる人と拾う人の意識が違うから、ゴミのポイ捨ては減りっこないと思う。
捨てる人は何度でも捨てる、拾う人はボランティアで拾う。
この図式が変わらない限り、無駄な作業である。
捨てる人が、ゴミ拾いの活動に参加する工夫をしないと・・・。
交通ルールを無視する人と、交通安全を願い活動する人の意識も違う。
この根本を解決しないと、ただの自己満足に終わってしまう。
他人の意識啓発は難しい。
「過去と他人は変えられない、変えられるのは未来と自分」という言葉が
私の脳裏をよぎった。



2001年09月06日(木) 新聞投稿の再開

ある日突然、新聞投稿をやめた。
原因は、内容に関して、いろいろ意見を言う人がいたから。
「公務員のくせに」が一番、嫌な台詞だった。
新聞投稿は、どの紙面も基本的事項を書く。
「住所、氏名、年齢、性別、職業、電話番号」
私も適当に「会社員」とすればいいのだが、
書く側としては、身元を誤魔化してまで投稿したくない、と思う。
だからあえて「地方公務員」と書くことにしている。
しかし、それが・・・
「書く内容に制限が出てくる」となれば問題ではなかろうか?
過激なことはかけない、国、県、市町村の批判なども書きにくい。
コラムは社会的批判がこもっているから面白いのに・・。
エッセイではないんだ、という自負もある。
だから、やめた。
しかし、毎日楽しみに新聞を広げてくれている人の存在を知って、
もう一度投稿してみようと思い立った。
「大きな夢があるんだから、小さな批判に負けちゃダメ」
そう励まされて、やる気が出てしまった・・・(笑)



2001年09月05日(水) 悩んでいる若者たち

毎日、あるテーマに沿って短文を書いている。
お題は、参加しているメンバーが、
他のメンバーに尋ねる形のテーマが多いが、恋愛のテーマが多い。
彼氏・彼女にカラオケで歌ってほしい曲は?
あなたは、誘惑したい?
それとも、誘惑されたい?
あなたがしてみたいなぁと思う理想の恋は?
恋人と別れた後、どうしますか?
彼氏・彼女にするなら年上or年下?
遠距離恋愛、年の離れた恋愛は?
愛の無い肉体関係をどう思う?
あなたの恋のアタック方法は?
メールから始まる恋ってどう思いますか?
ひと夏の恋をどう思う?
どこからが浮気?!
男性、既婚者、43歳の私にとっては、悩ますネタばかりである。
しかし、彼ら彼女らの悩みに答えることによって、
最近考えてもいなかった自分が見えてくる。
へぇ、俺ってこんな事考えていたのか?
昔だったらこうだよなぁ、と思うこともある。
深夜にならないと発表されないテーマに一喜一憂する私がいる。



2001年09月04日(火) 人生の生きた証づくり

毎日一枚、はがきサイズの絵を描き始めた。
と、いっても勿論、本格的なものではない。
絵手紙のような洒落たものでもない。
長年日本画を描く妻、高校で美術部の娘、
ふたりが絵の話をしているのに、
私だけ仲間はずれは嫌だとばかりに色鉛筆を購入し、
何年かぶりに絵筆を持ったというのが本音のところである。
美術の授業のときは、思うような色が出ないだけでも
イライラしたはずなのに、今は、それさえも楽しい。
パソコン全盛の時代、デジカメで撮影した写真を油絵風、
水彩画風に加工できることも知っている。
しかし、あえて絵筆を持ち、世界に一枚しかない、
絵を描こうと思ったのか、自分でも不思議である。(忙しいくせに・・)
ただ、四十歳を過ぎ、そろそろ自分の「生きた証」を作りたい、
という気持ちが自分の中で増幅され、
今回のような行動に結びついたのかな、と自己分析をしてみた。
日記は毎日書いているから、続けることには自信がある。
一年後、ちょっぴり上達した私の絵が、
彼女等の批評の対象になることを願って、
今夜もビール片手に筆を動かそうと思う。




2001年09月03日(月) 社会奉仕(読売新聞・気流 掲載)

子ども達のボランティア参加・社会参加が話題となっているが、
それは大人の発想から生まれたシステム、と懸念していた。
しかし、子ども達から「面白そう」「楽しそう」という声が聞こえてきた。
先日、全国で開催している「IT講習会」のひとつとして、
小さい幼児を抱えているママの代わりに、託児をしてくれませんか?と
中学生・高校生に依頼したところ「私でよければいいよ」という声が
返ってきたからだ。
子どもがいて講習会に出られなかったママ、
夏休みに何か社会奉仕したかった子ども達、
そして、いつもと違ったお姉ちゃんたちに遊ばれて喜んでいる幼児。
中高生にメールが流行しているのも、
メールがくることで自分の存在価値を確かめているとも言える。
「自分は社会の中で必要とされている」と実感させてあげられるだけでいい。
託児を任された彼女たちは、眩しいくらいいきいきしていた。



2001年09月02日(日) 日記サイトの役割

「コラムニスト」をめざして、この日記サイトを借りることにした。
インターネットが普及してから、
今まで日記帳、大学ノートに書いていた文章をWEB上で発表することが
出来るようになった。夢のような話である。
しかし、単なる興味本位で開設した人たちも多い。
誰にも迷惑をかけてないからいいだろう、という理由で、
毒舌・愚痴・不満を書きまくる。
誹謗中傷なども気にせず「文字」という暴力を振り回している。
若者の活字離れを防いだ功績は大きいが、
今後、もっともっと増えてくると予想される手軽な日記サイトだからこそ、
ルールとマナーを徹底して教えて欲しい。
将来、有名作家が「日記サイトで修行しました」という台詞を
残してくれるよう見守っていきたいと、私は思う。



2001年09月01日(土) ** 奥平正和 講演メモ 特別頁 **

どれだけ、バイクを掘ったかわからない(砂漠横断中)
俺のこれは、これで、これだぁ〜
国境では、空手の型を見せるに限る
船の中は、もらいゲロだらけ
人間って、簡単に鬼にも仏にもなれる
いつも不安だらけの旅だった
旅すると、本能が研ぎ澄まされて危険かどうかわかる
俺は冒険家じゃない、旅人なんだ。戻ることも許される
国際ナンバーでも、エジプトだけは走れない
ピラミッドも、たどり着き方で感じ方が違う
「1年半」を「1時間半」では話せない
人生の喜びは、感動すること
日本は、未来の国へ来たみたい
昔、栄えた国は、みんな滅びている
食べ物を粗末にしたら、ばちが当たるぞ
世界共通は、警官の検問はパッシングで教えてくれる
ただ、運がいいだけでは片づけられない
人間関係も、自然の法則の中にある
同じ波長の人が、共鳴し、引きつけあう
(同調した人が、集まってくる)


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